チューリップとオフコースはよく並び称されることが多い。同時期に活躍した叙情性を強く持ったバンド(オフコースはデュオからの発展だが)であり、ともに小田和正と財津和夫という個性の強い(声も高い)アーティストを中心としていたこともあるだろう。だが、支持層は少し違うような気もしている。
どちらかと言えば(大きな括りだが)、オフコースよりもチューリップの方が年齢層が高い。これは、ヒット曲を出したのがチューリップの方が早いということがある。「心の旅」は1973年、対して「さよなら」は1979年である。いや「僕の贈りもの」はもっと早いぞとか異論もあるでしょうが。
もうひとつ言えるのは、チューリップに男性ファンが多いこと。もちろんオフコースが女性ファンばかりではないわけで、傾向を極端に言っているだけなのだが。これは、あくまで僕の感じ方だけれども、オフコースが「愛」というものをストレートに表現している曲が多いのに対し、チューリップには「郷愁」が強く感じられるからなのではないかとも思う。それは、小田、鈴木のオフコースが横浜出身なのに対し、チューリップは博多から東京へと、故郷を振り捨てて出てきたというバックボーンがあるからではないか、と思ったりもする。
チューリップのデビュー逸話については、よく海援隊の武田鉄矢がネタにする。
有名な博多のライブハウス「照和」。ここから、甲斐バンドなど様々なアーティストが育ったわけだけれども、その嚆矢はチューリップだった。当初はビートルズのコピーバンドであったらしく4人構成。メンバー大学在学中に結成されデビューの算段であったらしいのだが、その時二人が抜けて財津さんと吉田彰さんだけになってしまう。このままでは立ち行かなくなるため、「照和」に集っていたあちこちのバンドから上手いヤツを無理やり引き抜いて、5人バンド構成にして東京へ出て行った、と。
武田鉄矢さんは芝居っ気たっぷりに語る。「安部俊幸を財津に持っていかれて立ち行かなくなっちゃったバンドもいる。ヒドいよねぇ(涙)。うち(海援隊)も上田雅利を持っていかれた。姫野達也はフォークデュオをやっていたのに、一人だけ財津に引き抜かれた。ひとり後に残された千葉和臣というボケっとした男を呼んで、いつか財津を見返してやろうと中牟田と三人で誓ったのよ。」
どこまでホントか知らないが、「俺たちゃチューリップの残り物」と言う鉄矢さんの恨み節は笑える。
1972年、そうして数々の恨み(?)をかって、チューリップは「魔法の黄色い靴」でデビューする。
君 僕の靴を捨てて逃げて走っても ほらね 僕の靴は君を連れてくるよ
この曲は今聴いても実にいい曲だと思うのだがヒットしなかった。時代に先んじ過ぎたのかもしれない。フォークは全盛だったが、チューリップのようなフルバンド構成はいなかった。むしろバンドと言えばグループサウンズの名残があったくらいの時期で、カテゴライズしにくかったのかもしれない。
2曲目も売れず、この原因はもしかしたらボーカルにあるのでは、という理不尽な責任論が生じ(by財津)、3曲目からボーカルが姫野さんに代わり、財津さんはキーボード&コーラス。そして出した「心の旅」が大ヒットとなる。「やはりボーカルのせいだったのかと辛かった」と財津さんは言う。
「夏色の思いで」「銀の指環」「ぼくがつくった愛のうた」などが続けてヒットし、チューリップ人気は不動のものとなる。「青春の影」は少しこれらの曲とは異質な感じもするが、どちらかと言えば上記の曲がアイドル路線であったことに少しプロテストした意味もあったと聞く。今チューリップファンも高年齢化(?)して、こういう「青春の影」や「夕陽を追いかけて」と言った郷愁を誘う曲が人気が高いのではないだろうか。過ぎ去った昔。通り過ぎた思い出。夢見てた頃。
アルバム「無限軌道」のラストナンバー「人生ゲーム」は今の僕の心を打つ。
「みんなみんな幼い頃にいろんな大きな夢を見た」もうその夢は叶うことはないのかもしれない。かつては「大きな船で七つの海を超えてみたい」と思っていた。けれども…。
幸せなんかがあるならば それは慰みのことだろう
知らない国へ行ってみたい 昔夢見た魔法の靴で…
「昔夢見た魔法の靴」と言われるとどうしてもあの黄色い靴を思い出してしまう。あれは子供の頃の夢に過ぎなかったのだろうか。大きな海や川を越えて戻ってくるあの靴は。僕は、それでも僕は…。
「サボテンの花」「ブルースカイ」とヒットが続いた黄金時代も徐々に陰りを見せる。「虹とスニーカーの頃」のヒットを最後に、第一次チューリップは終わる。1980年上田さん、吉田さんが脱退。その後目立ったヒットはなく姫野さんや安部さんも辞め、メンバーが総替りして後、1989年解散。
虹とスニーカー以降、僕はなんとなしにチューリップから遠ざかっていた。メンバーチェンジ後のシングル「I am the Editor」、この映画のラストシーンは…と言われてもさほど感情移入出来なかった。翌年の「さよなら道化者」を聴いても、かつての「道化者」という曲のアンサーソングにしてはちょっと違うぞ、程度にしか思っていなかった。
二番目に好きなのがこの僕で 一番目は幸せだなんて
いつも僕を笑わせてくれた 君は素敵な道化者だった
財津さんの曲というのは、ものすごく特徴がある、と思う。チューリップの曲の大半を財津さんが作っているので、財津節というのもは理解されやすいのではないか。財津さんが他の人に提供した曲も、すぐに「あ、財津さんの曲だ」とわかる。松田聖子のチェリーブラッサムの「何もかも目覚めてく新しい私」という冒頭の部分、この「あたら~しい~」のメロディーがいかにも財津節だ。実に個性的である。
さて、「さよなら道化者」。さほど財津さんらしくないので、もしかしたら他の人が作ったか、と思ったほどだ。
チーズケーキとモーツァルトが好きで 嘘つきと戦争が大嫌い
そんな君の部屋の窓辺にも もう誰かが住んでしまったよ
寂しい。「さよなら僕の道化者」「死ぬほど好きだと言えばよかった」と、ただ寂しいだけの盛り上がりのない曲。そんなふうに思った。
チューリップの曲をリアルタイムでなく後にベストなどのアルバムで聴いた人は、僕がなんの話をしているのかわからないと思う。「さよなら道化者」という曲は、実はシングルとアルバムではエンディングが違うのだ。
シングルでは、「さよなら僕の道化者…もう一度僕を笑わせておくれ…」で静かに寂しくこの曲は終わる。ところがアルバム「THE LOVE MAP SHOP」(ベストもそうなんだろうか)では、この曲は静かには終わらない。続きがあるのである。急に転調してさっと目の前が明るくなるような印象を与え、コーラスが入る。
子供の頃から僕は幸せが好きだった どんな時でも幸せが好きだった
そして今も幸せが大好きです そして今も幸せが大好きです!
溢れんばかりの財津節。これを最初に聴いた時には衝撃だった。シングルは前フリでしかなかったのか。もしもアルバムでしか聴いたことがなくてシングルバージョンを知らない人は、つまりシングルは「もう一度僕を笑わせておくれ…」でフェイドアウトしてしまうのである。アルバムバージョンで「曲として完結」であると思う。「雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も…」このエンディングで初めて力を持ってくる。こんな仕掛けをしていたとは。
財津さんは詩ではなくメロディーで心情を語る。こう言っては失礼であるしファンは怒るだろうが、さほど詞には凝っていないようにも思う。前述した「人生ゲーム」。知らない人には申し訳ないが、この曲も前半と後半でアレンジを変える。そして、変えることによって「言いたいこと」を感じさせてくれる。これは聴いてみないとわかんないので困るのだけれど。同じ歌詞でも最初は寂しく、そして後には明るくアレンジを変えて感情に起伏を生み出させる。詞は同じことを繰り返しているのに、前半で心に沈む澱のようなものを浮かび上がらせ、後半でそれを昇華させてしまう。まるで能面が、表情を同じくして下を向けば泣き、視線を上げれば笑うように。時に財津さんは魔法使いだと思う。
現在、チューリップの曲はドラマやCMにも使われて馴染み深い。そしてチューリップも昨年何度目かの再結成をしている→HP 。 ますます盛んなチューリップである。魔法の黄色い靴を探して、また耳を傾けてみたい。
どちらかと言えば(大きな括りだが)、オフコースよりもチューリップの方が年齢層が高い。これは、ヒット曲を出したのがチューリップの方が早いということがある。「心の旅」は1973年、対して「さよなら」は1979年である。いや「僕の贈りもの」はもっと早いぞとか異論もあるでしょうが。
もうひとつ言えるのは、チューリップに男性ファンが多いこと。もちろんオフコースが女性ファンばかりではないわけで、傾向を極端に言っているだけなのだが。これは、あくまで僕の感じ方だけれども、オフコースが「愛」というものをストレートに表現している曲が多いのに対し、チューリップには「郷愁」が強く感じられるからなのではないかとも思う。それは、小田、鈴木のオフコースが横浜出身なのに対し、チューリップは博多から東京へと、故郷を振り捨てて出てきたというバックボーンがあるからではないか、と思ったりもする。
チューリップのデビュー逸話については、よく海援隊の武田鉄矢がネタにする。
有名な博多のライブハウス「照和」。ここから、甲斐バンドなど様々なアーティストが育ったわけだけれども、その嚆矢はチューリップだった。当初はビートルズのコピーバンドであったらしく4人構成。メンバー大学在学中に結成されデビューの算段であったらしいのだが、その時二人が抜けて財津さんと吉田彰さんだけになってしまう。このままでは立ち行かなくなるため、「照和」に集っていたあちこちのバンドから上手いヤツを無理やり引き抜いて、5人バンド構成にして東京へ出て行った、と。
武田鉄矢さんは芝居っ気たっぷりに語る。「安部俊幸を財津に持っていかれて立ち行かなくなっちゃったバンドもいる。ヒドいよねぇ(涙)。うち(海援隊)も上田雅利を持っていかれた。姫野達也はフォークデュオをやっていたのに、一人だけ財津に引き抜かれた。ひとり後に残された千葉和臣というボケっとした男を呼んで、いつか財津を見返してやろうと中牟田と三人で誓ったのよ。」
どこまでホントか知らないが、「俺たちゃチューリップの残り物」と言う鉄矢さんの恨み節は笑える。
1972年、そうして数々の恨み(?)をかって、チューリップは「魔法の黄色い靴」でデビューする。
君 僕の靴を捨てて逃げて走っても ほらね 僕の靴は君を連れてくるよ
この曲は今聴いても実にいい曲だと思うのだがヒットしなかった。時代に先んじ過ぎたのかもしれない。フォークは全盛だったが、チューリップのようなフルバンド構成はいなかった。むしろバンドと言えばグループサウンズの名残があったくらいの時期で、カテゴライズしにくかったのかもしれない。
2曲目も売れず、この原因はもしかしたらボーカルにあるのでは、という理不尽な責任論が生じ(by財津)、3曲目からボーカルが姫野さんに代わり、財津さんはキーボード&コーラス。そして出した「心の旅」が大ヒットとなる。「やはりボーカルのせいだったのかと辛かった」と財津さんは言う。
「夏色の思いで」「銀の指環」「ぼくがつくった愛のうた」などが続けてヒットし、チューリップ人気は不動のものとなる。「青春の影」は少しこれらの曲とは異質な感じもするが、どちらかと言えば上記の曲がアイドル路線であったことに少しプロテストした意味もあったと聞く。今チューリップファンも高年齢化(?)して、こういう「青春の影」や「夕陽を追いかけて」と言った郷愁を誘う曲が人気が高いのではないだろうか。過ぎ去った昔。通り過ぎた思い出。夢見てた頃。
アルバム「無限軌道」のラストナンバー「人生ゲーム」は今の僕の心を打つ。
「みんなみんな幼い頃にいろんな大きな夢を見た」もうその夢は叶うことはないのかもしれない。かつては「大きな船で七つの海を超えてみたい」と思っていた。けれども…。
幸せなんかがあるならば それは慰みのことだろう
知らない国へ行ってみたい 昔夢見た魔法の靴で…
「昔夢見た魔法の靴」と言われるとどうしてもあの黄色い靴を思い出してしまう。あれは子供の頃の夢に過ぎなかったのだろうか。大きな海や川を越えて戻ってくるあの靴は。僕は、それでも僕は…。
「サボテンの花」「ブルースカイ」とヒットが続いた黄金時代も徐々に陰りを見せる。「虹とスニーカーの頃」のヒットを最後に、第一次チューリップは終わる。1980年上田さん、吉田さんが脱退。その後目立ったヒットはなく姫野さんや安部さんも辞め、メンバーが総替りして後、1989年解散。
虹とスニーカー以降、僕はなんとなしにチューリップから遠ざかっていた。メンバーチェンジ後のシングル「I am the Editor」、この映画のラストシーンは…と言われてもさほど感情移入出来なかった。翌年の「さよなら道化者」を聴いても、かつての「道化者」という曲のアンサーソングにしてはちょっと違うぞ、程度にしか思っていなかった。
二番目に好きなのがこの僕で 一番目は幸せだなんて
いつも僕を笑わせてくれた 君は素敵な道化者だった
財津さんの曲というのは、ものすごく特徴がある、と思う。チューリップの曲の大半を財津さんが作っているので、財津節というのもは理解されやすいのではないか。財津さんが他の人に提供した曲も、すぐに「あ、財津さんの曲だ」とわかる。松田聖子のチェリーブラッサムの「何もかも目覚めてく新しい私」という冒頭の部分、この「あたら~しい~」のメロディーがいかにも財津節だ。実に個性的である。
さて、「さよなら道化者」。さほど財津さんらしくないので、もしかしたら他の人が作ったか、と思ったほどだ。
チーズケーキとモーツァルトが好きで 嘘つきと戦争が大嫌い
そんな君の部屋の窓辺にも もう誰かが住んでしまったよ
寂しい。「さよなら僕の道化者」「死ぬほど好きだと言えばよかった」と、ただ寂しいだけの盛り上がりのない曲。そんなふうに思った。
チューリップの曲をリアルタイムでなく後にベストなどのアルバムで聴いた人は、僕がなんの話をしているのかわからないと思う。「さよなら道化者」という曲は、実はシングルとアルバムではエンディングが違うのだ。
シングルでは、「さよなら僕の道化者…もう一度僕を笑わせておくれ…」で静かに寂しくこの曲は終わる。ところがアルバム「THE LOVE MAP SHOP」(ベストもそうなんだろうか)では、この曲は静かには終わらない。続きがあるのである。急に転調してさっと目の前が明るくなるような印象を与え、コーラスが入る。
子供の頃から僕は幸せが好きだった どんな時でも幸せが好きだった
そして今も幸せが大好きです そして今も幸せが大好きです!
溢れんばかりの財津節。これを最初に聴いた時には衝撃だった。シングルは前フリでしかなかったのか。もしもアルバムでしか聴いたことがなくてシングルバージョンを知らない人は、つまりシングルは「もう一度僕を笑わせておくれ…」でフェイドアウトしてしまうのである。アルバムバージョンで「曲として完結」であると思う。「雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も…」このエンディングで初めて力を持ってくる。こんな仕掛けをしていたとは。
財津さんは詩ではなくメロディーで心情を語る。こう言っては失礼であるしファンは怒るだろうが、さほど詞には凝っていないようにも思う。前述した「人生ゲーム」。知らない人には申し訳ないが、この曲も前半と後半でアレンジを変える。そして、変えることによって「言いたいこと」を感じさせてくれる。これは聴いてみないとわかんないので困るのだけれど。同じ歌詞でも最初は寂しく、そして後には明るくアレンジを変えて感情に起伏を生み出させる。詞は同じことを繰り返しているのに、前半で心に沈む澱のようなものを浮かび上がらせ、後半でそれを昇華させてしまう。まるで能面が、表情を同じくして下を向けば泣き、視線を上げれば笑うように。時に財津さんは魔法使いだと思う。
現在、チューリップの曲はドラマやCMにも使われて馴染み深い。そしてチューリップも昨年何度目かの再結成をしている→HP 。 ますます盛んなチューリップである。魔法の黄色い靴を探して、また耳を傾けてみたい。
本当に同じような内容ですね。
驚いちゃいました。
でも大丈夫、決して盗作だなんて思ってませんから。
それよりも、気持ちが通じているようで嬉しいなあ。
ただ、あたしより上手すぎるのがちょっとね・・(笑)
私の周りでもオフコース派とチューリップ派が分かれていましたね。
何を基準にしたのかわからないけれど、
私はどちらもよく聴いていました。
凛太郎さんはどちら派でした?
「青春の影」なんか、どうです?
思い出しません? ふっふっふっ・・(意味深笑)
まさにその通りだと。
♪哀しい時より美しい時に泣きたくなると
言っていた君だった (うろおぼえ)
高校時代に憧れていた先輩が
チューリップ大好きで
その頃はよく聞いていました。
財津さんや他のメンバーも
素敵に年を重ねられているなって思いながら
昨年、深夜のテレビで再結成のコンサートを見たことを思い出しました。
私も今度、じっくり聞いてみよう。
どちら派と言えるほどのファンとも言えず(汗)、記事に書いた程度が僕の精一杯でございます。ただ、財津さんのメロディーはいいですよね。財津節には心の奥底を掴まれるような感動を時として覚えます。
ところで…「青春の影」はとてもいい曲ですね。ビートルズのThe Long And Winding Roadを彷彿とさせてくれます。ですが、特に思い出というのは…。あれば「秋の気配」のようにとっくに書いていますって(笑)。やはりチューリップは「郷愁」なのです(笑)。
「詞でなくメロディで心情を語る」これは書きすぎかもしれません。訂正したいです。詞もいいですよー。ファンが怒ってこられたらどうしよう(汗)
しかしながらそのメロディが秀逸なのは確かです。そしてアレンジでさえも心情吐露の手段となる。
最初は「人生ゲーム」をメインにして書き始めたのです。この曲は大好き。しかしながら、メロディを同じくしてアレンジを変えて表現するという手法が実に文章では書きにくく、エンディングの部分をシングルとアルバムで変えるという荒業を使った「さよなら道化者」に託して語りました。しかしこれとても両方知らないとなんのことかわからない(汗)。まあいいか。チューリップ好きであれば知っているでしょう。
「メロディを同じくしてアレンジを変えて表現する」ことについては、チューリップ以外に、アラレさんも、Mamiさんもご存知の格好の曲がありますね。みゆきさんの「断崖-親愛なるものへ-」。あの3拍子から4拍子に変わる瞬間は鳥肌が立ちますが、こういう手法を財津さんも使う、ということです。
「さよなら道化者」
この曲は、妙に心に残っていました。
「青春の影」などのような繊細な詞とは対照的に「道化者」呼ばわりですからね(笑)
いろんな意味での財津の冒険だったのでしょうね。チューリップをここまで語れる人を他には知りません。
「さよなら道化者」より以前に「道化者」という歌が別にあって、その歌に出てくる道化者についてはよく理解できるんです。自分を指していますし。ところが「さよなら道化者」は相手の彼女が道化です。この歌詞には深い意味がもしかしたらあるのかしらんとずっと考えていたのですが結局分からずじまいです(汗)。ただ、シングルと違ったコーダがついたアルバムバージョンを聴くと何故かわからなくても納得してしまう。そこが不思議です。
このとおり不思議だとか分かんないとかを繰り返しています。本文中でも、「能面が…」とかわかりにくい比喩でしか表現できない。「ここまで語れる」と言ってくださるのは嬉しいことですが、「ここまでしか語れない」と僕は内心忸怩たる気持ちです。チューリップって難しいなぁ。ジョーさんなら僕みたいに回りくどくなくズバっと本質が語れるのではないですか? ^^
チューリップの大ファンです。特に財津さんの歌う「さよなら道化者」が一番すきなんで、その名前で検索してたらここへたどり着きました。
武田鉄也さんの話初めて知りました。チューリップ誕生にはそんな秘話があったんですね。結構自分勝手?な人なんですね。財津さん・・・?
私も最初の頃はチューリップといえば姫野さんぐらいしか知りませんでした。財津さんてなんか暗くてぱっとしませんでしたね。でもすごい才能の持ち主だと知ってからは
、すっかり財津ワールドにはまってます。
不謹慎な話ですが私が死んだら葬式はしないでいいからこの曲で見送って!と連れ合いにいってます。 「心配せんでもあんた100まで大丈夫や!」と言われてます(笑)
「さよなら道化者」は、チューリップのファンとおっしゃる方からも、「?」という反応をもらったりすることが多いのですが、僕は好きなのですねー。なので「一番すき」という方に出逢えて嬉しいです。もっとも、そういう方にこんな拙文では誠に申し訳ないのですけれどもね(汗)。
武田鉄矢さんの話はどこまでがホントなのかよくわからないのですけれども(どうもネタっぽい 笑)、「引き抜き」といった不穏なことではなかったにせよ、当時の博多の音楽シーンの一線級を率いて東京へ行ったというのは本当のことで、チューリップを「我等の代表」として見る目もあったと聞いたことがあります。それだと「平和的」であり財津さんが自分勝手ということでもないような…。でも僕も又聞きばかりで実際のところは知りません(汗)。
財津さんのあの浮き上がるようなメロディーラインは本当にいいですよね。自分の人生のラストシーンに「子供の頃から幸せが好きだった…」と流れるのは素敵かもしれません。おそらく100歳までには相当の年月がありますので、音源をしっかり確保しておかないといけませんよね(笑)。
5年前に財津さんがソロコンサートでわが町に着まして・・・。かなりお年を召していましたが「いい男」でした。でも高音がかなりきつそうでしたね。あの年になってもまだ歌えるってことが私には脅威ですけど。
おっしゃる通りです。あの転調で「さよなら道化者」は完結ですよね。沸き起こるメロディー。なんていい曲なんでしょうか。「そして今も幸せが大好きです!」と胸を張って歌う財津さんの声に目の前が開けていく思いがします。
財津さんはいい男ですね。しかも年輪を重ねてどんどん渋みも増してよくなっていく。同じ男として憧憬です。もう今は58歳ですよ。まさしく「脅威」ですねぇ。ああなりたいもんです(なれませんけど…(T-T)シクシク)