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おせっちゃんの今日2

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ビジネスでは、当たり前のことだよ・・・息子K

2023-10-12 16:13:38 | わが家の話

歳月の経つ速さには驚くばかりです。わが家が家を建ててから、40年が過ぎ去りました。新築に入ってから、気分はそのまま、ガタが来るなどとは頭にありませんでした。確かに、30年まではほとんど不都合はありませんでした。日本建築のしっかりした工務店で建てたのは正解だったねと家族で話していたのです。

ところが30年を過ぎたら、急にあちこちガタが出てきたのです。フローリングの床が踏むたびに沈み込むようになり、それがだんだん面積をを増してきました。壁紙が風化(?)して、下地の石膏ボードの継ぎ目の上が、割れて剥がれ落ちてきました。水が撥ね散って、洗面台がどうしようもないほど壊れてきました。その他気にすれば建て替えか、というほど古びてきたのでした。持ち主が、老醜をさらすのと同様に、家全体が年月の流れを防ぎかねるようになってきたのです。
これはもう、最低限手を入れようということになりました。

リフォームはどこに頼むか、そういう世界にほとんど知り合いはいません。
家を建ててもらった工務店。・・・これは信用はできると思う。が、新築するのではなく手を入れるには、きっと高くつくに違いない。もっと街のそうした仕事をしている工務店があるに違いない。それを探そう、ということに。とはいう物の人脈がない。
私の頭に一人友人が浮かびました。町会役員を共にやった友人です。この友人宅が、建築資材の卸を職業にしていると聞いたことがある。その関係で、どこかリフォームの工務店を知ってはいらっしゃらないか、電話しました。
「うちの会社、リフォーム部もあるよ」。渡りに船。見積は家を建ててもらった工務店と、友人家の会社と、2カ所に見積もりを出してもらって、あとは比較して決めようということに。

「ところで、2カ所で見積もりを出してもらって、一つ断わるのはどうするのよ」
「いろいろ検討しましたが、この度は○○にしますと断るさ」とK。
「そ~お。うまく言える?」
「そんなのビジネスでは日常のこと、出来なくてどうする!」

う~ん、厳しいなあ。私はやっぱり、家庭に閉じこもった主婦なんだなあ。

主婦のやってることが、容易いこと、つまらないこととは決して思わないけれど、・・・

 

 


娘・Maのギョッとした話

2023-10-03 13:56:34 | わが家の話

先日、娘Maとその娘・Mちゃんが一泊していきました。
NiziUのライブが当たって、Mちゃんが行くんだけれど、お友だちが皆都合がつかなくて、Maにお誘いがかかったのだそうです。ばあさんの私には、一向に分からない世界で、とにかく宿泊は受け合うと返事したことでした。

なかなか取れないチケットだということですが、わざわざその3時間ばかりのことのために山口から(Mちゃんは伊豆伊東から)来るほどのものかいな、とは思ったけれど、これはごく当たり前のことで、キョトンとしているのは、時代に乗り遅れているんだと。

生きてきた時代が時代だったし、暮らしたのが山口の田舎の田舎。お芝居だの、音楽会だのは、端から見聞きできないものとあきらめていた私ですから、ふ~んと言ったまま思考が先に進まない。

ファンだの、推しだの、背伸びして言葉を覚えても、現実のことは分からない。
兎に角、娘たちは、昼過ぎに、荷物を置くや出て行き、終っても、グランドから外に出るだけでどんどん時間が経ち、トイレ行列でまたまた時間を使い、11時半になって、意気揚々と帰ってきました。う~ん。ばあさんはもう先に寝るよ・・・。風呂から上がったMちゃんの鏡の前の時間までは付き合いきれん。

ところで話は全く別ですが、娘たちの上京の直前に、テレビのリモコンが寿命かしら、壊れてしまったようでした。病を得ている夫は、見る見ない。理解するしないにかかわらずリモコンは必需品。前日に量販店に行き、代わりを手に入れてきていました。同じものはもうなく、これなら使えます、というものを見繕って買ってきました。うまく適応しました。もう古い壊れたものはいらないねと、部屋のゴミ籠に棄てておりました。世田谷区は、焼却炉が高温に耐えるものとかで、プラスチックのものも、生ごみ・紙屑と一緒に棄てていいことになっているのです。同じ籠の中に紙くずの中、リモコンが捨てられていたのです。

ええっ!これどうしたのよ、どうしてごみ駕籠なの!!??
ああそれ捨てるのよ。新しくしたから大丈夫。
何だか薄気味悪そうに、憐れむように人の顔を盗み見しています。本当に捨てるの?うそでしょう、まちがえじゃないの?  
壊れたから

「ああギョッとした。ばあさんまでがボケてきたかと思ったよ。ちゃんと言ってよね、びっくりするじゃないの!!」
笑うに笑えない、じじばばを抱えた家庭の小さな驚きでした。


義姉を悼む・・・ありがとうございました

2023-09-15 13:41:45 | わが家の話

3日に次兄の妻である義姉が旅立ちました。
もう少し心が落ち着いたら、書くこともまとまるかとも思いますが、今は自分の胸のうちにその姿を抱いておきたいと思います。
いい義姉でした。実家の母にもよくしてくれて、母のお気に入りのお嫁さんでした。いえ、母は5人のお嫁さんはみんな気に入っていたと思うのです。以前も書いたことがあると思いますが、我が家には定番の笑い話があります。
母が言いました。「私は幸せ者、出来の悪い3人の娘を他家に嫁にやって、5人もいい嫁を得たんだから」。出来の悪い娘を目の前にして、言い放っていたのです。ついでにお話すれば、私の代失敗がこの後に続くのです。姑に「母がこう言っております」、と何の気なしに言ってしまったのです。
「まあ、それでは私はカスの嫁に当たったのですね」と言われました。

「まあおせっちゃん、それはいけないでしょう」と声をあげたのが、次兄のお嫁さんでした。

義姉が「会っておきたい」と言っていると聞き、すぐにらい太と尋ねていき、半日おしゃべりをしたのは6月末でした。それから一月一寸で逝ってしまいました。無理な生命維持はしない、患部を手術することも望まない、ただ末期の痛みは取れるだけ取って欲しい、という望みで、娘の家で最後を過ごしたのでした。
義姉は俳句を良くする人でした。最後になるベッドの中でも、句帳を手ばなさず、書き留めていたそうです。葬儀の参列者にはそこに残された句をプリントして配られました。

句帳の裏表紙には、かすかな筆跡で「ありがとうございました」と書かれていました。きっと関わってくださった皆さんにお礼を言っていたのだと思いますと娘が申していました。

最後のおしゃべり会の後も、ラインでメッセージを贈ったりしましたけれど、「私は人に恵まれました」とも言っていたとのことでした。

心静かに、安らかに天国にいらっしゃってください。ありがとうございました。


とんだ間違いをしました

2023-08-29 13:31:57 | わが家の話

昨日、夫の90歳・節目の年の祝いを報告いたしましたが、今日見ると、とんだ大間違い。書く時、なんだか変と思いつつ書きましたが、・・・
九十歳は卒寿でした
「傘」の略して、真ん中の人人人人を略して書くところから「八十の祝い」をこう表現するようになったのでしょう。
肝腎の90歳は「卒寿」。「卒」を「卆」と略字を当てて「卆」寿です。

もう一度繰り返しますが、「九十歳」は卒寿でした。とんだところで間違いました。

ごめんなさい。今日は、穴を掘って身を隠します。恥じ入っております。

 


夫、傘寿の祝い

2023-08-28 13:35:35 | わが家の話

私ども夫婦もびっくりするほどの年になりました。夫は誕生日を迎え、齢90歳。何とはるかな人生と思うけれど、また、何とあっという間に過ぎた年月とも思うのです。今、歳相応というのか、病を得ていますが、どうにか身の回りの動きはできる程度です。

昔の人は上手く表現したもんだと感心しますが、いわゆる傘寿のお祝いの年です。白寿・百才はまだ遠いことですし、この折り目にお祝をしてやらねばと思いました。血縁も、皆年寄りです。招き招かれの行き来ができる状態ではありません。
女房、子ども、孫でささやかにと思いました。お盆休みを取ったばかり、、勤めを休んでまで・・・とは言えません。結局、夫婦が(私ども夫婦)・近辺に住んでいる息子K一家(K・M・孫R)を呼んで、ウナギでも取ろうかということになりました。

そこにライン。もう幾度もブログに登場しているH君から27日昼過ぎから夜9時前までお邪魔したいけど・・・都合は?ということです。計画を話し、ぜひ出席してと伝えました。喜んで、と返事がありました。偶然なのに、上手くぴったり重なったねと喜んだのでした。

このH君という孫は、まことにじじばば孝行の孫なのです。有給が取れると、・・・この度もそうですが・・・山口の自宅の帰ります。そして車で30分離れた実家のおばあさまの所へ挨拶に行きます。休みの終わり一日を我が夫婦のために使ってくれます。朝一番の新幹線で(飛行機の場合もあり)四国松山の自分の住処は通り越して東京までくるのです。そして夜のうちに自分のマンションまで帰り、翌日から勤務です。

昨日も、若手が一人増えて、にぎやかな、話題豊富ないいお祝の会になりました。

夫も、時代の違う思い出話をし始めますが、仲間に入れてもらい、上機嫌なお祝いの時間を過ごしました。ご満悦のお祝いの会になったようです。めでたし、めでたし。ありがたや・ありがたや