いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリントへの第一の手紙 第13章 第13節 )
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この聖書の言葉は、使徒パウロという主イエス・キリストの弟子が書いた「手紙」の中でも最も有名な一節である。
ここでパウロが言っている「信仰」とはもちろん「主イエス・キリストを信じる信仰である。主イエス・キリストを自分の救い主、自分の神として信じる信仰である」。
では、「希望」とはなんであろう?
あなたは「希望」を持って生きているだろうか?
わたしのようなフツーのクリスチャンに言わせると、これも「主イエス・キリストを自分の救い主、自分の神として信じる信仰をもってはじめていただけるのだ」。
パウロが最も大いなるものとしている「愛」。
これが最もやっかいなシロモノだ。あなたは、「愛」と聞いて何をいちばんに思い浮かべるだろうか?人間にとってそれはやはり「自分を愛してくれる人」ではないだろうか?人間は「自分を愛してくれる人」がいるだけで「生きる希望」を失わないで済むものだ。
しかし、この「愛」というものほど「人間にとってやっかいなもの」はない。
なぜかムズカシイものになってしまう。
たとえば、あなたは今彼氏や彼女がいるとして、その彼氏や彼女をはたして本当に「愛している」といえるだろうか?
そもそも「愛しているよ」ということは、どのような状態を言うのだろうか?
ただ、キスをしたり、セックスをしたり出来る間柄、セックスできる関係を考えていないだろうか?(わたしはセックスを否定しているのではないことをお断りしておく)。
ただフツーのクリスチャンとして最近の男女関係を見ていて「愛しているよ」イコール「セックスできるよね、わたしたち」となってしまっていることを残念に思っている。
わたしにとって「愛しているよ」というのは「Full Of You」ということだ。
つまりその人の大好きな部分も大嫌いな部分も全部包み込んでひっくるめて「愛せること」だ。わたしは「愛する」イコール「ご大切にする」という主イエス・キリストを信じる信仰からいただく「愛」をこう呼んでいる。
「ご大切にする」ということなら、このわたしにもできるかもしれない、となんだか「希望」が心の奥底からふつふつとわいてくる。
相手の利用価値を測ったり、値踏みをしたりするのが「愛」ではない。
ただただ「ご大切にする」ことが「愛」の思想である。
主イエス・キリストの十字架上の死。そこからの復活。
この歴史的出来事が、わたしたちに真の「愛」の姿を教えてくれている。
コロナの災禍のなか、新約聖書の福音書(4つある)のひとつでもお読みいただければ幸いと思う。
主イエス・キリストに感謝。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:愛。
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(コリントへの第一の手紙 第13章 第13節 )
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この聖書の言葉は、使徒パウロという主イエス・キリストの弟子が書いた「手紙」の中でも最も有名な一節である。
ここでパウロが言っている「信仰」とはもちろん「主イエス・キリストを信じる信仰である。主イエス・キリストを自分の救い主、自分の神として信じる信仰である」。
では、「希望」とはなんであろう?
あなたは「希望」を持って生きているだろうか?
わたしのようなフツーのクリスチャンに言わせると、これも「主イエス・キリストを自分の救い主、自分の神として信じる信仰をもってはじめていただけるのだ」。
パウロが最も大いなるものとしている「愛」。
これが最もやっかいなシロモノだ。あなたは、「愛」と聞いて何をいちばんに思い浮かべるだろうか?人間にとってそれはやはり「自分を愛してくれる人」ではないだろうか?人間は「自分を愛してくれる人」がいるだけで「生きる希望」を失わないで済むものだ。
しかし、この「愛」というものほど「人間にとってやっかいなもの」はない。
なぜかムズカシイものになってしまう。
たとえば、あなたは今彼氏や彼女がいるとして、その彼氏や彼女をはたして本当に「愛している」といえるだろうか?
そもそも「愛しているよ」ということは、どのような状態を言うのだろうか?
ただ、キスをしたり、セックスをしたり出来る間柄、セックスできる関係を考えていないだろうか?(わたしはセックスを否定しているのではないことをお断りしておく)。
ただフツーのクリスチャンとして最近の男女関係を見ていて「愛しているよ」イコール「セックスできるよね、わたしたち」となってしまっていることを残念に思っている。
わたしにとって「愛しているよ」というのは「Full Of You」ということだ。
つまりその人の大好きな部分も大嫌いな部分も全部包み込んでひっくるめて「愛せること」だ。わたしは「愛する」イコール「ご大切にする」という主イエス・キリストを信じる信仰からいただく「愛」をこう呼んでいる。
「ご大切にする」ということなら、このわたしにもできるかもしれない、となんだか「希望」が心の奥底からふつふつとわいてくる。
相手の利用価値を測ったり、値踏みをしたりするのが「愛」ではない。
ただただ「ご大切にする」ことが「愛」の思想である。
主イエス・キリストの十字架上の死。そこからの復活。
この歴史的出来事が、わたしたちに真の「愛」の姿を教えてくれている。
コロナの災禍のなか、新約聖書の福音書(4つある)のひとつでもお読みいただければ幸いと思う。
主イエス・キリストに感謝。
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