ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

真の命。まことのいのち。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年09月13日 00時05分25秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド


     そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、
     花婿を迎えに出ていくのに似ている。
     その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
     思慮の浅い者たちはあかりを持っていたが、油を用意して
     いなかった。しかし、思慮深いものたちは、自分のあかりと
     一緒に、入れ物の中に油を用意していた。


       (マタイによる福音書 第25章 1節~4節 )



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 フツーのクリスチャンであるわたしは特にこのエピソードが大好きだ。
 ほかのどのエピソードよりも、この自分に警告として主イエス・キリストが与えてくださったと全身全霊で信じている。
 上記に引用した聖書の本文の中で、「あかり」とはいったい何をさしているのだろうか?
 わたしは、この「あかり」を「主イエス・キリストへの信仰」と解釈している。しかし、それだけでは「思慮の浅い者」になってしまうという、大分恐ろしい警告である。
 では、「思慮深い者」になるためには何が必要なのだろうか?
 「油」である。
 わたしはフツーのクリスチャンとして、この「油」を忘れないように気をつけて日常生活を送っている。
 この「油」とはすなわち「お祈り」である。
 主イエス・キリストへ向かってのお祈りがなければ、わたしのすべては空しいものだとさえ思って、わたしはお祈りを欠かさない。「お祈り」が主イエス・キリストから与えられるのを全身全霊を持って感謝している。
 主イエス・キリストへの「お祈り」こそ、フツーのクリスチャンのわたしの源泉である。
 わたしは「お祈り」が与えられることによって、主イエス・キリストからの「真の命」が与えられていることを確信している。
 
 主に感謝。




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