11月6日、朝日新聞夕刊に「片側空けずに止まって」と題した文章が載りました。今、多くのエスカレーターで行われている、右側は(関西では左側だとか)歩いて昇る人用に空けるという乗り方が、障碍のある人には生命の危険さえ感じる習慣だ、皆止まろう、という提案でした。
私がこの片側空けを初めて経験したのは、30年~35年前のことだったと思います。大学生、高校生の子供を連れてニュージーランドでお正月を過ごした時だったと思います。当然私どもは止まっていました。後ろからなんだか困ったような何か促すような言葉が聞こえてきます。私は英語は解りません。まさか自分たちに掛けられている言葉だとは思いもよりません。後ろの若者は、もう我慢が出来ないというような雰囲気で、私の身体をちょんちょんとつつきました。ソーリ―という言葉は解りました。あ、もしかしてここは立ってはいけないのかな。身を小さくした私どもの脇をすり抜けるように若者が昇って行ったのでした。
ヘ~エ、立ち止まる人と、歩く人と分れているんだ、と新しい習慣を学んだ気がしていました。それから急速に日本も変わっていったのです。私もまだ若かった、大した抵抗もなく受け入れました。
だんだん歳を取りました。まだ、オタオタはしていなかったと思うのですが、乗っている時(私は止まっていました)歩いている男性の、ブリーフケースの角が、ちょうど私の膝裏に当たったのです。カクンと脚が折れた状態になり、転げ落ちそうな怖い目にあいました。まあ、手摺を持っていましたから助かりましたが。この時からエスカレーターの危険を感じたのでした。障害のある人にとってはましてや・・・ですよね
止まっているのと歩いて昇るのと、どれだけの時間差があるでしょう。命をかけるほどの差があるとは思いません。ここはいわゆる弱者に合わせてはどうでしょう。
それにエスカレーターに乗り込むところを観察して見ると、私の使用時間帯では、大抵短くはありますが行列になっています。歩いて昇るほうは人はまばらです。行列は止まる派の方です。こんな事なら両側を止まる派にして、行列を失くすればいいのに、とおせっちゃんは思うのです。
一休さんではありませんが、急がない、急がない、慌てない、慌てない。