ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(A・J・ツワルスキー:5):イエスは友。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年09月01日 00時00分50秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
      病的な支配は、しばしばサディズムをともないます。
      独裁者は不必要に民衆を苦しめるばかりか、そのことに
      喜びを感じさえするのです。
      もっとスケールが小さい場合、どんな主従関係にも
      これは見られることです。
      親子、夫と妻、教師と生徒、雇い主と従業員、そのほか
      一方が他方に対して力をふるえるような人間関係です。
      そういった関係はすべて、虐待の可能性をもっています。

        (「スヌーピーたちの性格心理分析」A.J・ツワルスキー著)


 
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 日常のどんなことで、「自分が他者を苦しめる独裁者?」と感じるか。
 わたしがクリスチャンであるという立場を意識するときだ。
 特に異教徒に対してである。
 異教徒にも異教徒としての立場がある。こんな小さなわたしの日常の中にも「宗教戦争」は存在する。
 どのようにしたらわたしは異教徒を異教徒として、そのままその存在を尊重させていただくことができるのだろう。わたしは日常生活の中でいつもそのことで苦しんでいる。
 わたしたち信仰者は、自分の神や仏を自由に宣教してかまわない。
 「あなたの敵を愛しなさい」といった主イエス・キリストのみことばに従う。主イエス・キリストは「あなたがたをもうしもべとは呼ばない。あなたがたはわたしの友である」と新約聖書の中で言ってくれた。主イエス・キリストとフツーのクリスチャンのわたしとは「主従関係」ではないのだ。でもわたしは主イエス・キリストをわたしの神として、わたしの親友として、みことばに従う。主イエス・キリストは「独裁者」ではないが、この全宇宙を創造し、わたしを創造してくださったという「信仰」が、わたしにあるかぎり、わたしは主イエス・キリストに「感謝と賛美のお祈り」を日々ささげて生きる者だ。そして主イエス・キリストはの御力によって生かされているものだ。

 主イエス・キリストに学べば、病的な支配からの解放は可能だと信じる。



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