ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主イエス・キリストの命。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年04月13日 00時03分24秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「わたしは道であり、真理であり、命である」。

            「ヨハネによる福音書 第14章 6節」


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 上記の主イエス・キリストの言葉の中でクリスチャンのわたしは「命」という言葉に強く打たれてこの文章を書いている。
 いったいどのくらい「命」が無駄に残酷に殺されているのだろうか?
 この文章に付された写真は、わたしのずいぶん昔に友となった「チビ」と「トラ」という猫の写真だ。
 この二人は公園で真っ黒に汚れたボロボロの雑巾にくるまれ、さらにケーキの箱に入れられて捨てられていた。
 ピーヨピーヨピーヨピーヨという声がわたしを呼んだ。
 「何だろう、こんな夜にトリが鳴く筈はないのに」とわたしは声のする方へ全神経を集中させた。すると目の前にまだ上手く歩けずへその緒をつけたままの「トラ」がいた。「チビ」は冷たくなって動けず襤褸雑巾にくるまれたまま弱々しく鳴いていた。しかし「トラ」は勇敢な子だった。
 わたしは犬を連れてこの公園に来たのだった。
 その犬のことも怖れずにヨロヨロと懸命にわたしの前まで這いつくばって来た。わたしは「トラ」の中に「チビ」を救おうとした主イエス・キリストの「命」の尊さを感じる。
 わたしは最初、このふたりが猫という生き物だということも分からなかった。それほど小さく生まれて間もない命だったのだ。小さな命がただ救われたいという一心から、ピーヨピーヨピーヨ 主イエス・キリストの創造した命が二人でわたしを呼んだのだ。わたしを主イエス・キリストと出会わせる力として。
 それから一週間後。「チビ」はわたしの昼夜を問わない世話の甲斐なく昇天した。小さくて襤褸雑巾にくるまれた、普通の人からはゴミのようにしか見えなかったに違いない主イエス・キリストの命だった。
 十年後。「トラ」も昇天した。
 わたしは決して忘れないだろう。
 生きている神さま主イエス・キリストとの出会いと生活を。一生の宝としたいと思う。
 主イエス・キリストの「命」の尊さに全身全霊で、感謝!
 主イエス・キリストの「命」が、この文章をわたしに書かせた。すべての「命」の創造主として。感謝!



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