goo blog サービス終了のお知らせ 

おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道

2024-05-17 13:50:16 | 言葉

『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』

4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。
浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。
「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。

このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけれど。

今、AIだの、ネットだので、あっという間に正しいと(思われる)解答が得られます。確かに便利です。でもあまりにお手軽過ぎないかと思うこともあります。学生・生徒はググって、素早く苦労もなく回答を得るようです。
速いことはいいことだとばかり、斜め読みに読み散らし(倍速読みというらしい)、コピーして終わりと言う手軽さに落ち込むようです。

はたしてこれでいいのかしら。学生時代から手紙が続いているボーイフレンドは、趣味でずっと小説を書いていますが、倍速読みを怪しからんとお怒りです。ゆっくり、じっくり読み解き、自分の考えも理解し直し、作者の真の思想を読むという作業もなく、読み飛ばすのか、と。

人間、知識らしきものを手に入れたような気がしているだけで、本当の教育など受けるすべさえ知らないまま短い一生を消化してしまうのでしょうか。命を無駄に投げ捨てることにならないのでしょうか。

 


待ってくれるんじゃない。 

2024-05-16 16:34:46 | 言葉

『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』  森崎和江の旧友

夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお薬師さんに参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。
朝鮮で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。

決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。
ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。

御せっちゃんは、そう思う。


おててが切れちゃうよ

2024-05-14 13:40:45 | 言葉

11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。
解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。

あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。

ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。
母からあまり料理を習ったことはない。多分、教えるほどの料理ができる時代ではなかったのだと思う。そのまま勤めに出て、夕食にやっと間に合う時間に帰宅してできている夕ご飯を頂いたから、実際に料理をしたのは、結婚して嫌でも自分が飯炊き婆さんをやり始めてからだったかと思う。

やってみれば、な~んだ、少しも難しいことではなかったじゃあないの、だった。

子供ができ、台所で、母親の台所仕事を見るまでに成長した。ママの手元を食い入るように見ながら、固まっていた子供たちを思い出す。
この包丁儀礼は、母を尊敬するための儀式であったかもしれない。

解説文はもう少し続く。『物語に琴線を震わせるよりさらに初源的なこの情動人は動物からむけられることもある』。と締められてある。

ペットを家族の一員として暮らすということをしたことのないおせっちゃんは、この心のやり取りが今ひとつわからない唐変木である。


寿司屋の湯飲み(?)・・・いいえ、国字です

2024-05-09 16:40:39 | 言葉

ブログダネに新聞を切り抜いてどうにか記事にでっちあげるという状態のおせっちゃんです。おコタの上に、いつだったか孫H君がお土産に持って来てくれた「もみじ饅頭」の箱が置いてあります。切り抜いたものはこの箱の中に入れます。
読んだその時は、ああこれはこういう体験を入れれば、曲がりながらにでも記事になると思うのです。
なかなかまとまらず、時世に遅れた、ニュース性のないものになるのです。
そんなおせっちゃんの選択を経たのでしょうか、整理していたものの中に面白いものを見つけました。日経新聞の「春秋」の文が底の方から出てきました。

ほとんど春秋氏から盗んだものですが、文字離れ、漢字離れしていると言われる私達には面白いかと写します。文はおせっちゃんが切り貼りしています。春秋氏さんお許しを。

『鰯・鱈・鯒・鰰・・・寿司屋の湯飲みではありません。国字です。どれも日本で作られた漢字です。
我らの先哲は実にうまく表したものだ。順に、いわし・たら・こち・はたはた。

国字で一番よく使われるのは「働」に違いない。国字なのに音読みもあり、官公庁の名称を始め、世間には「労働」などという言葉があふれている。「動」に、にんべんを添えて、「はたらく」。この字を考案した人は働くという営為に生身の人間の夢や希望や悲しみや苦しみを重ねていたのだろう。

そうだよね。啄木はじっと手を見たのだし、子どもたちは、太陽に手をすかして見て、もっと大きく、もっと高くと希望したのだろう。(おせっちゃん)

春秋氏は味わい深い国字として、次のような文字と文を寄せている。

『辻(つじ)で行く先に惑い,凩(こがらし)に耐え、峠(とうげ)を越えて梺(ふもと)に下りようやくおだやかな凪(なぎ)が訪れる』。そう思いたい。


覚悟の磨き方・・・新聞広告で見つけた言葉

2024-04-25 17:12:09 | 言葉

今、パソコン教室から帰ってきました。久しぶりの上天気。暑い!!
洗濯物、カラリt乾いて、おせっちゃん上機嫌。
そんなわけで、今日は手抜きブログです。本の広告の中にあった言葉ですけれど、そのままご紹介します
私も考えます。読んでくださった方で、興味を覚えた方、考えてみてください。

時代のすべての異端児たちへ「覚悟の磨き方」「超訳 吉田松陰」という本の広告です
「覚悟の磨き方というタイトルの下に

「不安と生きるか。理想に死ぬか」とあります。

なお、出版社の言葉でしょうか、
「時代の常識をことごとく破り、幕末の英雄たちに大きな影響を与えた吉田松陰から学ぶ176の言葉、とあります。

176ある言葉の、ほんの五つの言葉ですが・・・

人類が誕生して以来、一つのことに本気で取り組んでいる人の姿を見て、心を動かさなかった人はいません。

結果はさまざまです。全力を出せたかどうか、それだけを振り返りましょう。正解なのはそれだけですから。

私は人を疑い続けてうまくやるよりも、人を信じ続けて、馬鹿を見る男になりたい。

お願いですから、本当にお願いですからたった一回負けたくらいで、止めないでください。

最もつまらないと思うのは、人との約束を破る人ではなく、自分との約束を破る人です。

上の文を書き写しながら、この吉田松陰という人は、あの吉田松陰を尊敬し、自らその人になりきって書いている人ではないかと思いました。本ものの松陰が・・・まさかですよね。でも、おせっちゃん、味わいのある言葉と思います。そのまま投稿します。