その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。
あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは
夢を見、あなたがたの若者は幻を見る。
その日わたしはまた、わが霊をしもべ、はしために注ぐ。
(ヨエル書第2章23節から29節 )
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この聖句から言えることは「クリスチャンの自由」とは神の霊、御霊が与える自由であるということだ。
これは何もいつも常ならぬものが見えたり聞えたり、不思議な夢を見たりすることではない。
要するにクリスチャンなら「聖霊の導き」が必ずあるから安心して自分の自由意志を行使せよということだ。
ただひとつ条件として「主へのお祈り」が上げられる。朝晩たとえ2・3分でもよいから「主よ、今日も一日御導きください。主イエス・キリストの御名によって。アーメン」とひとことお祈りしてから一日を始めてほしいものだ。
わたし自身いつも何をお祈りするかあらかじめお祈りのテキストブックなどを見て、朝はこれとこれとこれ、そして夜眠る前はこれとこれとこれと言う風に決めてある。もちろんこの通りできないこともある。
しかし継続は力なりである。いつもお祈りのおかげで「主の御導き」が与えられている。感謝である。
(継続は力なり、と言っても継続そのものに力があるのではない。御まじないでも力があるわけではない。
力は主イエス・キリストより来る。ただ「しつこい」ことが主の御心を動かすことがあるのだと思う。)
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