歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

後編!(下駄のロングストーリー)

2014年08月23日 21時09分27秒 | 日記

さて、江戸学のススメの「江戸の価格」の中で「下駄」が高い事に驚いた様だった。

これでも大分安くなったのだ。

さて天狗の下駄は歯が一つだ、ところが普通は二つだよね?何故?

回答っぽい奴=「昔の加工技術が低く、元々の天狗の下駄は板でなく、丸木を割ったもので、平らな所を足に、丸い方に歯を入れた。だが、それが2つ入れると割れた可能性がある」

つまり使用する木材が「へき解性」で割って作ったからなのであろう。(つまり推測)

では江戸時代は?

ここで、重要な事。この時代、日本のみならず世界的に木工技術が特に造船技術が飛躍的に進歩したのである。何とはなれば、イギリスは最高速度30ノットのカティーサーク号を作ったのも、この頃だ。

何故か?

理由は鋸(のこ)と鉋(かんな)の進歩にある。それまでも鋸はあったが、正直「使い物にはならなかった」のである。大体、木を加工する技術と言うものはシュメールの時代から大問題であって。良くオリエントの時代で「レバノン杉の伐採」とあるが、最初の頃、エジプトの古王朝時代には鉄が存在せず、またシュメールも最初斧は「青銅」だった。青銅は刃物としては鋭くて、ある種鉄を越えたものだった。だが斧となると、全く使い物にはならず、硬い木には使えず、柔らかい木にも、暫く切込みを入れると、金槌で叩いて整形する有様であった。

鉄が出来て、ようやく森林伐採が「簡単に出来る」ようになった。実は、この鉄の進化は中国と無関係ではない。中国の文化は、紀元前3000年の頃に商王朝が成立したが、この商王朝が出来た頃には中国は森林だった。黄土高原も同じく。その中、木を切れない為に文明が広がらなかった。虫獄4000年の歴史と言うが、オリエントは8000年ぐらいある。インドも同じくである。

つまり中国は文明として「新参者」なのである。その中国の文明発展を妨げていたのが森林だった。それが伐採されるようになって、ようやく中国の王朝が何とか形になったのである。その森林は最初畑を作るためにきっていたが、その後鉄が戦争に必要になり加速度的に減少し、黄土高原は漢王朝成立頃に砂漠化していたので、恐らく戦国時代に切り落とし果てたのだろう。

実は同じようにして砂漠化したのがスペインでドレークによって「口ほどにも無く惨敗」した「無敵艦隊」を作る為に国内の森林を切り落として砂漠化が進行した。スペインにとって黄金境からの黄金の入手は却って自分の首を絞めたのだ。もっと問題なのは1990年以降この砂漠化は急激に進行しており、それが止まったと言う知らせは聞かない。

この鉄器の進歩は必ず木工細工と共になっている。或いは森林伐採と対になっている。それは鉄の精錬にコークスを使うようになっても変わっていない。鉄の形態の変化は必ず、森林=材木と影響を及ぼし合っているのである。

最初の鉄は、鋭さと強靭さを求めていて、3000~3500年前にヒッタイトが鉄を作って以来、鉄の調質が問題となっており、戦争の刃物としての進化が先で、その技術の延長線上で木材加工の道具が出来た。

宮大工は何時の時代も大工の最高峰だが、この宮大工は、江戸時代になるまで平鉋(ひらかんな)は使わず、鑓鉋や手斧(ちょうな:同番組で材木問屋を説明するイメージビデオで使われていたのが「ちょうな」である。)を使って材木の表面を削った。また、五重塔などは、往々にして荒い木質を見えない所に隠している。それは鉋と鋸が使われず、使われない理由は質が悪かったのである。

特に鋸は、昔からあるにはあったが、凡そ使い物にならなかった。すぐに歯は欠けるし、直に錆びた。また綺麗な平らの鋼の板をしなやかに作れる事はなったのだ。

その最たるものが北斎の富嶽三十六景の中の板材を鋸で切る絵である。この鋸で板材が作られるのが、日本の戦国時代の前ぐらいで、それまでは割り材で作る事が多かった。その為船の船体を薄くて強い板で構成するのは、殆ど出来ないか、削り出しでやる手間のかかるものだったのである。

実は大きさだけならオリエントの時代に菱垣廻船程度は作っていたが、直に沈んだ。理由は、強度が話にならないからだ。だから外洋に出る船は鈍重ででかかった。

そこで下駄の話となる。

下駄に使われているのは、横4~5寸、長さ6~8寸程度。この程度の厚さ1寸の板材は大変高価だった。何故なら太さ1尺以上の丸太で無いといけないからだ。同番組で紹介されたように、材木は高かった。その材木の値段は太さで決まる。当時の柱では平屋で4寸角程度で、これが材木の規格となる。この材木が1尺なら4本取れる。それに比べると、下駄の板材は、鋸を入れる長さなどを考えても手間と技が要るもので、到底安くは出来なかったのだ。

また下駄に比べ草履は減り易く、消耗品で、下駄は耐久消費財である。履物と言うくくりで見ている時点で考え方が間違っているのである。更に言うと、下駄は歯を何度も変える。この歯は身と違い、小さな為に棒手振りの小資本でも買えたのである。だから容易に変えられたのだが、身の方は代々使われたようである。

更には、下駄は雨の時にも足が濡れ難い為に、上級の人が履くステイタスの高い履物だった。例えば花魁は高下駄を履いているが、それはステイタスを証明するものなのである。また、この頃普通に下駄を履いているのは、坊主である。この坊主も社会の寄生虫として、無意味に保護され、裕福を謳歌した。

さて、そう言うと、よく時代劇で子供が下駄を履いているじゃないか?と言う馬鹿が出てくるだろう。

大きさを考えろ!横2寸、縦5寸。つまり薪に毛の生えた程度の用材で作れる。だから子供用は比較的安くで入ったのである。

さて、最後にだが、宿代だが、金を払う宿では250~300文程度を出す。それでは4500円で大層高いではないか?と謂うだろう。そこが森永卓郎君が江戸時代の論説が無理なのである。

江戸時代の旅と言うのは往々にして木賃宿に泊まり、米やおかずは買ったり、取ったりして、自前で用意するのである。また木賃宿どころか、タダの宿も多かった。これを「善根宿」と言い、街道沿いにはあったのである。この善根宿を修行僧や六部(一般人が、坊主のような事をやりながら、旅をすること)が利用したが、一般人も別に差別は無い。

ただ伊勢講を旅の全てと言うのもどうかと思う。また出発起点により、費用がまるで違う。この伊勢講は遠くからの旅は命がけで、街道沿いには、旅の途中で死んだ人間の処理が、担当の藩の役目となり、これが結構な手間だったそうだ。基本的には、同じ出所の人間を関所で見つけると、故郷の近所か?と聞いて、後事を託すのである。その時持っていたものはきちんと取ってあって形見として渡されたと「泉光院」の旅日記にありました。

因みに、伊勢などの有名な所や廻船の止まる港などでは、関係が深い藩の問屋がありました。昔問屋は、その国=藩の品物を一括して扱う「国問屋」が一般的で、その後、商品ごとの「問屋」が整備されました。つまり十組問屋などが整備された後の話なのです。

その後も国問屋は地方政府の出先機関として残り、「泉光院」の出身「佐土原」と言う小藩でも国問屋は長崎、江戸、大阪などに存在した。旅の途中で死んだ人の後事は、この様な国問屋でも請け負った可能性がある。この後事は、死んだ人に世話した手間賃の払いもあるので、この辺は生臭い。

そんな感じで、色々書いていますが、まだまだ知らない事が山ほどある。もう、江戸時代は深い深い。

実際、時代劇が書かれない訳が分かった。

凄く手間がかかるし教養も深いものが必要だが、これが売れない。私は幾つもの立派な小説を見つけたが、これが初版で絶版絶版絶版の嵐。全く、このニッポンには、小説のよしあしの分かる奴が居ない!と思って憤慨する私でした。


再び江戸学のススメ「江戸の価格」を見る。森永卓郎やっぱり何も知らない。

2014年08月23日 20時21分53秒 | 日記

経済アナリストと言う肩書きで出ていたが江戸時代のそれは何も知らないようだ。

多分、幕末・明治・第一次世界大戦(成金)・昭和金融恐慌・軍部の乱脈経済・敗戦後の狂乱インフレ対策(強制貨幣の没収)などは知らない様だ。

挙句の果てには、勘定吟味役の荻原重秀の改鋳を褒めているが、この改鋳は古くはローマ帝国でも行われており、実は過去の事例に倣っている。

江戸時代にはまともな経済学が無いと経済音痴の慶応の下衆のカスの低能の詐欺の外道のフリチ○のふざけた諭吉の手下のクズがほざくかもしれないが、実は、経済学的なものは、参考として、道理としては考えていた。

その最たるものが、中国とローマの経済運営である。また政治学でも貞観の治などの政治学や、中国の故事(史記などの正史=国が制定した歴史書)を引いているのである。

日本の学問と言うと儒学や陽明学や朱子学その他水戸学などしか無いと思い込んでいる馬鹿も居るだろうが、とんでもない話で、法律の運用や制定などは、中国の法家(商鞅・管仲・呉子)などを引いている。特に管仲は法家の中でも重商主義で、重農非商の商鞅とは隔絶しており、この管仲の考え方は大いに参考にしている筈である。

実際、管仲は中国の春秋時代が生んだジョン・メイナード・ケインズと言っても良く、何より、その成長の過程が似ている。その辺は「管子」で読まれると良いだろう。また福祉国家的な思想があり、徳川幕府が良く見落とす「衣食足りて栄辱を知る」の生活が安定すれば金を使う。部分で潔癖症が強かった。

しかし、例えばイギリスなどでは「エリザベス救貧法」などと言うものが出てやっているが、日本は徳川幕府までは、庶民の救済は一切行っていない。その際たるものが羅生門の平安時代の朝廷である。徳川幕府では、宝永の大爆発の時の救済や、浅間山の大噴火の時も救済活動を行い。また三大飢饉があったが、その後全国家的な対策を取っているのは、それ以前の歴史には無い。

更には、道哲の寺などがどうだが、女郎の押し込め寺などと言うが、落ち着き先を用意しているのは、十分評価に値する。更には、当時は治療法の無い「疱瘡」の患者は放置せずに各地の「疱瘡寺」(泉光院の旅日記にある)を用意させ「扶持=公費補助」を当てている。つまり江戸時代に限定的だが公共福祉が存在したのである。

この様な徳川幕府の美徳を無視するのは、その後、徳川以下の民衆政策を平気で行った薩長土肥の「情報操作」があった事は否定できない。

また法家は往々にして「兵家」と重なる。先にあげた三人は三人とも固有の兵法を持っている。経済と連携した兵家の論理を当時の徳川が無視したとは到底思えない。また、この頃の江戸幕府ではギリシアやオリエントの情報も持っていた。

大体において、文化というものの伝達を知らないのである。例えば、今我々が使っているハサミは「ローマ式」である。糸きりハサミ(これはオーストラリアやイギリスでは羊の毛を刈るのにも大きな奴が使われる)は「ギリシア式」である。

更には、江戸時代の計算に「算盤」は最初使われなかった。それは「高等数学」では「使いにくかった」からである。江戸時代に算盤が使われるようになったのは関孝和が算盤で高等数学が出来るように工夫してからである。

それまでは算木を使っていた。算盤はローマの計算機であり「アバカス」は算盤より先に出来た言葉だ。この算木は、実は、占いの中でも使われる。数字には、おのおの意味があり、その意味付けが中国の春秋時代には確立しており、計算も占いの中で使われていた。だからである。姓名判断で、文字の画数で判断するのにも計算が使われている。

さて、改鋳による問題については、実は「日銀通貨研究所」のディスカッションペーパーに「江戸時代における改鋳の歴史とその評価(kk18-4-2)」に、論文として出ているので読まれてはどうか?

ちなみにであるが改鋳は様々な失敗が存在しており、実質上幕府の言う価値と相場が一致するのは珍しかった。この問題に将軍自身が乗り出したのは吉宗公以外に無く、その後の改鋳は、総じて、ローマ時代ほど人間が良くなかった為に、さほどの成果が上がらなかった。

折も折、ナポレオンが出てきた。ナポレオンは明治時代の人と思い込んでいる馬鹿も多いだろう。ナポレオンは、当時、オランダ王国をぶっ潰した。その結果オランダの旗を公式に立てていたのは長崎の出島しかない時期があった。だからオランダ人にとって出島は本当に国の最後の拠点だったと言う史実がある。

このナポレオンの行った貨幣制度はその後も信用を持ち「ナポレオン金貨」とは純度の高い金貨で近年まで「ナポレオン金貨の相場」は欧米のニュース番組では必ず指標として出ていた。

つまり含有比率を下げる改鋳は「通貨信用を落とす」と言う事になったのである。その後金本位制などの問題があって、金は一定の純度で作られねばならないという合意となったのである。

獨協大学では何を教えているのでしょうか?まぁ竹中平蔵より大分好きではありますが、とりあえず、薀蓄を少々。

後編に続く。うだだーうだだーうだうだだー


ああ、エヴァ…、これほど教育的なアニメがあるだろうか?

2014年08月22日 22時44分57秒 | 日記

経団連の糞馬鹿はFPGAをいとも簡単に放棄した。

それは技術に思い入れが無いからだ。

またルネサスに巣食うバカ文系の低能の自称利口がSH8の可能性を地の底に叩き落した。

それは「技術者はオタクだから機能ばかりを入れたがる。それを我々(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業が把握しているから」今の体たらくなんだろうさ!

このルネサスのキチガイ馬鹿文科系大学出は、今の日本の悪い所を余さず体現している。

今世界の先端を動かしているのはFPGAとARMチップだ。半導体大国と一時期吹聴していた姿は今は殆ど無い。

日本が、そんな邯鄲の夢を吹聴していた頃、弱弱しい可能性が何と日本で芽生えていたのだ。FPGAの雄Xlinxの最初の製品はセイコーエプソンの半導体工場の一部から委託生産で出来上がったのだ。

私は1990年ごろに知り、その技術の未来性を革新した。「これは映画『禁断の惑星』に出てきたコンピューターと同じだ!」と思った。アーキテクチャをプログラムで構成するとは、そんなものだ。

だがバカなルネサスの(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業は理解しないのだろう。経団連もそうだ。

案の定デジタル家電の利益率は低かった。心臓部がもろともFPGA=外国製である。今チョングソトンスランドが鵜飼ビジネスで利益が上がらないと言う形態は、実はデジタル家電では日本が鵜になってアメリカが鵜飼となっていたのだ。

それもこれも技術に思い入れの無い「自称利口な経団連のトップ」の低レベルな判断の結果である。

つまり「家電の馬鹿」が足を引っ張っているのだ。

原発問題も実は根の所では家電の能無しの集団が売れるものが強電消費の家電品しか売れないからだ。

何故か?

パワーエレクトロニクスは今も日本の牙城だからだ。

無論、馬鹿文科系大学出はそんな事も知らない。馬鹿で下衆で低能で未来を見る能力のない馬鹿しか居ないからだ。

この間のタモリクラブで「(鉄オタの)自分が欲しいモノは自分で作る」の中でVVVFインバーターの所で市川紗椰が「IGBTですよね」の言葉に涙が出た。

よくぞ!IGBTを知っていた!このIGBTこそ、いや円盤みたいなサイリスタとか、日本の産業エレクトロニクスは今の所世界最強である。

そして、その強電ニッポンの未来系を見せたのが「エヴァンゲリオン序」である。もう血沸き肉踊る「ヤシマ作戦」その準備は日本の強い分野強電システムと粒子加速器!正に、日本が世界に強い両巨頭を表に出した作戦!もう最高!

無論(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業は分からない。

また強電の接続器や碍子なども日本の大きな産業である。それに電力ケーブルも日本ならではなのである。

それを意図していないでやったとすれば、やっぱり庵野は天才だね!

登場人物の背景になっている設備こそが、今の日本の一番強い所だ。それを一番見せたい時期の子供に男の子に見せてくれるのだ。

頭の悪いレクサスに乗る事がステイタスだとか勘違いしている馬鹿とは根底から違う。そんな馬鹿は(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業だろう。

今(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業が唯一生き残る自動車業界のニーズもARMはマイクロチップのCAN規格の充実を見ると「風前の灯」だろう。

所詮馬鹿文科系大学出、日本の癌である。(自称利口な馬鹿)文科系大学を出た、顧客のニーズを知り尽くした(似非)プロの営業!日本を悪くするためだけに、この世にひり出された存在。

エヴァンゲリオンは、もっと良いのは巨大システムを構築するイメージが見ていて分かるのだ。

またどうして知っているのか?濃い現場の道具とかが映っていたりする。教育の現場は馬鹿の濃度が危険レベルを遥かに超している。それを啓蒙しているのは「真面目な漫画・アニメ」である。

最近では「進撃の巨人」や「シドニアの騎士」なども、そうである。

それを何故遊びに使わないのか?

私はスマホに入っているFFTソフトやソナグラフのソフトを姪に見せたが、大いに興味を持っている。

タモリクラブは経団連の馬鹿と違って、本当に教育的だ。時折見せる、タモリのオーディオファンの特集は、これ自身が子供の情操教育に使えると思う。

例えば大きな塩化ビニールを継いで作ったスピーカーシステム。これがトロンボーンの様な構造で、トロンボーンの曲管を展ばしたり縮めたりして聞こえる音が変わる体験は、それそのものが幼稚園でやりたい。超音波スピーカーアレイの指向性を体験させたい。

本当に、今、子供は薄汚い大人の愚劣な品性と言うレールの上に載せられ変な方向へと誘導されている。そこが悪い場所になる事が分かっているにも関わらず、馬鹿の妄想キチガイの妄想は止まらない。

教育というのではなく、一緒に楽しむために、会社辞めて、専念しようか?と思う昨今である。

まぁ小さなものはチョボチョボ作ってはいるんだけどね。それじゃ駄目だ。操作がちょっと色々知らないと動かせないから。

技術で子供と遊べたら…。こんなに良い事は無い。


OECEの「教育への公的支出日本は最下位 奨学金制度が鍵」やる気の無い馬鹿集団

2014年08月21日 12時33分41秒 | 日記

OECD報告書によるもので「図表でみる教育2013年版」の中にある。

問題はGDP比となっている点で、子ども1人あたりの公的支出額は1万596ドルで、比較できる29カ国中12位。OECD平均(9313ドル)を上回っている。

この比率問題は良く誤魔化しに使われるのだが、この場合は必要費用の割合からの算出で、二つが読める。

貧富の差が先ずあるだろう。平均値でこういうものが出てくる。また、全体的に社会に子供が居ないと言う事を示しているだろう。だからチョンと日本が似た様にである。

ただ、上位にあるから大丈夫と言うのも違うだろう。アイスランドが際立って凄い国家ではないと思う。

社会的環境が日本の方が開発に向いていると言う事なのである。

だが日本の経団連はそれに「甘えて」いるのである。所詮は自分に甘いお坊ちゃんの集団だ。

この馬鹿どもと自民党は子供は「雨後の竹の子」のように出来ると思い込んでいる。それが社会科学的に無理だと分かってもバカの利口を吹聴する。まったく持っての「ふざけた諭吉」理論だ。

私は歴史小説を書きたいと思っているのだが、それで日本の歴史を見ているが、今、学校が教えている歴史は往々にして間違いが多く、誤解され易い内容が実に多い。正直呆れ果てる。

子供は勝手に大きくなると思い込んでいるようだし、能力開発何とかとかの塾があるからと思い込んでいるが、その能力開発何とかも「頓珍漢」な日本の歴史を調教している。

このバカの集団経団連御自慢の受験システムは「物事の上っ面しか見ない、現実的なものを分からないバカ」を量産するシステムに過ぎない。

多分そんな現実には無かった歴史をまともと思い込んでいるバカは金を持っていて、自らの目でカリキュラムを吟味せず、人任せで適当な事をやっているバカの最たるものだろう。名前を経団連と言う。

私は世間的にNGなのだろう。だからこんな事を考えるのだろうが、私が金を山と持っていたら、先ず、ミニチュアホースを飼うだろう。「そんなもの何の役に立つ?」と経団連や慶応のはほざくだろう。

私はその問いに「そんな事もわからないのか!」と叩き返すだろう。何とはなれば殴り捨ててやる!

佐世保の高一女子殺人事件でも分かるだろうが「エリート」の「金持ち」の娘がやった事は残虐非道な殺人だ。たとえ勉強が出来て弁が立っても何の役に立つのだ!それを優秀と言うのなら経団連は犯罪予備軍集団だろう。実際犯罪もどきが多いのはラサール石井のラサール時代の友人の半分が社長で半分が投獄されているという現実と符合する。

私はミニチュアホースには人馬一体を感じて、大事な命があると言う事を教えてくれる。そして言葉で話す人間以外に繋がる心がある事を分かる。それだけでも十分じゃないだろうか?それに人馬一体で走っていると言う経験はナカナカ得られない。それを味わわせるだけでも立派な事だ。子供の心の成長にとってどれほど有用か?そう思わないレクサスにでも乗る事が、ベンツに乗る事が、アウディーに乗る事がステイタスだと感じるバカの集まりだろう。

何時も思うのは教育熱心な親は、子供を見ていない親だと私は思っている。教育という奴が受験勉強の時点で「私はバカよ」と言っている。カリキュラムの内容まで見ている親はどの程度居るだろうか?

私は親じゃないが日本の歴史に関しては見た。全くもって、レベルが低い事だけはわかった。どうせ物理も化学も数学も我々の時代ほど進んではいないだろう。そしてパソコンの「きょういく?」ですか?こっちはダントツで差が出来捲くり。

例えばパソコンを高校で使うようになったら、本来的にコンピューターの計算はどのように社会では使われているのか?を教える事が出来る筈だ。だが、それをやっていない。教えるはずの教師が「バカ」だからだ。

教育がその段階だから伸びようとする子供を逆に制限するのが日本の経団連御推薦の「ご立派なと自称する教育システム」だよ!

また文系であっても統計データの分析は不可欠だ。またグラフを描いて説明する事もある。その時の標本情報をどう扱うか?はどちらの高等教育とやらにも必要で、不可欠の筈だが偉そうな事をほざくトップとやらは何も分からない知らない。

今、そんなバカがトップに居るお陰で、我々の頃にはあった科学教育の環境が、ドンドンなくなるか、抽象化をしている。その象徴が「出来るかな?」と「作って遊ぼう」のプログラムがNHKから消えた事だ。これは工作の実体験をドンドン子供から奪うのだ。

また「でんじろう」問題もある。でんじろうの「実験教育」を否定しないが、それをテレビで見るだけ、特定の場所で都会の人が体験するだけである。こう言う時にパソコンやスマホを使わないのだな?やっぱりバカだから。

「でんじろう」の音声共鳴の実験は鍋と黒い紙とスマホとアプリと塩があれば出来る。そんな簡単にと皆思うだろうが、それが「バカの壁」だ。環境は揃っているのに、それを知らないから使えないのだ。

もう今の現役世代で「様々な音痴」が蔓延している。それで「エリート」だあ!笑わせるな!

レクサスに乗るのがステイタスと思う程度の知能の程度が低くて低くてしょうがない馬鹿が何時の間にか未来の可能性を根底から駄目にしている。

私は大人の科学とかは、大人じゃなくて子供に見せたいものだと思っている。テルミンとか、スターリングエンジンとか蒸気機関とか、ジェットエンジンとかそういうものは今実に簡単に手に入る。

ジェットエンジン?と言うバカが居るかもしれないが、ジェットエンジンでもパルスジェットエンジンだ。これなら簡単だ。パルスジェットエンジン?とホザク馬鹿が出てくるだろう。そうなるとバカは既に国民病と成り果てているか?と大笑いである。

バカな大人がバカなカリキュラムを他人事で子供に強制して結局親よりもバカなガキが出来上がると言う理想の未来。これが経団連のお勧めの「教育環境」なんだろうさ。

私は子供でも例えばミニチュアのクレーンやミニチュアの産業用ロボットのモデルでも十分に楽しむし興味を持つ。そんな遊びを含んだ体験のカリキュラムの無さに愕然とする。そしてそれを「利口」とほざくバカの集団に呆れ果てる。

私は子供に見せたいものだ。チェーンはRS-10からRS-180まである。RS-10はネズミの自転車が出来る程度の大きさだ。またRS-180は恐竜でもこげない自転車を作る事が出来るだろう。工事現場で見かけるユンボーの油圧シリンダーばかりを見ているだろうが、あれは油圧だ。ほかに空圧と電動のシリンダーがある。

そんな手に取れる体験。今の世の中を構成しているのが何なのか?を知らないで、何になるのだろうか?

原発問題を見ていても、こいつら何も知らないで色々ほざいていると思う。発電所の運用システムとか、蒸気タービンがどんなものか?今の発電の能力はどの程度のものか?

今の日本の社会の停滞は国民病となった「バカ」が原因だろう。だから人の話を聞かないでギャァギャァほざくバカ=バカ赤・マスゴミ=チョングソ品性が幅を利かせるんだ。

今の教育の程度は、ちょっと前の教育のレベルそのものだ。それは「ゆとり教育以前」の連中の頭の程度である。「ゆとり」が「ゆとり以前」のそれより酷いと言うのなら未来は、今より「バカの寝言」が飛び交う事となるだろう。


電子装備について。パクリの特亜は何が出来るつもりなのか?

2014年08月20日 22時45分30秒 | 日記

日本はアンテナ大国なのである。

八木アンテナもあるが、様々なアンテナもある。アンテナは100種類以上あり、当然特亜の馬鹿は知らない。

アンテナは1990年代には相当に進んだ。衛星放送が始まったからだ。衛星放送の信号は弱く、それを受信するだけでは駄目で捕らえた、その場ですぐに増幅するアンテナと増幅器が融合したものが必要で、当の昔に出来ている。

このアンテナは相当に凄まじく、時期も同じく携帯やポケベルの為に開発が進んだ。アンテナ+即増幅がキーワードで本当に凄いものだった。

このような基礎技術というものは糞を喰う民族には無く、パクろうにも馬鹿すぎて不可能なのである。無論虫獄の虫けらの品性でも不可能。

アンテナ技術の安価で普及しているものスマートブレーキなどの監視システムの一部として「レーダードップラーユニット」が使われており本田のそれが最初で、それを私たちは使っている。秋月電子で売っているのはそうである。

こんなものは「屁みたいなもの」だから「流してやっている」のである。「へぇへぇありがとう御座います」と我々は使わして貰っている。

特亜のキチガイは馬鹿で下衆で低能だから分からない。それはそうだろう。連中は何も作れない作っていない培っていない。所詮は糞駄目の駄目糞の最低の最悪の糞以下の糞である。

虫獄の特亜キチガイは被殲20(殲滅される無能機)を吹聴するが、この無能機は格闘が出来ない事がわかっている。起動するとダイブと称する「落下」を起こして終わりである。それを何とかする為にベクターノズルを使っていたのだが、徳亜の低能は分からなかったのだろう。

またロシアのSu27を真似て、何とかなると思い込んでいるのだろう。

他のブログで、色々と書いているのだが、電子装備は、実に凄くなった。先ず最初はアナログを真空管でやっていたのをトランジスタ+TTL-ICのシステムでやるようになった。

それが1970年代である。

それまでのコンピューターは酷いものだった。

知能とかロジックとか言うのが「赤上げて白上げて、赤下げないで、白下げない」の延々と続くちょっとみると「不毛な連鎖」が実は「知能」なのである。

その最終目的地が分かってやっている人は意欲的なんだろうけど、分からないから、もうさっぱりだった。

結局FPGAが華やかになりし1990年代には、この頃のMIL規格のTTLロジックの否定があり、論理合成のロジックが使われている。それまでは「こんな糞見たいな判断を何故こんなロジック記号が必要なの?」と思ったが、それは「正しかった」のである。

まぁそれは置いておいて、そんな「糞みたいなコンピューター時代=インベーダーゲームが最先端」と言う時代に「巡航ミサイル」やF14やF15の自動追尾システムが出来たのである。

因みに赤外線追尾を世界で最初に実用化したのは日本海軍の技術陣で、最初投下式の爆弾だった。無論チョングソの捏造起源主張の糞馬鹿の、糞の塊で、糞そのものの品性のゴキブリの亜種とは違う日本人は「まぁ起源って言えば、まぁそうなんだけど…」と言う「大人の余裕」ですね…。

この頃のコンピューターは今の関数電卓と良い勝負で、この頃は関数電卓の計算ビットが16ビットとか32ビットと言う、当時のアーキテクチャ(半導体の基本構造)を4倍している奴もあったりする。

そんなモノを使って敵味方を判別して、景気良く人殺しをしていたのである。

大体、最初の無人兵器、と言えば「機雷」でノーベル賞のアルフレッド・ノーベルの生家のメイン商品だったんだけど、その次の地雷じゃなくてミサイルは、航法誘導でして、この誘導システムは当然「真空管」でやっておりまして、これが「アナログ計算機」を使っておりました。

頭の悪い馬鹿文科系大学出だけでなく工学部の教授も電子や制御の人じゃないと分からないけど、電子回路は計算機なのです。だから増幅器の一番基本的な構成要素はオペアンプ(オペレーショナルアンプ・計算増幅器)なのです。

V1もV2もジャイロスコープ(地球独楽)を使って加速度を内挿計算して、航路を出すのだけど、これはV2ロケットなんか特にそうなんだけど、加速時の移動速度だけを考慮して、その後落下は自由落下で、適当な標的計算で、この頃の計算能力は計算尺と同じ程度でした。

実際電気的なデータを機械的な制御手法でやっており、その自由度は1か2か3程度で、それ以上は無理でして、その機能は計算尺と大差無いのです。

また自然の現象を使う場合、比例計算じゃなく、往々にして指数計算の数値が出ます。それを比例データを扱うぐらいの機械を使う時点で「無理」なのです。

実は今も心電図とかの強弱は指数関数的な変化をしますからDレンジ(ダイナミックレンジ)が30dB(30倍ぐらい)から60dB(1000倍ぐらい)のを扱いますが、機械的な制御は2桁(つまり20dB)のダイナミックレンジで、その制御はまぁ絶望的でした。それを電子回路で(ログアンプやチョッパーアンプ)無理やり比例計算に変えて色々やるのです。この電子回路で比例整形とは今もセンサーを扱う時にいきなりセンサー出力をADコンバーターに入れる馬鹿が居ますが、そんな馬鹿がトラ技で製作記事を書いたりしているのです。

さて、この特亜の糞馬鹿の低能の下衆のカスの糞の塊と似たような状況がソビエト連邦の終わり頃でした。それまで核開発の初期やロケット開発の初期はソビエトがリードしていたのですが、電子技術では、特に、デジタル技術は遅れていました。

チョングソはスマホでリードしている?

真似しただけです。デッドコピー。だから基本的な開発技術が出ていない。特亜は大体そうです。

あのね…。技術を色々把握すると、その道程を調べたくなるのです。それが私を含めた普通の理科系なのですが、頭の悪い馬鹿文科系大学出は、今の技術に目が眩んで、それをデッドコピーして凄く出来ると思い込んでいる糞馬鹿なのです。

だからチョングソはAWACSを4機も買っている癖に自分で一機も組み立てられていない。K-2戦車も自分たちで組み立てたものは無い。それがチョングソや虫獄の特亜のアットベストな現実です。

屁みたいなというと屁から文句を言われる程度の技術力です。

今の虫獄やチョングソの技術は本来的にバッファーアンプのDレンジを前提として、基本動作をSpiceなどを使って波形整形をしてから、データの直進性を検討して、その後ADコンバーターに入れて多少の補正をするのですが、多分チョングソ・虫獄の特亜キチガイはリニア増幅でADコンバーターに入れて数値計算的データ補正をするのでしょう。

それで「完璧ニダ」とは大爆笑!

この程度の技術では技術と呼んではいけないのです。しかし、それがチョングソ・虫獄の技術なのです。

大笑い。

技術とは、この様に底が深く、また使い方を見れば、一発で、その技術レベルが分かるのです。

それからすると特亜に技術は「無い」のです。

基本的な技術の科学の根っこが無いのです。

だからチョングソ・虫獄は何も出来ません。

ただし、日本の経団連も相当なチョングソ・虫獄と似た特亜の馬鹿に似ています。

困った事に日本で特亜のレベルにあるのは経団連の老い耄れどもです。