凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

旅の移動手段 その3 周遊券

2007年10月27日 | 旅のアングル
 周遊券という言葉は、辞書的には一応まだ残っている。しかし僕がこれから書こうとしているものは、その昔の国鉄・JR時代に盛んに用いられた「ワイド・ミニ周遊券」と呼ばれた均一周遊乗車券の話であるので、この記事はもう資料的にはなんの価値もない。そのことをお断りしておく。以下はただの思い出話である。

 でも、「周遊券」と書いて、若い人にはなんのことか分からない人もいるかもしれない。これが廃止されてもう10年近く経つのだから。かつてそういうものがあったのである。若者が旅立つのに最適の切符が。
 細かい定義を書くことは僕の手に余るので、「北海道ワイド周遊券」というものを例にとって考えてみよう。この切符は、北海道に行くにあたり、その往復行程(急行までは使用可)を含み、そして周遊区間内(この場合は北海道全域)の列車乗り放題(特急列車含む)という楽しい切符なのである。
 有効期間は出発地によりマチマチであるが、僕が当時居た京都市内からだと20日間有効、そして値段は20年前で4万円強であったか。さらにこれには冬季割引というものもあり、10月から5月までは2割引、さらに学割が効くのでその上2割引、冬の北海道だと2万5千円くらいで急行券付き往復券と北海道全域特急券付き乗り降り自由という素晴らしい切符が手に入ったのである。
 これが、北海道のみならず東北全域、北陸全域、九州全域などのくくりで発行されていた。これがワイド周遊券。もう少し規模の小さいミニ周遊券というのもあって、例えば「仙台・松島」とか「広島・宮島」とか。扱いはワイド周遊券に準じていた。
 これが廃止されたのには、様々な理由があるとは思うが最大のものは「採算がとれない」からなのだろう。国鉄が分割されてもまだその命脈は10年くらいは保たれていたのだから。時代の流れなのだろう。今はもっと規模の小さくなった「周遊きっぷ」というものが代替品としてあるが、使用日数も少なく使いでがかなり悪くなった。ゾーン券とアプローチ券って何だよ。残念である。
 
 この切符が優れていたのは、もちろん料金的なことが一番なのかもしれないが、なにより「区間内乗り降り自由」である点だろう。だから、旅の予定がどんなに狂おうとかまわなかった。旅行の計画というのはもちろん綿密に立ててしかるべきだとは思うが(その計画を立てる過程がまた楽しい)、その計画は旅先では一日にして崩れることが多々である。旅行ってそういうもの。現地に行けば、ガイドブックでは知りえない情報が溢れている。友達もたくさん出来る。そうした中で、自分の当初計画なんて直ぐに木っ端微塵になる。その崩れ去るときが実に楽しい。これが旅の醍醐味とも言える。そしてどんなに崩れたって周遊券は対応してくれるのだ。乗り放題なのだから。
 僕は自由な時間が確保出来た学生時代に、北海道ワイドを2回、東北ワイドを2回、信州ワイドを1回、東京ミニを2回使った。夏は自転車主体の旅行だったので春冬ばかりだったが。また自由な時間がとれなくなった社会人となっても周遊券はよく使った。結局正規に切符を購入するよりそっちのほうが割安だったからである。ミニ周遊券はもちろん、北海道ワイドも何度も使った。自転車を畳んで持ち込み、北海道のいいところまで列車で行ってそこで自転車を組み立てて乗った。前回僕は「ヒッチをするサイクリスト」と揶揄される話を書いたが、この時期はよく「周遊券を持つサイクリスト」と馬鹿にされた。事実、この区間は自転車で走るとしんどいな、と思ったら直ぐに畳んで列車に乗ってしまった。軟弱このうえなかったが、旅に柔軟性が出たので楽しかった。

 周遊券にまつわる思い出は列挙に暇がない。これは僕だけではなく、周遊券で旅をした経験のある人ならみんなそうだろう。
 まずアプローチからして楽しい。例えば京都から北海道へ行くとして、普通は日本海周りで行くのが妥当だが、太平洋周りで行ってもいいのである。早朝に京都を出る。周遊券では新幹線は特急料金が別となるので、普通列車を乗り継いで行く。そして東京で途中下車。友人と会ったり遊んだりして、上野発の急行「八甲田」に乗る(八甲田が無くなって久しい。北海道を旅する人にとってこんなに著名な列車も無かった)。急行の自由席は周遊券で乗れるので、北海道までは周遊券以外の金銭はかからない。そして「八甲田」の車中は、同じように北海道に行こうとする旅人で溢れている。探せば必ず一人や二人は知り合いが居たりして。
 「おお久し振りだな凛太郎。お前も北海道か。あれ、あっちにヨーコちゃんもいるぞ。ヨーコちゃーん」
 「あららヤマちゃんにヨーコちゃん久し振り。ほんでとりあえずどこまで行くんや?」
 「いや、決めてないんだけど札幌までは出ようかなと」
 「私はまず支笏湖に行こうと思ってるのよ」
 「ほんなら僕も支笏湖に行こかいな」
 「待てよ、俺も一緒に行きたい」
 てな感じである。そして皆で一杯やりながら、これから行く北の大地に思いを馳せる。楽しい。

 周遊券のいいところは、繰り返すが区間内であれば特急、急行であろうとも自由席なら乗り降り自由のフリーパスであるというところである(新幹線除く)。なので、これは宿代わりに使える。区間内に夜行列車が走っている北海道や九州ワイドであれば、これに乗り込むことでお金がなくとも一晩過ごすことが出来る。
 僕は期限内20日間のうちで、この夜行列車の夜明かしで6、7日は過ごした。宿代節約である。中には全て夜行列車を乗り継いで過ごす剛の者もおり、疲れるが金銭的余裕が全く無くても北海道や九州に居続けることが出来るのだ。
 例えば北海道の場合、富良野に居ても小樽に居ても、日が暮れれば札幌に戻ってくる。20年前の当時は、札幌から「まりも」(釧路行き)、「大雪」(網走行き)、「利尻」(稚内行き)という三本の自由席付きの夜行急行が走っていた。夜半過ぎにこれに乗り込んで一夜の宿とする。同じように考えている旅人達が午後8時くらいから三々五々札幌駅に集まってくる。さて今日はどの列車に乗ろうか。そんなお気楽気分で席確保のために並ぶのもまた愉悦だった。今日は「まりも」にしよう。そうしてあまり傾かないリクライニングシート(腰を浮かせばガタンと傾斜が元に戻ってしまう不自由な席だったが)に身体を埋めて寝る。「ホテルまりも」なんて言葉があったなぁ。一夜明ければ最果て、釧路湿原の雄大な白原が目の前に広がる。
 こうして夜行で一夜を過ごす限りは必ず移動が伴うのは自明のことであるが、どうしてももう一日札幌に居たい(あるいは釧路や稚内に居たい)と思った場合。そのためによく旅人は「新得返し」「上川返し」「名寄返し」と言われるワザを使った。札幌から急行「利尻」に乗り込む。下りの利尻は、夜中に途中の名寄駅で稚内から来た上りの急行利尻とすれ違う。停車時間があるので、ここで上りの利尻に乗り換えるのである。朝になればまた札幌に着く。これが「名寄返し」。同様に新得や上川でも上りと下りを乗り換える。
 このワザは、まず夜中2時頃に起きられるか、ということに掛かっている。僕は返すつもりでつい熟睡しちゃった失敗もしている。また、乗り換えたとしても途中駅であるので席を確保できるかどうかの保証はない。それでも旅人は果敢に返す。よくやるよ全く…。

 こうして周遊券の有効期間である20日間は瞬く間に過ぎる。旅は時間の過ぎるのが早い。それでもまだ時間があって帰りたくない場合。
 これは違法行為なのでここに書いていいかどうか迷うが、もう周遊券も廃止されて久しいし真似される恐れもなく、既に時効であると思うので書いてもいいだろう。そういう場合は「周遊券交換」というワザを使うのである。
 旅行をしているのは暇な学生やフリーターばかりではない。休みをとってやってきている社会人もいる。そういう人たちは期限である20日を使い切らずに帰っていく。そういう有効日数の余った周遊券をこっそり自分の切れかけの券と交換してもらうのである(あくまで違法)。
 有効期限があと何日かに迫った旅人は焦りだし、宿で誰かれかまわず声をかけ出す。
 「どこから来たのですか?」
 「えーっと、東京です」
 「そちらの方は?」
 「京都ですけど…」
 「あー僕と同じですねー。いつ北海道に来られたのですか? いつまで居られるの?」
 「3日前に来たんですけど、そんなに長くは居られないのですよ。一週間が限度なの」
 「えっそうなんですか…(内心ニンマリ)」
 そして、周遊券の交換の交渉に入るのである。僕の周遊券あと5日間なんですけれども、貴女はあと3、4日で帰られるのですよね。よかったら交換してくれませんか? 僕はもう少し北海道に居たいんですよ。僕も同じ京都から来てますんで問題はないと思うんですけど。なんとかお願いっ(最敬礼)。
 「えーでも私復路は飛行機なんですけど。立体周遊券(片道は飛行機利用)なんです」
 …交渉不成立だ。残念っ。
 そして次の旅人にまた声をかけるのである。しかしこういうことを繰り返せばなんとか旅程は延長できる。そうして本来20日間有効の切符を引き伸ばしてゆくのである。コツは、まだまだ自分の期間が長いうちに(あと半分くらいの時から)交渉行為を始めて、しかも一気に延ばそうと思わず一日でもいいので交換していくことである。少しづつ繰り返せばなんとかなる。
 しかしこんなことを書いてもしょうがないな。もう周遊券は廃止されているのだから。またこういう行為が周遊券廃止の一因にもなったのだろうな。反省。でも長く旅をしたかったんだもん。

 そんなことをしていてもやっぱり僕にも旅の終わりはやってくる。交換営業も限界があり、またフトコロにも限界がある。無限に旅もしてはいられない。
 それでも出来るだけ旅を引き延ばしたい。なのでこういう手を使う。
 周遊券は20日有効であるが、その最後の20日目に改札を通れば、あとは途中下車は出来ないが汽車に乗り続ける限りは、有効日数を過ぎても出発地までは戻れるのである。途中下車してしまえば前途無効になるのだが。
 なので、有効期限ギリギリの20日目、もう日が暮れているのに僕はまだ北海道の北の果てである浜頓別のユースホステルに居る。そんなところに居てもいいのか。それでも帰れるのである。
 何食わぬ顔で皆と夕食をとり、ティータイムも過ごしてそろそろ消灯時間。その頃おもむろに「じゃあさよなら。また逢いましょう」
 荷物をまとめて浜頓別駅へ。ここから天北線(現在は廃止)に乗り込む。時間は22時過ぎ。周遊券を出して改札を通る。改札を通るのはこれで最後、あとは京都に着くまで外には出られない。
 浜頓別から上り列車で音威子府へ。ここで、稚内からやってきた急行「利尻」に乗り込む。そして早暁札幌へ。札幌から特急で函館に出て、函館から青函連絡船に乗り継ぐ。青森からさらに夜行急行「八甲田」。そして上野に着いたら山手線で東京、そして東海道線の急行「東海一号(懐かしい)」で静岡。そこからは普通を乗り継いで京都に帰る。車内二泊、20日有効の切符が22日間有効に化けるわけである(これは違法でもなんでもない)。

 僕は何度かこの手を使ったが、ただ、これで僕は綱渡りをしてしまったことがある。
 この乗り継ぎ帰郷は、待ち時間でも駅構内から出られないところに難がある。「利尻」が札幌に着くのは朝6時前。冬だともう寒くてたまらない。次の室蘭本線の特急「北斗」まで、まだ1時間半もある。暖がとりたい。僕はつい、そこに停車していた函館本線の小樽行きに乗った。この列車に乗って、小樽経由で普通列車を乗り継いで長万部に出て、そこから特急に接続しても充分に青函連絡船に間に合う。そう計算して小樽行きに身を委ねた。
 これが失敗だったのである。小樽までは順調だったのだが、そこから先の列車が降雪でストップしてしまったのだ。いやストップではなく「のろのろ運転」。これでは計画が水泡に帰す。焦って僕は車掌さんのところへ行った。
 「この列車が長万部で接続しないと僕は京都に帰れないんです(涙)」
 「えっそんなこと言われても(汗)」
 列車は一応動いているのだが、下りが来ないためにすれ違えず倶知安でまた30分待ち。どうしよう。
 「倶知安を過ぎればこっちの列車が優先列車になるのでスムーズに行けると思うのですが。ただいまの連絡で除雪はかなり進んでいるようですし」
 「ああどうしよう」
 「なんとかしてあげたいのですが」
 車掌さんはあちこちに連絡して様子を聞いてくれている。僕はずっとその傍で手に汗を握る。所持金はこの時、既に1300円しかなかった。周遊券の期限は過ぎている。乗り継げなければもう終わりである。
 「特急列車はあまり長い接続だと待ってはくれないのですよ(そんな絶望的なこと^^;)」
 「でも、この大雪だと室蘭本線も遅れが出るかもしれないじゃないですか?車掌さん!」
 「そうですね。特急も遅れてくれればいいんだ」
 最後のセリフは国鉄職員としては言ってはいけない台詞だと思うが、それだけ親身になってくれているのである。
 そうしているうちに、列車は走り出しどんどんスピードを上げた。
 「もう大丈夫です。優先列車になりましたのですれ違いで待たなくてすむようになりました。このくらいの遅れだと特急は接続をとってくれます」
 そうして、ずいぶんと遅れたが列車は長万部に滑り込んだ。特急「北斗」は向こう車線に居た(ホッ)。これで家まで帰れる。僕は車掌さんと固い握手をして、「北斗」に乗り込んだ。

 こういう失敗もあるので、旅は余裕を持った方がいいかもしれない。22日間有効にしようなどと姑息な手段をとった報いである。
 後日談があって、僕は次の年の冬も北海道を訪れたのだが、札幌駅でこの車掌さんに偶然再会した。
 「ああ、あなたはあの乗り継ぎで焦っていたお客さんじゃないですか(笑)」
 一年も経つのに憶えていてくれたのか。あのときは騒いじゃったからなぁ。僕は一年越しのお礼を言い、無事帰れたことを報告して再び握手をしたことは言うまでもない。
 
 

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5 コメント

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周遊券 (jasmintea)
2007-10-28 05:37:58
私は岡山に帰る時はいつも周遊券を使っていました。
現地での交通費を考えると便利ですものね。
前の会社では外国人の方の周遊券を無料で頂き(日本全国無料なんですよ~)京都・奈良を日帰りで旅行したり♪
でも「交換」は頭になかったです。
記事を拝読し「なるほど♪」と感心!

1年越しの握手って良いですね~。やっぱり世間は暖かだな。
こういう体験が今の凛太郎さんを形作っている…いろいろな体験をすることは必要なこと、と改めて思いました。

私も文化の日にミニ周遊券を使い香取神宮を見に佐原に行く予定です。
片道2000円近くの交通費がが2300円で乗り降り自由♪
使わなきゃもったいないですよね~^^
返信する
あ そうだったのか。 (まるちゃん)
2007-10-28 22:38:35
「旅行の計画というのはもちろん綿密に立ててしかるべき」…!
いまのいままで 気づかなかったあ。
そっか あの時のしっぱいの原因は。
そっか ふだんきちんと計画建てるまるちゃんが 
旅だけは そうしなくていいと思って。
それで いっぱいしっぱいしたあ。

でも もちろん 凛太郎さん言ってる。
「その計画は旅先では一日にして崩れることが多々である。旅行ってそういうもの。」
行き当たりばったりのまるちゃん 旅たのしかった。

ところで ミステリーの犯人って 
時刻表とかいや鉄道そのものを 信頼できるのスゴい。
返信する
書き落としました。 (まるちゃん)
2007-10-29 06:21:49
旅でヒトとのすてきな出会い いっぱいね。
凛太郎さん 初対面でヒトの心を掴むことができるのね。
そこが いちばん印象的でした。
返信する
>jasminteaさん (凛太郎)
2007-10-29 23:33:11
周遊券は便利でしたよね。使い方によってはかなりお得でしたし。たいていは往復だけでモトがとれましたから。
それにしても外国人用周遊券とは。それってレールパスのことですよね。あれを日本人が使用してよく咎められませんでしたよねぇ(笑)。絶対にバレるのに。それともjasminさんって相当日本人離れした外見をなさっておられる? (笑)
香取へ行くのに2300円の周遊券があるとは。そんなの僕は知りません。激安ですね。JR発行の正規のじゃなくて何かのイベント切符なのかな?

まあいろいろ旅行では抜けた経験や助けられた経験もしました。まだまだ書き尽くせてはいないのでこれからもおいおい書いていきたいとは思いますが、間違いなく糧にはなっているだろうなと思います。人格形成のために旅をしていたわけじゃないので振り返ってみれば、ということですけどね。(^-^)
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>まるちゃん (凛太郎)
2007-10-29 23:40:16
「綿密に立ててしかるべき」と強く書いちゃいましたが、これはどうも若い頃の反発心からきているのかもしれません。「旅に計画立てるなんて愚か者」なんて言う「自称・旅の達人」てな手合いが昔はよく居たんですよ。何を言うか。計画を立てる楽しさを何故放棄しなくちゃいけないんだ。どうせ崩れるとしても。んでよく噛み付いたりしていましたので、その後遺症かな。
もちろん人に強制したりしなければ、計画なんて立てようが立てまいが自由だと思いますねー。なーに僕も結局行き当たりばったりになるのです。確かに宿の予約なんてするだけムダということもあります(笑)。

雪で列車が遅れる、とかいうのは往々にしてあることですが、日本は間違いなく時刻表どおりに列車を運行させることについては世界一であろうと。だからダイヤが乱れただけでニュースになる。過密ダイヤが結局正確にせざるを得なくしているのですけれどもね。鉄道ミステリーはあんまり読まないのですが、トリックを仕掛けるに値する運行形態だとは思うのですね。

僕が初対面で…というのは自分ではよくわからないのですけれども、旅行中というのはシガラミもなんもありませんから結局「素」が出てしまうのではないかと思います。そこが交流にはいい面として出ているのかもしれません。あとは、いい人とばかり出逢えた僕の運の強さかな。
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