K藤先生は、また我々研修医の当直(大学病院、および関連病院)の割り振りもしていました。医局ではタクシーみたいに「配車係」と言われている仕事でした。研修医の月給は、当時の労働医科大学で13万3300円でした。これの12倍が年収で、ここから税金が引かれます。当然ボーナスなし、時間外なし、です。いくら毎日病院で寝泊まりしていても足りませんから、外の病院に当直に出るのです。このシステムも現在は崩れてしまい、医療崩壊だの医師不足などと言われますが、不足する以前は若いドクターのただ働き同然の勤務体系があったからなんとかなっていただけなのですね。しかし、その話ではありません。同期の内科系ドクターたちは6月ころから、呼ばれることの少ない楽な当直に出ています。外科ではある程度なんとかできないと仕事になりませんから、救急処置や病棟での処置がある程度できるようになってから、やっと当直に行くことを許されるのです。私の同期は5人、あさしゃん、たーさん、かやぼう、おますちゃん、そして私。9月になり、外科当直のトップバッター(だったかな?)としてちくほう市のM上外科へ出かけることになりました。
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