歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

何の為の教育?馬鹿が教師である不幸。役に立たない遅れた調教。

2019年09月01日 22時26分09秒 | 糞馬鹿文化系大学出が分からない世界

「虫獄の小学校で何が起きているのか?」と言う「売国NHK」の「報道的な毒電波」が目に入った。「応試調教」なる「狂惨咒擬調教」で、マザコンのガキと勘違いしたガキが量産されているらしい。
この馬鹿な結果に至るってのは、日本の「憎狂粗」(にっきょうそ)が「狂惨咒擬」(きょうさんしゅぎ)に「どれだけ近いか?」と余す事無く「売国NHK」が毒電波を流していた。共通するのは、馬鹿思想と言うか「狂惨咒擬イデオロギー」を注入するのは何れにしても「精神破壊」でしかないと言う客観的結論でしか無いと言う事だ。
毎日朝から晩まで「勉強と称するもの」をやって出来上がるのは「科学的」に「完全な白痴」、合理的思考が出来ない「完全な無能」である。実際的な実務能力は「朝から晩までやっていた勉強と称するもの」には「絶対に存在しない」と言う現実である。
何故なら「狂惨咒擬イデオロギー」を注入する「憎狂粗」は「英語」と「コンピューター」と「ディベート」が完全に出来ない白痴集団だからだ。
所が、私は「狂惨咒擬イデオロギー注入」とは最初から別物として自分のものにしたから、糞馬鹿の糞調教の呪縛から逃れられている。「狂惨咒擬イデオロギー注入」は恐るべきコトに「応用可能な知識として定着させない」と言う事を子供達に徹底させる。だから学校を卒業すると「朝から晩までやっていた勉強と称するもの」は、皆綺麗に忘れるのである。嘘と思うなら、自分で思い出してみろ!と言ってやればいい。
私は、しつこい程学校のカリキュラムを覚えている。ただ酷誤(こくご)は全く無視で、数学、英語しか勉強しなかった。残りは3ヶ月の詰め込みの筈だが実は今もしっかり覚えている。
私が思うに勉強するには「憧れ」とか「好奇心」が無いと身に付かない。義務的に行う場合、記憶は体が拒否するようだ。私は大学に入った頃博多の「テン・カラット」と言うヌードバーで英語を教えて貰って英語への恐怖とかはなくなったのである。
これも「憎狂粗」とか「教育委員会」の目的「英語を喋れない・書けない・読めない調教」から明らかに外れている。私は学校にいる時に「大橋巨泉のこんなモノいらない!?」を見ており、学校の肉教祖の英語調教の愚劣さを再確認した。その私は外人から「日本人」と言っても信じて貰えない。「日本人が英語をそんなに喋れる訳がない」と言われ「台湾人?」とよく言われたものだ。
センター試験でも英語は180点は取ったが、罰だったのは「発音記号」と「アクセントの場所」ぐらいなものだ。残念ながら私の発音はアメリカの東海岸のプレインな英語らしい。最近外人と話す機会がなくて英語も構文が日々怪しくなっている。しかし単語数は日々増えているので、この記憶力で単語力は増えている。
思うに中学校以上の下手な憎狂粗の英語調教を小学校まで広げて何の意味がある?と毎度思う。英語嫌いが「小学生」まで広がるだけである。無意味と無駄という意味では憎狂粗は世界最高の無駄存在である。