冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

小川洋子さんのエッセイ

2021年05月12日 | 読書
小川洋子さんのエッセイ「とにかく散歩いたしましょう」は、2008年から4年間、新聞連載されていたものをまとめたものだという。小川さんの小説は好きで、日本で本を買いあさる際にもほぼ絶対その中に入っている。彼女の小説の多くは、通常の世界と見えない壁を隔てた、非現実の世界のような場所で物語が展開すると思う。そして多くはもの悲しい気分になるようなところが含まれていて、心が少しひんやりしたような気持になることがある。なのだけど、なんというか冷たい優しさみたいなのを(矛盾してますが)感じて、もの悲しいけれど暖かいような不思議な感覚になる。
でもときどき読後感がとてもつらい作品もあって、多分これは読み返さないなと思うリスト入りしてしまうものもちょっとだけどある。
多分一番知られている作品の一つである「博士の愛した数式」なんて、愛があふれていて感動してしまったけど。

さて、このエッセイ。タイトルがまず良いではないですか。とにかく散歩、散歩が一番ですとばかりに小川さんの愛犬は散歩へといざなう。
私も犬がいたときはこんな気分になったことがたくさんあった。たいしたことのない私の日常でもやっぱり、気分がくさくさしたり、悔しい思いをしたり、解せない思いを抱えたりってことはあるわけで、そんなときも散歩すると意外と気持ちのリセットができたりする。ゆったりと犬のペースで歩きながら、考えるでもなく考えているうちに、なんとなく「まあいいか」「なんとかなるか」と思えたりすることもよくあった。

ここにおさめられた46篇のエッセイはどれも良くて、一篇一篇大切に読んだ。
親子愛についてのエッセイでは、親は子供がどんなに大きくなっても心配で仕方ない、子育てとは心配することかもしれない、と書いている。「そうだよねぇ」とうなずき、そしてちょっと泣けてくる。ここには森鴎外と森茉莉親子のことも書かれていた。鴎外は娘の茉莉を溺愛しており、娘のことはなんでも上等とほめちぎっていたということはよく知られた話。親が子供を全肯定しているという親子関係はうらやましい。私の母は私のことを誉めるだとか励ますといったことはしてくれず(けなすことはしょっちゅうだが)、基本私のなすことすべてに対して否定から入るというような人なので。だからといってこうした親子関係が、私の生育に特別悪い影響を及ぼしたというわけではないと思うけど。それでも私のことはいつも心配してはくれている。確かに親というのはそういう存在なのかもしれない。

映画の試写会で大泣きしたことも書かれていた。その映画は私も見たことがある「マーリー」というもの。アメリカのコラムニストが飼っていたラブラドールの犬、マーリーとの生活を書いた本が映画化されたものである。いろんな問題を引き起こすお騒がせ犬だったけど、家族に寄り添い幸せな時間をたくさん共有してきたマーリーが、最後に死んでしまうところでは私も大泣きしたことを覚えている。小川さんの飼っていた犬はこのエッセイの連載後に亡くなったそうだけど、いまはまた違う犬を飼っているのだろうか。

夏目漱石の「こころ」という小説を散歩文学(というものが存在するならば)のひとつと名付けたいというエッセイでは、この小説のことを「散歩ばかりしている小説ね」といった知人の言葉を、「そういえばそうかも」と思ったと書いている。「こころ」はずいぶんと昔に読んだきりでなんとなく忘れているので取り出して読み返してみた。そういわれてみると確かにそうかもねと同感。
「散歩」という言葉がタイトルに入っているが、もちろんこのエッセイ集には散歩のことしか書いてないわけではない。
作家としての創作の源泉を明かすものなど読んでいると、やはり小説を書く人の感性は違うなぁと思ってしまう。
小説を書き始めると登場人物がいつのまにか自分たちの物語を語るようになり、それを書きとっているような感じ、など、小説を書く人というのはインスピレーションがおりてきているのを感じるものなのかぁと。そういうところが違うんだなと感心してしまうのである。

またこのエッセイの中ではいくつも本の紹介があるのだが、読んでみたいかもと思える本が多かったのもうれしい発見であった。
そういえばかなり前のことだけど、小川さんがインタビューの中で本というものについてこんなふうに語っていたのを思い出した。「本というものはかたわらに置いてアルバムのように時々開いて、慈しむもの」。いいなぁ、確かにそうだよなぁ。
小川さんの書く言葉は感覚的にしっくりくることが多いのだが、なんでだろうと考える。私が思うに、言葉の選び方が的確なのだ。なんとなく「こういう感覚・・」という漠然とした気持ちをなんと表現したらいいだろうかと考えるとき、私などありきたりであいまいな「さびしい感じ」だとか「なんかいいんだよね」などといった言葉しか浮かばない。それをもっと豊かな言葉で的確に表現され、「そうそう、それですよ」とぴたっと自分の心の動きに当てはまるようなものを見つけた気分になる。それが小川さんの作品(小説であれエッセイであれ)を読んでいると覚える、私にとっての「合点がいく感じ」なのだろう。
また、他の小川さんのエッセイ集に寄せられた解説には、小川さんの作品を読む読者を「これは自分のために書かれたんだ」という気持ちにしてくれると書いてあった。確かにそうだと思う。そんな気持ちにしてくれる作品の数々は魅力であり、大切にしまって時折取り出しては眺めたくなるような宝物なのだ。
コメント
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