もろもろの天は神の栄光をあらわし、
大空は御手(みて)のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜に告げる。
話すことなく、語ることなく、
その声も聞こえないのに、
その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてまで及ぶ。
(詩篇第19編 第1節から4節)
. . . 本文を読む
「健康な人に医者はいらない。
いるのは病人である。
わたしが来たのは、義人を招くためではなく、
罪人(つみびと)を招いて悔い改めさせるため
である」。
(ルカによる福音書 第5章 31節 )
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この主イエス・キリストのみことばは全聖書中の中で . . . 本文を読む
正しい人の持ち物の少ないのは、
多くの悪しき者の豊かなのにまさる。
(詩篇 第37編 第16節 )
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上記の聖書のみことばは、現代ではあまり受けが良くないかもしれないが、フツーのクリスチャンのわたしには主イエス・キリストの愛と正義のみことばであり、すなわち真理そのものだ。
フツーのクリスチャ . . . 本文を読む
いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリントへの第一の手紙 第13章 第13節 )
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この聖書の言葉は、使徒パウロという主イエス・キリストの弟子が書いた「手紙」の中でも最も有名な一節である。
ここでパウロが言っている「信仰」とはも . . . 本文を読む
つるぎをもって悪しき者から
わたしのいのちをお救いください。
(詩篇 第17編 13節 )
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ここで書かれている「つるぎ」とは、いわゆる戦争の武器の「剣」ではない。
ずばり主イエス・キリストの「みことば」である。
わたしのようなフツーのクリスチャンにとって主イエス・キリストの「みことば」は . . . 本文を読む
富んでいる者が神の国にはいるよりは、
らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。
(マルコによる福音書 第10章 第25節 )
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日本でも、クリスマスシーズンになると街にクリスマスツリーが飾ってあるものだ。
わたしたちはフツーのクリスチャンとしてこれを主イエス・キリストの御力(みちから . . . 本文を読む
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村にはいられた。
するとマルタという女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという名の妹がいたが、主の足元に座って、
み言葉に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで
忙しくて心をとりみだし、イエスのところに来て言った、
「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんとも
. . . 本文を読む
そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、
花婿を迎えに出ていくのに似ている。
その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
思慮の浅い者たちはあかりを持っていたが、油を用意して
いなかった。しかし、思慮深いものたちは、自分のあかりと
一緒に、入れ物の中に油を用意していた。
(マタイによる福音書 . . . 本文を読む
イエスは、さまざまの病(やまい)をわずらっている
多くの人々を癒し、また多くの悪霊を追い出された。
(マルコによる福音書第1章 第34節)
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新約聖書を読んでいると主イエス・キリストがあらゆる病気をいやされたと書いてある。
いわゆる「病気のいやし」のエピソードである。
「いやし」という . . . 本文を読む
光は、闇の中に輝いている。
そして、闇はこれに勝たなかった。
(ヨハネによる福音書 第1章 第5節)
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今、とても難しいことを勉強させていただいている。
「光」という主イエス・キリストの被造物についてである。
この別冊ニュートン「光とは何か?」を読み始めたばかりだが、わたしはフツーのクリ . . . 本文を読む