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おせっちゃんの今日2

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沈黙する子供たち…折々のことば

2024-04-24 13:29:11 | 言葉

昨日のニュースで、赤ちゃんが生まれ出る場面を見ました。帝王切開での出産だそうです。生まれた赤ちゃんとママには「おめでとう!!」の声が似あうはずです。
違うのです。戦争の爆撃で、赤ちゃんを体内に生かしたまま、母親は亡くなっているのです。どうにか息のある赤ちゃんを助けるため、医師団は奮闘するのです。赤ちゃんには人工呼吸らしきものがhどこされ、どうにか命は助けられたようです。よかった!!と思える私は甘いのでしょうね。医師がぽつりと言いました。

「この子は生まれながらに、孤児だよ」と。

多分自分の命の最後を注いで、子供の命を守った母親だったのでしょうが・・・

テレビ画面は、爆撃は、向こうが先にやった、これは報復のものだ、こちらの権利だ、と主張する国を率いる首長。あなたは親ではないのですか。何の罪もない子供のこの状態が、正義にかなうものだと思うのですか。

ただただ、この子の行く末の少しでも幸せで、平穏なことを祈るだけしかできない自分を嘆きながら新聞の切り抜きから、こんな「折々のことば」を拾い出しました。

『これほど多くの沈黙する子供たちと動物が一つの場所にいるところを、私は見たことがありません』

ウクライナの西端にある、人形劇場の芸術総監督は、ロシアの侵攻下、劇場をシェルターとして開放した。彼女が最も恐ろしかったのは、最初の二日間の底知れぬ沈黙だったと言います。子供というものは、周りの様子などどこ吹く風、騒いでばかりいるはずなのに。と。

その子供も動物も、それほどに打ちのめされていたというのですね。
兎に角、指導者は話し合いで戦いに幕を引けませんか。根本的な休戦は、少し遅れてでもいい。とにかく子供たちに、思いっきり大声と笑い声が出せる環境を与えてからのことにしては!!

 


母に必要な物は

2024-04-23 14:52:00 | 言葉

『望むサポートは、これだけ近づいてもなかなか見えないものだ』 井形慶子(作家)の言葉

井形さんの言葉を読むよりは、解説者・鷲田清一氏の解説文を呼んだ方が具体的によく分かるような気がしますので、勝手ですが、おせっちゃんが引用して載せます。

井形さんは、80代の両親の家じまいを手伝った。彼らの思いを尊重したが、長く離れて暮らしていたもので、戸惑うことが多かった。

『母に必要なのは、掃除や買い物の代行よりは、備品の取扱説明書を解読してもらう事だった。家の売却より大事なのは、昼に食べるうどんのことだった。
どう生きるかの選択などをついぞ人に委ねなかった』

そう実際、電気製品の使用法など、もう少しわかりやすく説明できないものか。電気釜一つで、お手上げですよね。AIだか何だか知らんけど、米をご飯に焚き上げるのに、あれほど煩雑な設定がいるだろうか。コンピューターを駆使しなくても、羽釜に水を入れて、掌を米の上に広げて。水の深さを測れば、絶妙な銀シャリ飯が炊き上がるのです~だ。薄っすらと狐色の御焦げ付きで。(おせっちゃんのたわごと)


折々のことば・・漁師の言い伝え

2024-04-22 13:50:34 | 言葉

『毎年一年生』・漁師の言い伝え

岡山の漁師・富永邦彦さんの言葉。自然に振り回されてばかりの仕事です。でもゴールのなさが、逆に楽しい、と。
季節は巡るが、毎年違う顔を見せる。年上のものは年少の世代の話を、若い世代は、昔の話をきちんと聞く。自然の厳しさが、人々に相互の敬意を促す。

おせっちゃんは瀬戸内海を小高い山の中腹の家から見晴らして、その美しさも、あらしの夜の怖さも経験して育ちました。戦後の食糧難の時代は、泳ぎに行ってもアサリを掘って、食料を取ってくるのが子どもの役目でした。漁師を訪ねていけば、生簀からピチピチの魚を分けてもらえました。今のパパママのように、子供の相手を親がするという時代ではありませんでした。父が、おせっちゃん、らい太エビをとrに行くぞ~と連れて行ってくれました。父は肩に横長の熊手のような海の砂を浅く掻くいましたし、私と妹は、魚籠と網を持っていました。父が後ろ下がりで、熊手状の道具を引きます。砂の中に眠っていたクルマエビがぴょんと出てくるのです。それ、はやく!!網でエビをすくうのです。
時々会うと妹と、食糧難というけれど、私達取れたての海の幸を頂いていたのね。贅沢したのね、と言い合うのです。

岡山の富永さんのお言葉とは、関係のない話に飛びましたが、お許しください。


「先生」という呼称

2024-04-18 16:10:20 | 言葉

近頃とみに視力が視力が衰えてきました。疲れる、霞む、ぼんやりする、注意力が続かない、老化現象とあきらめてはいるけれど。その退歩した目でも、よく目を通す新聞記事に、朝日新聞の「声」欄があります。それを集めたどう思いますか、コーナーも興味を持って読みます。自分の考えを述べた投書、それを読んだ人のさまざまの考えの投書。面白いし、こんな考え方もと、世界が広がる気がすることもあります。

17日には、「先生」という呼称についての様々な意見に興味を覚えました。

「先生」は敬称の一つで、自分のことを呼ぶのにはふさわしくない、教壇から生徒に話す時に使うべきではないという考えから、生徒の身分と先生という立場とでは、もちろん先生が敬われる立場です。それだけのものを身に付けていらっしゃるのです。それを教えるために、自分のことをあえて「先生」と呼んでいるのです。敬う気持ちが薄れる近頃、必要なこと。という考えもありました。

いろいろですね。

私の85年の航路の中で、「先生」という言葉で印象に残った方が二人いらっしゃいました。中学2年生の時の、理科の先生でした。まだお若い、独身でいらっしゃいました。
はじめての授業の、第一声が「僕は自分のことを先生とは呼びません。」でした。
「僕は大学を卒業して、君たちが初めての生徒です。自分を先生というだけの力も、技術も人間性もまだ持っていません。ほとんど君たちと同じ程度の若造です。先生とは口幅ったくて言えません。
でも、今から、君たちと一緒に努力して伸びていこうという気持ちは大きく持っています。皆さん、ぼくといっしょに坂道を登ってください。みんな仲間です」。

後にたったの三年間、プロ意識の欠如した学生気分の抜けていない勤め方でしたが、いわゆる先生になりました。。今でもその当時の生徒さん方には謝っている私なのです.だから当然と言えば当然ですが、自分のことを先生とは呼べませんでした。呼びませんでした。私、で通しました」。
あの理科の先生の真似をしたのです。

あとひとかたの「先生」は明日書きます。


独りぼっちのオオカミ・・・折々のことば

2024-04-09 14:16:00 | 言葉

『オオカミらしくなくて、ほんとうによかった。みんなとちがうって、なんてすばらしいの』

解説の鷲田清一氏の解説によれば、科学教育者の絵本「独りぼっちのオオカミ」にある言葉のようです。
解説文は続きます。
『取っ組みあいも猟ごっこもできず、群れに入れないオオカミの子は、早くオオカミらしくなりたかった。あるひ、見知らぬ生きものと出会う。その子が掌をオオカミの頭に乗せた。思いがけない対面。やがてオオカミとヒトは種を越え仲間になった』。

多様性が大切なことと考える世の中になってきています。それを意識して書いた、絵本でしょうか。
権力を持ったある人の言葉で、皆が同じになることを強制される世の中は御免だとえほんで何気なく教えるのでしょうか。

偶然でしょうか、ほとんど同じ日の日経新聞「全面広告」のページにこんな目立つ広告がありました。1ページ、濃淡のグラデーションではありますが、ほとんど真っ赤ともいえるページです。そこにライオンの顔!!
大きな文字で

赤いライオンがいたって、いいじゃあないか。

こういうものと決めつけなくていじゃないか。

そこから一歩踏み出してみればいいじゃないか。

できるまで挑み続けてみても、いいじゃないか。

そんな不動産会社があったって。いいじゃないか

最後はコマーシャルに行きつきましたが、固有名詞はありませんでした。