我夢土下座で、「カム・トゥゲザー」。まあ語呂合わせのバンド名ですがそれはさておき。
ナターシャセブンに凝っていた少年の頃の僕は、後に関連して我夢土下座というグループを知ることになる。岐阜県恵那、あの伝説のフォークジャンボリーが行われた坂下椛の湖で、笠木透さんと田口正和さんを中心としてフィールドフォークと呼ばれる山や川の自然を歌い続けたグループであり、その透き通った言葉と旋律は青春期にさしかかった僕の心をとらえた。HPはこちら。
最初に手にしたLPは「フィールドフォーク フロム中津川Vol.2」というLPレコード。高石ともやさんらとジョイントしているのだけれど、本当に繰り返し繰り返し聴いた。
フォークソングとはそもそも「民の歌」でありその地に根ざして生まれ来るもの。日本ではフォークと言えば最初は輸入品であり、その中からカレッジ・フォークと呼ばれる大学生を中心にしたムーブメントが興り、マイク真木などの洗練された歌い手を生んだ。また時代背景から反戦フォークが興り、世情を諷刺した叫びの歌が岡林信康らを中心に生まれた。いずれも日本のフォークソングを作った萌芽だったのだけれど、自分が生きている風土、自然、そして人生から生まれたものではなく厳密に言えば「フォーク」ではなかったのかもしれないと思う。社会性は反映していたけれど、民族音楽、民謡としての大地に根ざしたものからは少し遊離していたのかもしれない。その隙間を埋める存在が「我夢土下座」だったのではないか。
めぐる春の水光る 川のほとりのねこやなぎ
春を告げる花なのに 心を開く人は無し
「川のほとり」という歌の一節だが、まだ人生のなんたるかも知らなかった少年の僕に深く染み渡っていった。
同じ土 同じ草 変わりはないのか悲しいぞ
人は去り 時は流れ 変わってゆくのか悲しいぞ
刻み付ける詩のことばのひとつひとつに、まだ共鳴するほどの経験もなにもなかったけれど、未知への土地への憧れ、そして旅への憧れのような何かが僕の中に芽生えたとすればそのときだったかもしれない。
「わが大地のうた」というのが、比較的知られている歌かもしれない。
落葉松 米栂 針葉樹林 カモシカ 月の輪熊 走る稜線
刈萱 蚊帳釣り草 沸き立つ積乱雲 烏瓜 月見草 風渡る草原
いくたびか春を迎え いくたびか夏を過ごし
いくたびか秋を迎え いくたびか冬を過ごし…
恵那山を見つめつつ作られたと思われるこの大きな歌はフォーク界の偉大な名曲だと思う。思想が先走りがちのフォークソングの中で、この曲が存在することに非常に価値があると思うのだが。
この国の歴史を知ってはいない この国の未来を知ってはいない
けれども私はここに生まれた けれども私はここで育った
私がうたううたではない あなたがうたううたでもない
我が山々が私のうた 我が大地が私のうた…
「時は流れて」という曲はファンの人しか知らないかもしれないけれど、生きていくことってなんだろうと言うことを僕に教えてくれたような気がしている。
子供の頃は何にでも近寄ることが出来た。石も木も鳥もみんな近くにあったはずなのに、歳を重ね出来ることが限られてきた今は、山や空や海は遠くから佇んで見ている。目を開くより瞑っていた方がよく見えるようなそんな気がして。そんなひとりの人の話。僕にとっては永遠の名曲だ。
あの頃私は若かった あの頃私は何でも出来た
雨や波や雲や逆巻く嵐の 只中に只中に飛び込んで
訳もわからずぶつかって行った
近づきすぎて傷ついたり 遠く離れて不安になったり
ただ動いていた私の青春 時は流れていった
これから青春期を迎えようとしていたあの頃。期待と不安を胸に抱きながら毎日を過ごしていたあの頃。今はもうそんな時代も遠くに過ぎ去ってしまったけれども、戻らない「時」に対して、力いっぱい生きたか? 後悔はなかったか? そんな問いかけをされているような気に「我夢土下座」はさせてくれる。
ナターシャセブンに凝っていた少年の頃の僕は、後に関連して我夢土下座というグループを知ることになる。岐阜県恵那、あの伝説のフォークジャンボリーが行われた坂下椛の湖で、笠木透さんと田口正和さんを中心としてフィールドフォークと呼ばれる山や川の自然を歌い続けたグループであり、その透き通った言葉と旋律は青春期にさしかかった僕の心をとらえた。HPはこちら。
最初に手にしたLPは「フィールドフォーク フロム中津川Vol.2」というLPレコード。高石ともやさんらとジョイントしているのだけれど、本当に繰り返し繰り返し聴いた。
フォークソングとはそもそも「民の歌」でありその地に根ざして生まれ来るもの。日本ではフォークと言えば最初は輸入品であり、その中からカレッジ・フォークと呼ばれる大学生を中心にしたムーブメントが興り、マイク真木などの洗練された歌い手を生んだ。また時代背景から反戦フォークが興り、世情を諷刺した叫びの歌が岡林信康らを中心に生まれた。いずれも日本のフォークソングを作った萌芽だったのだけれど、自分が生きている風土、自然、そして人生から生まれたものではなく厳密に言えば「フォーク」ではなかったのかもしれないと思う。社会性は反映していたけれど、民族音楽、民謡としての大地に根ざしたものからは少し遊離していたのかもしれない。その隙間を埋める存在が「我夢土下座」だったのではないか。
めぐる春の水光る 川のほとりのねこやなぎ
春を告げる花なのに 心を開く人は無し
「川のほとり」という歌の一節だが、まだ人生のなんたるかも知らなかった少年の僕に深く染み渡っていった。
同じ土 同じ草 変わりはないのか悲しいぞ
人は去り 時は流れ 変わってゆくのか悲しいぞ
刻み付ける詩のことばのひとつひとつに、まだ共鳴するほどの経験もなにもなかったけれど、未知への土地への憧れ、そして旅への憧れのような何かが僕の中に芽生えたとすればそのときだったかもしれない。
「わが大地のうた」というのが、比較的知られている歌かもしれない。
落葉松 米栂 針葉樹林 カモシカ 月の輪熊 走る稜線
刈萱 蚊帳釣り草 沸き立つ積乱雲 烏瓜 月見草 風渡る草原
いくたびか春を迎え いくたびか夏を過ごし
いくたびか秋を迎え いくたびか冬を過ごし…
恵那山を見つめつつ作られたと思われるこの大きな歌はフォーク界の偉大な名曲だと思う。思想が先走りがちのフォークソングの中で、この曲が存在することに非常に価値があると思うのだが。
この国の歴史を知ってはいない この国の未来を知ってはいない
けれども私はここに生まれた けれども私はここで育った
私がうたううたではない あなたがうたううたでもない
我が山々が私のうた 我が大地が私のうた…
「時は流れて」という曲はファンの人しか知らないかもしれないけれど、生きていくことってなんだろうと言うことを僕に教えてくれたような気がしている。
子供の頃は何にでも近寄ることが出来た。石も木も鳥もみんな近くにあったはずなのに、歳を重ね出来ることが限られてきた今は、山や空や海は遠くから佇んで見ている。目を開くより瞑っていた方がよく見えるようなそんな気がして。そんなひとりの人の話。僕にとっては永遠の名曲だ。
あの頃私は若かった あの頃私は何でも出来た
雨や波や雲や逆巻く嵐の 只中に只中に飛び込んで
訳もわからずぶつかって行った
近づきすぎて傷ついたり 遠く離れて不安になったり
ただ動いていた私の青春 時は流れていった
これから青春期を迎えようとしていたあの頃。期待と不安を胸に抱きながら毎日を過ごしていたあの頃。今はもうそんな時代も遠くに過ぎ去ってしまったけれども、戻らない「時」に対して、力いっぱい生きたか? 後悔はなかったか? そんな問いかけをされているような気に「我夢土下座」はさせてくれる。
コメントありがとうございました。
凛太郎さんも相当な龍馬フリークですか?(^o^)
龍馬が生きていたら歴史はどうかわっていたのかな?なんて思いますよね。
本当に残念なことです☆
残念と言えば、本当に鶴田もブロディーもいないのが残念でありますね。
に、してもノーザンライトは健介でなく北斗って入れてるところがプロレス歴を感じます
私は先日曙がWWEリングに上がったことにブツブツ言ってます。確かに彼を生かすのはWWEが良いと思いますが‥。仁義切っていかないとね!
龍馬はんのことはやっぱり長いこと追いかけてます。まあしょうがないですねこの人の事を知ると。しかし、あんまり書き散らすのも何かと思いまして書きませんでしたが、「竜馬がゆく」より前に「隠された十字架」「黄泉の王」は読んでましたね(笑)。奈良に行くのが無上の楽しみです。
曙はだからK-1に最初から行かなければよかったのにねぇ…。