夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

富士図 青木夙夜筆

2013-06-04 06:23:33 | 掛け軸
先週は青山のアクアヴィットというスカンジナビア料理のお店で客先と会食。料理はそれほどではありませんが、なかなか雰囲気の雰囲気の良いお店でしたが、ついつい仕事の話に夢中になり時間延長・・。

家内に報告したら「あとで連れて行ってね」だと



いいお店には「あとで連れて行けばよかった」と後悔しないように連れて行くことにしているので、近日一緒に行くことにしようと思っています。

本日の作品は前々から欲しかった青木夙夜の作品です。ようやく入手できました。ご存知の方は少ないとは思いますが、小生、念願の画家の一人でした。

富士図 青木夙夜筆
絹本淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1290*横625 画サイズ:縦315*横540



印章は「余浚明」と「余夙夜」の二顆の白文朱方印が押印されており、同じ印章が押印された「秋景富岳図」の作品が思文閣墨蹟資料目録第422(453)号作品NO31(61)として掲載されている。



  



青木夙夜:生年: 生年不詳 、没年: 享和2年10月23日(1802年11月18日)、他の資料では天明頃(1781〜1789)歿とあります。江戸中期の南画家。




名は浚(俊)明。通称庄右衛門。字は大初、のち夙夜。士風、(大雅)春塘、八岳(山人)と号した。馬韓の余璋王の末裔といい余姓を名乗った。韓天寿の従兄弟。京都の人。天寿を介して早くから池大雅に師事。




師を敬慕すること篤く,天明4(1784)年玉瀾(大雅の妻)没後,大雅の遺作・遺品の一部を処分して,京都東山双林寺境内に大雅堂を建立。田能村竹田著『山中人饒舌』によれば,以後十数年間、大雅堂2世と称して堂を守り画作にふけった。



大雅作品の鑑定に詳しく,また忠実な模写にも努めたが,自らの画風はまじめで穏和である。寛政12(1800)年,大雅25回忌を主催。晩年は伊勢(三重県)へ移住し,松坂で没した。




補足資料
近世松阪の文芸界でセンター的地位を占めていたのが、町の中心部にある岡寺山継松寺です。同寺には、そうした画家たちによる書画類が今も多数伝えられています。青木夙夜もこの継松寺とゆかりの深い画人の一人ですが、 彼の生涯には不明なところが多くあります。夙夜は京都に生まれたようですが、生年は明らかではありません。従兄弟の関係にあった韓天寿を頼ってしばしば松阪に滞在し、この地で没したようです。





また夙夜は、池大雅の跡を継いで2世大雅堂を名乗るなど、松阪だけではなく京都を中心とした18世紀後半の文化に少なからぬ足跡を残しました。画家としての夙夜は、師である池大雅から大きな影響を受けています。 彼の作品には大雅風のスタイルを示す山水画が 少なくありませんし、 大雅の作品模写をたびたび行っていたことも大雅と彼との深いつながりを示す証左といえるでしょう。夙夜の作品はさほど多くありませんが、現存する作品はいずれも、当時の最先端文化であった中国文化に対する強い関心を示すとともに、清洌で繊細な感覚にあふれています。


参考作品
「林紅峰白図」
思文閣「和の美」墨蹟資料目録 第451号 作品NO63








秋景富岳図
思文閣「和の美」墨蹟資料目録 第453(422)号 作品NO61(31)







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