困った時の「折々のことば」。引き写しのようなブログ記事でごめんなさい。今日は藍原寛子さんの言葉。正直に言うならば、私はこの方がどんな方なのか知りません。今、ネットを開いてみましたが同姓の方幾人か、、はっきり分かりません。益々、引き写しになってしまいますが、ごめんなさい。
「ジャーナリスト」と「折々のことば」の解説には書いてあります。末吉里花・松永智子との鼎談(婦人之友)からの言葉。
『今も私の原点は、「大根、菜っ葉です」』
新聞社一年生に課せられた仕事は、夕刊のトップ記事を書く仕事だった。持ちネタはすぐ尽きた。
デスクに「大根、菜っ葉!!」と発破をかけられた。野菜の値段の上下も世界の事情に繋がっているのだからとにかく歩いて見つけ、深堀せよというのであった。
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のんべんだらりと主婦をやり、世界情勢などにつながるほど学びもせず、考えもせず暮らしてしまった日々を思います。コロナに閉じ込められ、ウクライナへのロシア侵攻を目の当たりに出来事として映像で見、家庭では夫が病を得て、家を空けにくい主婦にならざるを得なくなりました。読書をと思えば、これが寄る年波、視力が急激に落ちてしまって読みづらくなってしまいました。
なるべくニュースを解説を含めて聞くことにしました。
正に大根・菜っ葉です。世界情勢など大層なことまではいきつきませんが、小さな世界の変化もすべて繋がり合っていることが分かってきました。
また、ニュースは見る角度によって一つの事象が、Aには善でもBには悪という複雑さであることも少し解ってきました。
複雑な国対国の駆け引き。ただ平和を望むと言ういとも単純な庶民の望みも複雑な絡み合いで、上に立つ独裁者の、自分の支配欲で、どうしようもない殺しあいになることを否応なしに教え込まれます。
だだ平和を望むだけなのに。
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