Osawasense's Blog

徘徊記録の一部です。

2003年11月1日八ヶ岳(1)

2003年11月05日 | 2003年の旅
「山は、一人で行くなよ」と忠告してくれていた父が6月に永眠した。
厄年の僕の厄を身代わりに引き受けてくれたかのように。
と勝手に解釈して、不肖息子は南八ヶ岳へ向かった。
天に向かって・・・?


2003年11月1日八ヶ岳(2)

2003年11月05日 | 2003年の旅
本日の行程
茅野6:35――美濃戸口7:20――8:15美濃戸8:30――10:30行者小屋12:00――尾根分岐13:05――赤岳13:40

夜行で1時間ほどしか寝つけず、出発日にホークス優勝記念セールで安く買った40Lのザックが体にしっくり合わず、バランスの取り方に苦労する。
が、美濃戸からの登りは一直線で単純明快、八ヶ岳の森の香りを嗅ぎながら黙々と歩いたせいか、コースタイム以上のハイぺースで行者小屋へ。

2003年11月1日八ヶ岳(4)

2003年11月05日 | 2003年の旅
行者小屋からは文三郎尾根道をめざして一転、急登になり、ぐんぐん高度を上げる。風は冷たく、谷筋には雪が残っている。大休止すると寒いので、一気に登るしかない。
高度差もあってか、胸に鈍い痛みを感じる。鉄階段、はしごは味気ないが高度はかせげる。

2003年11月1日八ヶ岳(6)

2003年11月05日 | 2003年の旅
間もなく50cmとなりに轟音イビキおやじがつめて来て起こされる(夜には絶え間なく爆音を聞かされて、一睡しかできなかった)。
夕食は、おでん5品程度にべちゃベちゃした飯。できれば二度と泊まりたくない印象。'90年ごろの秋に泊まったときは、愛想のいい60代の紳士(松坂慶子の友達だと自称していたが・・・)や、いろいろ果物をおすそ分けしてくれたおばちゃんたちのおかげで、「楽しい小屋の夜」という思い出になったが、それは「ソフト面の幸運」であったにすぎず、ハード面では中の下クラスの宿ではないか?ただ連休で混雑していたせいかもしれないが。
寝ながら窓から富士山を眺められるのだけがセールスポイントにはなるか・・・。

2003年11月2日八ヶ岳(1)

2003年11月05日 | 2003年の旅
本日の行程
赤岳7:40発――8:10文三郎道分岐――9:10キレット小屋9:50――11:20権限岳12:30――13:20のろし場13:30――13:50青年小屋⇔編笠山往復0:50

寒くもなく、小屋前ヘリポートで御来光を眺められたのは幸先がよかった。
遠くは槍穂まで朝焼けに姿を現してくる眺めは荘厳だった。

2003年11月2日八ヶ岳(7)

2003年11月05日 | 2003年の旅
ずっと富士山が浮かんで見えているほど、天気が極上なのは幸いか。約450mを一気に下る。
キレット小屋は閉鎖されているが、少し下った樹林帯の中にあるテン場は、富士山を眺められて極上の環境に見える。少し乏しいもののうまい涌き水が水場になっている。小屋閉鎖中は無料だから「お得」感がある。
権現岳には、せっかく下ったキレットから今度は200mほどの登りになる。この登りもキレットヘの下りと同様、相が悪く、ところどころヒヤッとしながら、鎖場、最後の鉄梯子を乗り切ってやっと尾根筋に出ることができた。


2003年11月2日八ヶ岳(9)

2003年11月05日 | 2003年の旅
ここからはいよいよ下山で、ひざの衝撃をストックでかばいつつ、一気に青年小屋へ。浮き石も多く、何度も転倒しかかったが、ストックのおかげで救われた。
青年小屋に着くとやはりまだ午後も早いので、空身で編笠山を往復する。黒百合から天狗岳往復に似た趣か。午後の日差しは、諏訪の街に幾条ものカーテンのように降り注いでいて、のどかで雄大な山頂展望を楽しめた。
小屋は、大部屋にグループ客が何組かまとめられているようで、6畳間に単独組おっさん6人の一人としてあてがわれた。気さくないい人ばかり。
夕食は、肉と野菜の味噌炒めを中心に、具だくさんの豚汁、サラダなど20品目近くある豪華版だった。しかもうまい。頂上小屋より200円安い7,500ながら、雲泥の差!
竹内敬一という小屋主がエプロン姿で「鮮度の都合で急きょ献立を変えましたので少し遅くなりましたが、豚汁もおかずもお代わり自由ですからどうぞ」とあいさつされ、自ら中華鍋を持って回ってお代わりしてくれる。
若々しい小屋スタッフも愛想がよく、「当たり」の山小屋だった。いい意味で、オーナーの顔が見える経営という感じか。
食後、名も知らぬ客の紳士からウィスキーを1杯いただく。
建物は古く、廊下は今にも床が抜けそうなほどで、部屋は一番はずれのトイレの隣なので、人通りが最も頻繁で、そのたびに部屋に振動が伝わってくる。
「こりゃ夜は眼れませんね」とこぼすと、「では私が廊下側に寝ますから皆さん奥に布団を敷いて下さい」と率先してクッション役(?)を買って出てくれた人物がいて、翌日も大変お世話になることに・・・。