ヨガセラピ- by ナターシャ

ヨガによって身体感覚を取り戻し元気になることを具体的に紹介していきます。

得ることと失うこと

2010年03月26日 | 
インテグラル・ヨーガ―パタンジャリのヨーガ・スートラ
スワミ・サッチダーナンダ
めるくまーる

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実はこの本はまだ読みきっていません。

仕事とヨガレッスンの間の休憩時間などに少しづつ読んでいます。

不思議なことに数ページしか読まないのに自分、もしくは周りの誰かにぴったり当てはまる深い事が書かれてあります。

昨日読んだところから何箇所か抜粋してみます。

実習部門の中に書かれていることです。

この世の体験のすべて、世界を通じて、自然や物質を通じて外界から来る体験のすべては、結局のところ苦である。

その中のどれ一つとしてわれわれに永続的な幸福を幸福を与えてはくれない。

それらは一時の喜びは与えてくれるだろう。

だが最後はいつも苦に終わる。

たった今享受しているこの喜びも、それを失うことへの恐れゆえに、通常は苦である。



またそういうことに振り回されないヒントとして


“何だって”持ったらいいのだ。
                                                                                  ただし、それらのものをして懸念や恐れを持ち込ませないかぎりにおいてだ。

もしそれらが来るなら来させ、それらがあることを楽しめばいい。

だがそれらが出ていくときは、そのその出立を楽しもう。

それらが来るときはひとりで来たのだ、だから今度もひとりで行かせよう。

外から来た物と一緒に自分の心まで運び去られることなく。。。。



人は何かに執着し、その中によりどころを得てなんとか生きているのだと思います。

でも時にはそういうものを捨て先に進まなくてはいけない時もあります。

子供の旅立ち、仕事の上でのポジションの変化、自分の所有している物を手離す、美貌(私に関しては無縁ですが。。。)

自分の心まで運び去られないという言葉気に入りました。

その自分の心を守るために何かを捨てるのだったら喜んで捨てよう!

環境を変えるのは頻繁すぎるのは問題があると思います。

一箇所でじっと耐えることも時には必要な事だから。

でも一大決心をした上での旅立ちならば応援する人は沢山いるはずです。

旅立ったなら後戻りは出来ない、険しい茨の道でも進むしかありません。

スマナサーラさんは苦しい状況から別の場所に変わったとしてもそこでまた別の苦しみが生まれると仰いました。

座る瞑想が辛いから立つ瞑想、歩く瞑想に変えたとして楽なものがあるわけではありません。

インテグラルヨーガの中にもう一つちょっと救いになる文章がありました。

世界は、執着することなくそれを使うことを学ぶ、トレーニングの場である。
                                                                                  そうするとこの「識別する者にとって、すべては苦」というのが、「識別する者にとってはすべてが楽」になる。

そういう理解の力を備えた人は、何でも幸福に変えてしまう魔法の杖を持っている。

苦と楽は、他ならぬあなた自身のアプローチの結果である。

同じ世界が天国にもなるし地獄にもなるのだ。


自分が重い責任を負う仕事を任されたとしてそれに重圧を感じ滅入ってしまうか自分が認められたことを誇りに思いやる気がみなぎるか。。。それこそアプローチの違いで感じ方は全く違ったものになりますね。




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