御国がきますように。
(マタイによる福音書第6章10節 )
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「神が支配する国が来ますように」ということだ。
これは神をいわゆる最高権力者たる王さまとして大きな強い軍をもって国民を頭から文字通り100%、王の言うことに服従させ圧政を黙認させることではない。
この聖句の意味する「神の」「支配」とは、「神があなたを愛していることを自覚させていただくこと」だ。
「神に愛されているという自覚」を主イエス・キリストより戴くこと、そしてその「自覚」ほど「人間を精神的にも肉体的にも真の意味で強くするものはない」。
この拙文を読んでくださっているみなさん、どうか、マタイによる福音書第6章9節から12節にしるされている「主の祈り」を唱えてみていただきたい。この祈りはすべての宗派のキリスト教徒に向けて主イエス・キリストより与えられた「一番大切な祈り」だ。できれば「暗記」することをお勧めするものである。そして折にふれ必要と思われるとき(神の助けが必要と思われるとき)唱えてみることをお勧めする。
以前にも書いたが、わたしはある病気の症状で気絶しそうになった。「ああ、わたしはこれで死んでしまうのだ。そうだ、最後のお祈りをしよう」と思って唱えたのが、この「主の祈り」である。わたしはほとんど失いかけていた意識を取り戻し、文字通り蘇った。主の御助けによって。
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↓:♥。主の祈り。
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(マタイによる福音書第6章10節 )
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「神が支配する国が来ますように」ということだ。
これは神をいわゆる最高権力者たる王さまとして大きな強い軍をもって国民を頭から文字通り100%、王の言うことに服従させ圧政を黙認させることではない。
この聖句の意味する「神の」「支配」とは、「神があなたを愛していることを自覚させていただくこと」だ。
「神に愛されているという自覚」を主イエス・キリストより戴くこと、そしてその「自覚」ほど「人間を精神的にも肉体的にも真の意味で強くするものはない」。
この拙文を読んでくださっているみなさん、どうか、マタイによる福音書第6章9節から12節にしるされている「主の祈り」を唱えてみていただきたい。この祈りはすべての宗派のキリスト教徒に向けて主イエス・キリストより与えられた「一番大切な祈り」だ。できれば「暗記」することをお勧めするものである。そして折にふれ必要と思われるとき(神の助けが必要と思われるとき)唱えてみることをお勧めする。
以前にも書いたが、わたしはある病気の症状で気絶しそうになった。「ああ、わたしはこれで死んでしまうのだ。そうだ、最後のお祈りをしよう」と思って唱えたのが、この「主の祈り」である。わたしはほとんど失いかけていた意識を取り戻し、文字通り蘇った。主の御助けによって。
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