主よ
わたしのすべての願いはあなたに知られ、
わたしの嘆きはあなたに隠れることはありません。
(詩篇 第38篇 第9節 )
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フツーのクリスチャンのわたしは、わたしの救い主、わたしの神、主イエス・キリストにわたしのすべてが完全に知られているということに何ものにも代えがたい「安心感」を覚える。わたしの心の隅々まで、奥そこまで、魂のすみずみまで、体のすべての状態まで、主イエス・キリストは知っていてくださる。
だから主イエス・キリストは、わたしにとって「親であり、医師であり、親友」のようなものだ。掛け買いのない存在だ。
わたしは主イエス・キリストになら何でも話せる。親にも学校にも友達にも、誰にも話せないことを主イエス・キリストにならなんでも話せる。
わたしは30年ほど前に、自殺未遂を何度も繰り替かえしている。
しかし主イエス・キリストに何でも話すことによって救われた。
主イエス・キリストは目に見えないが、わたしには確かにその存在を感じることができるので、主イエス・キリストの答えも確かに戴ける。こんなわけで、わたしはわたしの家族とともに主イエス・キリストと一日中何をしながらでも話している。おしゃべりしている。
このおしゃべり(お祈りとも言う)が、わたしとわたしの小さな家族の「いのちの源泉」である。このおしゃべりが、わたしの自殺未遂の傷をいやした。
このおしゃべりをすることを守り助けてくれるのが、わたしの小さな家族である。主イエス・キリストに感謝すると同時にわたしの小さな家族にも感謝している。本当に。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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↓:チャト祈り。
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