童門冬二さんの小説は、どうも現代語が主導で風情がないのですが、この上杉鷹山さんは相当に苦労したようですが、基本的に、五大家老を粛清して動きが楽になったようです。
それまでは半主流派の意見を結集する事に務めていたようです。それと改革をやる気がある事を見せるために自分で歩いた。最初の上杉鷹山は本当にそれぐらいしか出来なかったようです。
彼の活動が活発化するのは予算を握ってからで、それはやっぱり「政治」なんだなと思います。
ただ、思うに、本当に上杉鷹山だけだったのか?疑問です。幾ばくかの幕府からの援助もあったかもしれない。金というより、五大老を断罪する時に、後ろ盾になるとか、そんなことだと思います。
知恵泉の徳川吉宗の時もそうですが、国家の実態を把握していないと言う事が問題で、何が問題かわからないと言うのが最大の問題でした。
また、この時期の刹那主義、非計画主義、行きあたりばったりの方向性が問題でした。
その傾向は特に町民が強く、何かあればスッカラカンになり、烏銭(元手)を借りに行き、そして、その日の内に返せる程度の儲けを得て、生活しており、あくせくして働く人は少なかったようです。
しかし、それだから江戸の消費が活発化したのです。よく幕末をペリーだけに押し付けますが、では大塩平八郎の乱はどうなのでしょう?
この大塩平八郎の乱は、今までの気楽な生活ができなくなった。それは田沼意次の賄賂政治と、その結果の商人の暴利です。
無論そんなことは慶応のゴキブリは否定するでしょうが、江戸初期には一両=四千文だったのが幕末には一両=八千文となりました。これは、一八世紀までは一両=五千文だったのが急上昇しました。
物価の物差しは実はコメではなく蕎麦でした。蕎麦は寛文年間の終わり頃に一杯八文から拾六文に変わりましたが、それが十八世紀末には一杯貳拾四文から、直ぐに参拾貳文に上がりました。
上杉鷹山は、最後の江戸時代のマシな時代でした。
何とか商品のブランド化に成功して、それが上手く行く時代だったのです。
逆に、贅沢禁止令などが出ると、上杉鷹山は困ったかもしれません。
田沼意次の後の松平信定の改革は精神主義の押し付けで、逆に賄賂政治は消えなかったのです。
これに関して言うと、今もそうですが広範な国政が今どういう政治の状態か?経済の状態か?民の状態はどうか?と言う事をきっちりと出す必要があります。
今一番問題なのは経済ゴロ=慶応が見当はずれの事をホザクので、これらを皆殺しにするのが不可欠でしょうね。
それにしてもコメンテーターの小嶋光信さんの「右手に忠恕、左手に算盤」と言うのは深かった。右手に算盤では金儲けのほうが勝ってしまうというのだ。
ってことで、この回の知恵泉保存版。