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おせっちゃんの今日2

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子供の金銭感覚 3

2024-03-08 13:50:42 | わが家の話

Kが中学生の時です。
私共は夫の転勤で北九州市小倉に越していました。わが家は単身赴任は考えず、家族が揃って引っ越したのです。

運動会が行われました。カメラを持った父兄が、考えもなく、写真を撮りまくる弊害をなくするためでしょうか、写真屋を入れて撮ってもらい、後に掲示して、それを見てほしい写真に代金を添えて頼む方式になっていました。

写真申し込みの日を前に、Kも幾枚か希望を出したいようでした。自分の部屋に籠ってごそごそやっていました。しばらくして、しょんぼりと部屋から出てきました。見ると目が潤んでいます。どうしたのかと思っていると「これだけはぜひ欲しいのだけれど、お小遣い足りないの」というのです。はあ?泣くことかいな。

あなたは無駄遣いもしないようだし、もともと大した金額をあげてるわけでもないし、どうしてもいるものなら、話してくれれば臨時に給付しますよ」。ふわ~っとKの顔が緩んだのでした。
母親が怖かったらしいです。

似たようなこんなこともありました。
子供二人が高校生だったでしょうか、メキシコへ海外旅行をしたことがありました。主な後半の宿泊場所は、アメリカの富裕層が避寒に来ると言うカンクーンでした。前半はメキシコシティで遺跡を観たりしましたので、確か列車移動だったと思います。その道中、添乗員の説明で、皆さんが楽しくお泊りになるカンクーンはそこで掃除をしているメキシコ人には高嶺の花です。一週間(いや、一月だったかな)働かなければならないほどです、ということでした。
二人の子供が急にしょぼんと顔が暗くなりました。「いいの?ぼくたちそんな身分?」
そうです、考えさせられる話でした。

夫が一番働き盛りの頃、日本は右肩上がりのバブル社会でした。幸だったのか不幸だったのか。
幸いにも、少々身分不相応に贅沢をしたのでした。
子供たちはそれぞれ結婚して自分の家庭を営みました。サラリーマンの家庭で堅実に生きているようです。

 


子供の金銭感覚 2

2024-03-07 16:10:58 | わが家の話

昨日に続いて我が家の話を書いてみます。
Kが小学3年生の頃だったと思います。お友だちとのお付き合いも広がってきたのでしょうか、「お小遣いが欲しい」といい始めました。PTAで知り合ったママたちと話しでも、そろそろ責任をもって自分で使うお金を持たせてもいいかなと思いました。ママたちの話を聞いてみると、「100円×学年」が目安のようでした。子どもたちと、話し合ってその標準の額を渡すことにしました。

あげたからには、これはあなた方の自由になるお金です。でも、無駄遣いはしないように、お父さんが毎日働いてもらってくるお金です。お金を手に入れるということは難しいことなのですよ~」と言い聞かせました。

あなたのものですから、お母さんがいうことを守れとは言いませんが、お友だちも大抵の人がこう言い聞かされていると思います。お小遣いの3分の1は自由に使うお金、3分の1は、貯めて置いて纏めて大きな必要な物を手に入れることに使う、3分の1は家族の人のプレゼントや、世界の飢えている人などへの寄付など、自分ではない人に使うという考え方があるそうです。一応話しておきます、と申し渡しました。また、お金は大事なものです。小遣い帳をつけなさい、とも言い聞かせました。

今から考えると三つに分けるほどの額でもなかったなと思うのですが。一応使い方も教えたつもりでした。小遣い帳はそれほど長くは続かなかった気がします。

5年生になった頃のことだったと思います。
北海道かどこかの小学生が、スキーの板を欲しがって親におねだりをした。親は今使っているのがまだ体にも合っているし、もう少し我慢しなさいと、買ってやらなかった。その子が自殺したという事件があった。担任の先生が、この悲しい事件をホームルームで取り上げて、子どもたちに考えさせられた。
次の父母会の時、その子供たちの考えたことを話してくださったのです。

K君はこういいましたよ。「そんなことで死ぬんなら、ぼくは毎日死ななければならないよ。欲しいもの買ってもらえることが少ないもの。良くて、買ってあげるけれど、この次のお誕生日まで待てがいいほうだからな」と。

与えることがそのままいいことではないと思います。

また続きに我が家の話を書きます。

 


Miちゃんを迎える日

2024-01-30 13:30:34 | わが家の話

昨日、嫁ぐ前夜の豊かな幸せに感じ入った詩人の言葉を書きました。
わが家にも、初々しい喜びを、はち切れそうな若さで伝えてくれた娘(息子の嫁になる人)が来てくれました。

わが家は、娘Mと息子K、に恵まれていました。時はちょうど、皇室で、皇子お二人が結婚なさる、喜びに満ちた年のことでした。春のある夜、Kは、それからすぐに上司のお供でアメリカに出張することになっていましたがその出発までに、式を挙げておきたいというのです。

この案にはまずMiちゃんのご両親が反対でした。大事な娘を嫁に出すのに、そんな慌ただしさは反対だ。、アメリカから帰ってにしなさい、ということのようでした。わが家は特に反対はしませんが、姉のMaがまだ一人でいます。「逆転の結婚ははやりだよ~」とKは言い、「Maもそんなのどっちでもいいよ~」とのんきでした。

結局式場がいい日に取れないということで、秋に決めたのでした。そうこう言っているうちに、偶然ですがふるさとの友人が、いい人がお嫁さん探しているよ。と紹介してくれて、とんとんと娘の方も決まりました。こちらは5月がお式でした。
同じ年に、子供二人を片付けたのでした。Maの結納・結婚式、しきのじゅんびをしながら、Kの結納をするという過密スケジュールも、喜びごとです。順調に進んだのです。

その後、Kはアメリカから帰国、お式の日はどんどん近づきました。明後日がその日、となった時、何か用事があって、Miちゃんが我が家によると言ってきました。顔や、ドレスから出る身体も、美容マッサージをしに行き、その帰り道、寄るとのことでした。Miちゃんが立っていました。なんだか光り輝いているよう。
「あら、きれいね、お化粧もしてもらったの」
などと訊いているうちに、Miちゃんは花束を私に渡し、自分の頬っぺたを人差し指で、ちょんちょんとつきながら、「ぴ~かピカになりました~」と、これ以上は無いという笑顔を見せてくれたのです。

Miちゃんの幸せは、Kの幸せ、こんなきれいな素直な子が娘になってくれるのだ。いい姑でいなくっちゃだな。私も素直に姑役を引き受けたのでした。

これはこれで、嫁ぐ日前の少し上気した幸せでした。


息子Kのコートの話

2023-11-21 14:49:22 | わが家の話

短い秋が終わったのかと思っていたら、昨日今日、落葉とともに晩秋の趣を感じさせてくれています。ただ、今年のお天道様は尋常ではない。週末は、大寒波襲来、ぐっと気温が下がると言います。
今朝も老いの身でもしのぎ難いほどの冷え込みは無く、天気予報のおじさんのコート姿が少々大袈裟なような気がしました。

コートと言えば、我が家にはお決まりの笑い話があります。

息子Kは中学生の前半までは、小柄で、顔色も悪く、寒がりで痩せた身体にあるだけのものをまとって、その上に学生服を着て通学していたのです。それが何が原因なのか、今に分かりませんが、精神的にも強くなり、大学生になった頃には、ボート部に入って、自宅・学校・戸田を巡るのが一日の生活ということになり、だんだん逞しくなってきました。

ある夏の日です。姉のMaが見ると、汗びしょになったランニングと何年洗いざらしたかという赤パンを着て庭にいたのだそうです。
「K!学校どうしたの?サボったの?新米の癖に態度悪いねえ!!」と声を掛けたのだそうです。
「え?今学校から帰ってきたところだよ、どこが態度悪いよ?」
「その赤パン・・・」
「ああ、毎日これで学校行っているけど。悪いか?」

今、50も半ばのウルトラマラソンおじさんになっています。

前置きが長くなりました。コートでしたね。
26歳で結婚し、中央線沿線でアパート暮らしを始めました。ボートから、マラソンに宗旨替えをしていました。歩くにはちょっと遠いね、というくらいの場所のアパートです。ギリギリまで寝ていて、それっとばかり駅まで走るのだそうです。真冬で、電車の乗客は、コートに固く身を包んだサラリーマンで満員。そこにコートどころか、上着さえ着ないで、だらだら汗をかいたKが乗り込むのです。会社に行くのですから、靴などはそれなりのもの、さぞかし奇妙な格好だったでしょう。姉のMaが言いました。
「自転車の人を追い抜いてシャツで走って乗り込む。その内、変なおじさん特集で、テレビ局が来るよ!」

来ませんでしたけれど。

サラリーマンの、飲み会に行くのにも、何度友人から「コート忘れたの。待ってるよ取ってきたら」と言われたことかとこれが自慢のおじさんです。


落第ママ、反省しきり

2023-10-19 16:06:48 | わが家の話

昨日書いたことから続きに思ったこと。

子供二人が、小学校に通学していた時、校長先生はご専門が美術でいらっしゃいました。日展にも入選なさり、画家としても名のある方でした。
また、小学校のすぐ近くにある区立の幼稚園の園長も兼任なさっていました。
私は、その幼稚園の父母の会の会長を引き受けていましたので、役得で、普通のママよりは親しくお話を聞く機会に恵まれておりました。

ある時、子供の心の深層が描く絵に如実に表れることがあるのですよ。描いた人物(自分を描いたと思われる人物に)手がない絵があるのです。これは問題です。親や教師が厳しすぎたり、干渉しすぎたりして、自分が思うように動けないことが現れていることがあるのですよ、と話されました。

愚かな母親の私は、そこまで言われても、自分はそうではないと思っていました。

暫く経って、秋の展覧会が始まりました。娘Maの絵を見て、愕然としました。両手が肩から先無いのです。ああこれこそが、小うるさく、文句を言い、子供を縛り付け、自分の枠に押し込めようとしている母親の指導(だと思っている)の弊害だと、俯かざるを得ませんでした。

ついでに書きますと、息子Kが絵を描いていました。1年生です。「ぼく(わたし)のおかあさん」とテーマが決まっていたようでした。
先生がね、S君のママ、病気なの?と聞かれたよ。おいら、ううん、元気だよ、と答えて置いたけどね。

絵を見ると私らしき人が、寝床に横になっている絵なのです。
「だって、お布団で寝ていらっしゃるじゃないの」と先生は言ったよ。ママは何時も、寝っ転がって本を読んでるけど・・・と言っといた。

落第ママですねえ。