麦は放浪癖

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腰椎椎間板ヘルニアの手術についても掲載しています。

えちぜん鉄道・東尋坊・永平寺

2012-09-09 15:53:54 | 旅行

9月8日、未明の2時に東海市を出発。えちぜん鉄道勝山駅へ向かった。

えちぜん鉄道は京福電鉄時代に福井~田原町しか乗ったことがなかった。今回で全線を乗り潰し、ついでに東尋坊永平寺にも行ってみよう。天気予報によると午後から雨になるようだ。午前中が勝負である。
勝山発6:03の初電に乗って福井口で三国港行きに乗り換え。ローカル私鉄だが、路盤整備が行き届いており、電車は最高75km/hで走り、乗り心地も悪くなかった。日中の便の一部には女性CA(旅客専務車掌の仕事をしていた)が乗務していたほかは、特に特長も何もなく、書くことがない。

使用した切符は土日祝日のみ販売の一日フリーきっぷ(800円)だった。勝山から三国港まで普通乗車券だと980円。片道だけで既に元が取れる大変お得な切符だった。

終点の三国港駅前から京福バスで5分(190円)ほどで東尋坊に到着。天気が良く、朝9時前なのに陽射しが強く暑かった。と、ここで勝山駅に停めた車に傘を忘れたことを気付いた。


東尋坊の柱状節理


こちらはGiants Causewayの柱状節理(2005年5月)

行ってみて初めて知ったのだが、東尋坊は典型的な柱状節理の地形だった。これは日本国内では珍しい奇岩地形だ。しかし、北アイルランドで見た柱状節理のGiants Causewayと比較すると割れた岩の大きさが一定していないようだ。

自殺の名所として有名な東尋坊だが、実際には急崖の上下の比高は15mほどでそれほど高くない。それよりも奇岩地形のおどろおどろしさで自殺の名所なとという不名誉な称号が付いてしまったのではなかろうか。

暑かったので東尋坊は早々に退散して三国港駅に戻り、えちぜん鉄道を乗り継いで永平寺に向かった。

永平寺口駅はなかなか趣のある駅舎で、ドラマや映画の撮影に使えそうな感じだった。ここからは京福バスで12分(410円)で永平寺の門前に到着。

永平寺は曹洞宗の大本山であり、ウチ一族の宗派は曹洞宗なので、以前から行ってみたかった寺である。多くの若い僧が修行に励んでいる姿も見ることができ、宗派大本山の規模の大きさを知ることができた。

さて、時刻は13:30過ぎ、ここまで雨に降られずに済んだ。勝山駅に戻り、車に乗り換えて帰宅したが、油坂峠の前後で雨に降られたものの、そのほかは良い天気だった。

 


スカイレールサービス

2012-09-09 14:35:32 | 旅行

8月31日の夜から高速道路を走り、9月1日の早朝、瀬野駅前に着いた。目的はスカイレールサービスの乗り潰しである。

休日ダイヤの初電は7:00と遅い寝覚めである。JR山陽本線の瀬野駅とスカイレールサービスのみどり口駅は共に橋上駅舎でつながった形をしていた。

自動券売機で150円の切符を買い、自動改札機に差し込むと呑み込まれたまま出てこない。いや、出てこないのではなく、乗車駅で切符は回収され、下車するときは無改札なのである。

時間になると懸垂式のゴンドラのドアが自動で閉まり、無人運転でゴロゴロと動き始めた。
すぐに急勾配となり、グングンと上昇。瞬く間に瀬野駅周辺が小さくなり、山を切り開いた新興住宅街の中を更に上昇していく。途中で1駅停まり、終点のみどり中央までわずか5分。1.3kmだった。

国土地理院の地形図を読むと、みどり口駅とみどり中央駅の比高は約160mもあり、新興住宅街(スカイレールタウンみどり坂)の最低部と最高部の比高も約150mに達している。


スカイレールサービスの車両、心臓破りの階段、住宅街入り口のスーパーマーケット
瀬野・みどり口駅北のロータリーから撮影

車窓からは住宅街を見渡すことができたが、入り口付近にスーパーマーケットがあったほかは、買物、食事など一切のの商業施設が見当たらない。スーパーマーケットは中途半端な場所にあり、みどり口駅からは心臓破りの階段を昇らなければ到達できず、途中駅のみどり中街駅からは遠く離れている。団地内にはバス路線もない。
つまりスカイレールタウンみどり坂では、肝心のスカイレールサービスは買物には利用できず、スーパーと自宅の位置や比高を考慮すると、車なしでは生活が成り立たない場所であるということだ。

果たして、ここは生活に便利な街なのだろうか?住民が将来年老いて足腰が弱り、車の運転もできなくなる年齢になったとき、どのような対策を採るのか、今のうちから考えておくべきと思った。


大井川鐵道 大井川本線

2012-09-09 13:52:36 | 旅行

8月25日の続き

遠鉄を乗り潰した私は、大井川鐵道大井川本線の乗り潰しのために新金谷駅に移動した。

井川線(千頭井川)は20年以上前に乗ったのだが、大井川本線にはまだ乗ったことがなかった。地理的条件から見ると、普通は逆なのだが…。

駅には車庫や工場が併設されており、近鉄特急のお下がりや京阪特急のお下がりや蒸気機関車などを見ることができた。近付いて写真を撮れる場所もあったが、あまりの暑さに歩く気力がなく断念。
駅の駐車場は鉄道ファンやSLファンの観光名所になっているためか、終日700円の料金がかかる。ちなみに起点の金谷駅には駐車場はない。

14:54発の金谷行きで起点の金谷に移動。金谷で15:00から発売となる「たそがれ終電きっぷ」(2,000円)を購入した。
大井川本線で起点の金谷から終点の千頭まで乗り通すと、通常運賃で1,810円かかるが、この切符だと金谷駅以外で乗降自由である。頑張って2往復してもOK。大変お得な切符である。

千頭まで往復したのは南海ズームカーのお下がりだった。途中ですれ違った他の電車は近鉄特急のお下がりばかりだったが、私は1編成しか走っていない南海ズームカーに乗りたかったので運が良かった。
大井川の川沿いをクネクネとのんびり走り、途中で居眠りしてしまった。「たそがれ終電きっぷ」を使ったのだが新金谷に戻った時刻は18時過ぎであり、まだまだ明るい。この季節に使うには早い時間帯だったようだ。


遠州鉄道

2012-09-09 13:00:59 | 旅行

8月25日は遠州鉄道と大井川鐵道大井川本線の乗り潰しにお出かけ。

朝からカンカン照りで気温はグングン上昇。途中の伊勢湾岸自動車道で車両火災に遭遇。暑い日はイロイロとトラブルがありそうだ。

11:30頃に遠鉄の北の終点である西鹿島に到着。この日は夜に花火大会があるとのことで、駅前の商店は早くも露店を出していた。しかし、快晴の猛暑。店番は椅子にへたり込んでぐったりしていたが大丈夫だったのだろうか?

私も汗が出て大変なので、タオルを買いに駅から100mほどのところにあるドラッグストア「杏林堂」に行った。ところがタオルが見当たらない。店員に尋ねたところ「タオルは置いてません」。タオルを売らずに何がドラッグストアだ。看板を下ろせ!!

遠鉄はさすがに政令指定都市の通勤路線。設備や車両は近代的で、ICカード乗車システムも導入されていた。終点の新浜松は近代的な外観だったが、駅の内部は昭和のまま時間が停まっていた。
終点まで17駅全てに停車し、17.8kmを32分で走破した。

西鹿島駅に戻り、今度は大井川鐵道の新金谷駅に向かった。露店の店番は約80分前と同じ姿勢のままぐったりしていた。


箱根登山鉄道

2012-09-09 12:33:37 | 旅行

8月13日 大雄山線からの続き

箱根登山線仕様に厚化粧した小田急1000系

小田原で箱根登山鉄道に乗り換え。朝6時過ぎの電車でまず箱根湯本に向かった。
箱根湯本までは大学生時代に乗ったことのある区間だ。

箱根登山鉄道の線路幅は標準軌、乗り入れる小田急電鉄は狭軌なので小田原から小田急車両の終点である箱根湯本までは線路が3本敷設してある。
というのは以前の話。現在では小田原~箱根湯本間は小田急車両が運行するようになっており、小田原から入生田までは狭軌の軌道のみが敷設されている。検車区のある入生田から箱根湯本までの1.9kmは、標準軌狭軌の3本敷設が残っている。
いつから変わったのか、全く気付かなかった。

箱根湯本からはご覧の古~い電車。クーラーなし。
しかし、早朝、しかもがら空きだったこともあり、動き出すと涼しい風が窓から入り、気持ちよかった。


強羅駅

80‰の急勾配やr30mの急カーブをものともせず、釣りかけモーターの無骨な音や台車の転動音を箱根山中に轟かせ、終点の強羅まで8.9kmを37分で登り切った。80‰とは1m進むにつき8cm上昇していく傾きであり、座席に座っていても傾きを体感できる凄さ。

強羅から更に上にはケーブルカーで登る。これも箱根登山鉄道の経営である。10分少々で早雲山に到着。軌道の鉄道はここまでで、ロープウェイが更に続いている。しかしロープウェイは乗り潰し対象でないことと、早朝で営業が始まっていないこともあり、ここで大雄山まで引き返すこととした。

帰りの箱根登山鉄道線はご覧の新しい車両。こちらはクーラーを搭載していた。
世の中が起きて活動を始めたようで、途中ですれ違う登山電車はどれも満員だった。夏場は早朝列車狙いが良さそうだ。

大雄山駅には10時少し前に戻った。
再び往路とほぼ同じ経路で帰途に着き、東海市には18時過ぎに帰着した。


伊豆箱根鉄道 大雄山線

2012-09-09 11:38:00 | 旅行

8月12日の夜からR23 → R42 → R1 → R246を乗り継いで、13日早朝。

伊豆箱根鉄道 大雄山駅にやってきた。到着時刻は深夜2:30。初電直前の5時まで南足柄市役所の駐車場で仮眠をとった。

これが大雄山線で使用されている5000系電車。大雄山線の電車は行先が起終点の小田原と大雄山しかないため、行先表示器はご覧のような節約設計。思わず吹き出した。他にはこれといった特徴なし。

路線はわずか9.6km。何の変哲もない田舎の通勤路線といった風情の中をのんびり走り、20分ほどで終点の小田原に着いた。あまりに没個性の路線なので、記憶が残っていない。

小田原から箱根登山鉄道に乗り換えた。


和歌山電鐵 貴志川線

2012-08-26 23:04:50 | 旅行

腰の調子は日々回復を実感できる良い状態が続いている。
というわけで、ボチボチ放浪癖が頭をもたげてきた。

8月11日の夜から和歌山電鐵を目指し、深夜ドライブ。お盆休みということもあり、高速道路は大渋滞となることを予測していたが、案の定、伊勢湾岸自動車道の湾岸桑名IC付近から動かなくなった。

こうなることは想定していたので、私の計画では四日市東ICで高速道路を降り、鈴鹿山脈の裾野を通る裏道で亀山に抜け、名阪国道で天理市へ向かうルートを考えていた。
結局、予定通りのルートで天理市に達し、橿原市からR24経由で和歌山市に向かった。

途中で眠くなったので、某市の官公署の駐車場に車を停めて仮眠。コンビニ駐車場などは明るくて騒がしいし、治安があまりよろしくなさそうなので、仮眠場所は官公署の駐車場が快適だ。税務署や法務局にカツアゲに行こうとする発想は誰も持たないだろう。

車を和歌山駅近くの駐車場に停め、朝7時過ぎの和歌山発に乗車。車両は南海時代の車両そのものだが、私の乗った編成は「おもちゃ電車」と銘打ってあり、中にショーケースが設置され、鉄道模型などが飾ってあった。

和歌山駅は大阪への通勤圏を感じさせる雰囲気だったが、和歌山電鐵は田舎町の町内電車そのもの。和歌山市街地では家の軒先や裏庭の物干し竿をかすめてゴロゴロと進み、家並みが途切れると典型的な地方の風景。約30分で終点の貴志に到着した。

貴志駅は猫のタマ駅長が有名。駅舎も猫っぽいデザインで、駅の中にはタマ駅長の写真が沢山飾ってあった。しかし、写真はどれも白黒写真ばかりなので、タマ駅長は鬼籍に入ったのかと勘違いしてしまった。
ちなみにタマ駅長は早朝だったためか「出勤」前だった。

帰りは往路とほぼ同じ経路を逆にたどり、自宅には13時過ぎに帰り着いた。

腰は何ともなく大丈夫。夜には近所の居酒屋に出掛け、居酒屋が入居するビルの屋上から東海市花火大会を見物した。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その後

2012-08-09 21:52:06 | 腰椎手術

8月8日に手術後3ヶ月検査で病院へ行ってきた。

レントゲン撮影の結果、移植骨は癒着が完成したとのことで、
・コルセットは装着しなくて良い
・体の動きに制限はない(ひねる動きもOK)
・ここまで毎月検査していたが、次回の検査は3ヵ月後。3ヵ月後も状態が良ければ、その次は2013年5月(手術後1年)。

ということだった。

長く苦しんできた腰痛だったが、収束の目処が立った。

ということで、早速コルセットを外して出勤したが、これまで腰を補助してくれたコルセットがないため、腰がすわらない感覚が気になり、かえって腰周りに疲れが出て辛かった。
引き続き水中歩行のリハビリを続けなければならないようだ。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その16 費用

2012-06-17 22:41:55 | 腰椎手術

私は100%相手方過失による交通事故が原因で腰椎椎間板ヘルニアとなり、今回の手術に至った。支払いは相手方の保険会社である。

しかし腰椎椎間板ヘルニアは交通事故だけが原因ではない。誰でも突然発症する可能性がある。自身の生活の中で発症した場合、病院への支払いは当然自分自身の財布からとなる。

私の手術では検査入院で約23万円、手術入院で約440万円という会計である。

これは相手方保険会社へ行く自由診療での請求金額であり、私からの支払いは0円である。もし、交通事故ではなく健康保険での診療となる場合は3割負担分の約139万円を財布から支払うこととなる。

ポンと出せる金額ではないので、高額医療費の還付制度や、自身が加入している保険の中身を確認するなどして、負担軽減に努める必要がある。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その15 退院・退院後

2012-06-10 17:24:45 | 腰椎手術

5月17日の抜糸の時点で医師から「来週には退院できますよ」と見通しが示され、週明けの5月21日に「いつ退院します?」
実家に帰っている母が私の退院に合わせて私の家に来ることとなっており、また、病院まで迎えに来て下さる近所の知人のスケジュールを調整して、退院日は5月26日となった。

退院の日10:30頃、近所の知人が車で迎えに来て、私の荷物を抱えて車に運び込んで下さった。退院するとはいえ、荷物を持つことができないのだ。
車はセダンタイプ。というか、メルセデスベンツ。車に乗り込むのは良かったが、降りようとすると、体が座席に沈み込んでいるために動けない。革張りの座席でジタバタと格闘し、何とか降りることができた。
帰宅途中で昼食をとり、自宅には12時頃に到着。自宅マンションは4階建てでエレベーターは付いていない。階段には手摺もない。しかし、リハビリと自主トレの成果もあり、難なく3階の部屋にたどり着けた。

退院時に誤解することがないように述べておくが、体は完全な状態ではない。健常な状態と比較すると、できる動きはあまりに限定的すぎる。

  • ごく軽いものしか持てない。
  • 腰を大きく曲げることができない。靴下などを履くときは相当苦労する。
  • コルセットは3ヶ月から6ヶ月は装着し続けなければならない。
  • リハビリ程度の運動は必要だが、走るなどの激しい動きはできない。
  • 坐骨神経痛は数ヶ月かけて徐々に消えるため、退院時点では痛みがキツイこともある。

退院後も定期検査のため、通院することとなる。
私は6月6日にチョット早めの手術後1ヶ月検査で、レントゲン撮影があった。経過は順調らしく、主治医は「うん! これはきれいな写真だ!」と喜んでいた。
次回の検査は7月4日に予定されており、手術後半年間は月に一度の検査があるようだ。

屋外を歩くとき、医者からは既に必要なしと言われているのだが、杖を突くようにしている。外は病院と違い、自転車が飛び出してきたり人ごみでぶつかったりと危険がいっぱいである。健常者であれば、杖を突いて歩く人を見かけたら自然と道を開けるだろう。杖は露払いの役目を果たしてくれるため、俊敏な動きが戻るまでは杖はあったほうが良い。なお、「杖を突く」と書いたが、体重を杖にあずけているわけではない。数歩に一度コツンと突く程度である。杖に体重をあずけるような歩行方法では、本当に杖が手放せなくなってしまう。

職場には6月1日に復帰、母は6月3日に実家に帰宅し、日常が戻ってきた。

【2012年6月30日追記】
退院してから1ヶ月が過ぎての状態を追記。

現在の体の状態は、コルセットを装着したままの現段階で回復できる上限まで到達したように感じている。
午前中、体はスイスイと動かせる。昼休み中はソファーに横たわり、午前中に上半身の重みでめり込んだ腰を回復させている。
しかし午後になると徐々に腰に疲れがたまってきて体の動きがギクシャクとなってしまう。
仕事の内容はずっと座っての事務仕事なので、重量物を持つことや、動き回っての腰への負担はない。しかし、夕方にはかなりの疲れを感じるので、削げ落ちた背筋を回復させなければならないと感じている。

今後、更なる回復を感じられるのは、コルセットが外れてからだと思っている。

また、本日より背筋トレーニングのため、近所の温水プールで水中歩行を始めることにしている。
毎日通っている接骨医から、「週1回では筋肉痛だけで終わってしまい効果がない。最低週2回は通いなさい」と指導された。

【2012年7月8日追記】
7月4日に手術後2ヶ月検診で大学病院へ行った。レントゲンを4枚撮影し(正面正立、側面前屈、側面正立、側面後屈)、主治医の診断によると、「その日の体調を見つつコルセットを外しましょう。」とのこと。普通3ヶ月から6ヶ月かかるところを2ヶ月で通過できたことになる。上出来!
次回の検診は8月。このときに状態が良ければ、その後の検診は3ヶ月に1度になるそうだ。