ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主イエス・キリストの復活(1)。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年10月28日 00時02分28秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「なぜおじ惑っているのか。
     どうして心に疑いを起こすのか。
     わたしの手や足をみなさい。
     まさしくわたしなのだ。
     さわって見なさい。
     霊には肉や骨はないが、あなたがたが見る通り、
     わたしにはあるのだ」。

      (ルカによる福音書第24章第38節 )



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 主イエス・キリストが十字架刑になり死んで3日目に墓の中におられ「復活」して弟子たちに現れてくださった時、言ったことばだ。
 主イエス・キリストの復活はいったいどのようなことなのかを大変わかりやすく説いて下さっている。
 仏教学者たちが主張するように、いわゆる「成仏」ということではない。
 だから主イエス・キリストご自身「わたしは霊ではない」とわたしたちに教えておられる。
 わたしたち人間なら誰でも興味を持ってやまないいわゆる「幽霊」ではないのだ。主イエス・キリストの復活のエピソードは日本で盛んな「毎年恒例夏の幽霊話」ではないのである。
 クリスチャンのわたし自身「主イエス・キリストの復活」ということが現実にどのようなものなのか、身にしみてわかるようになったのはごくごく最近のことだ。
 復活した主イエス・キリストの御姿(みすがた)を実際にこの眼で見て、その手足に触れ、いっしょに食事をするまで分からなかった。
 主イエス・キリストは「ひととなった神」であるが、主ご自身「ひととなった神」まるごと「復活」したのである。むずかしい神学用語で言うと、主イエス・キリストの「神性も人性も共に復活」したのだ。「いのち」というもののまるごとの「復活」である。だからフツーのクリスチャンとしてわたしはすべての人に告白する。
 「主イエス・キリストは復活して、すべての人間とすべての生き物と共に存在するのだ」と。



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     ↓:光
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