富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

《リバイバル・アーカイブス》富田林市の難読地名クイズ

2016年05月19日 | クイズ

〈リバイバル・アーカイブス〉2021.8.9.~8.23.

原本:2016年5月19日

 

富田林市の難読地名クイズ

これはどう読みますか?→答えはクイズ10問の後にあります。

  毛人谷

 廿山

 川面

 大深

 山中田

 別井

 錦織

 

 甘南備

 富美ケ丘

入れるの忘れていた。「彼方」


 

【答え】 

*11問:「おちかた」

【毛人谷】 えびたに

富田林市には難読の地名が多いですね。私自身、富田林市に住んでいてそう思います。私は本町に住んでいますが、旧地名(大字)は「毛人谷(えびたに)」でした。

毛人谷は大字(おおあざ)で、少なくとも江戸時代以前から続く集落です。周りに条里地割が現存するので、ひっとしたら奈良時代から存在していたかもせれません。

初めての人は、まず「もうじんだに」とか「けじんだに」とか、100%読めません。年賀状なんか、「毛入(もうにゅう)谷」、「手入(ていれ)谷」とかしょっちゅうでした。

私の考えでは、毛人谷の「毛人」を蝦夷(えみし)と呼んだとき―この場合の「毛人・蝦夷」の意は、「えぞ」ではなく、地方者・田舎者というような軽い意味―「えみしだに」→「えみたに」→「えびたに」というような言葉の転訛がみられたのではないでしょうか。

~ここから、長いのでお急ぎの方は飛ばしてください。~

他の方の解釈の中には、「昔、髭の長い老人が住んでいた」という説、

また、蘇我蝦夷―『日本書紀』では蘇我蝦夷、通称は豊浦大臣(とゆらのおおおみ)。『上宮聖徳法王帝説』では「蘇我豊浦毛人(えみし)」。ご存知、645年の乙巳の変(いっしのへん)で、やられた方―が、蘇我豊浦毛人(えみし)で呼称されています。蘇我氏と石川郡(富田林市・河南町などをふくむ石川の中流域)はその後も深いつながりがあります。私は新堂廃寺と条里地割の施工はこの方の子孫ではないかと思っています。

つまり、もしそうだとしたら、富田林市および太子町、河南町、千早赤阪村の条里地割のある場所は、現在まで土地の区画に大きく影響を与えているわけですから、つまりつまり蘇我蝦夷(毛人)の子孫の方は、私たちの旧石川郡においては古代のヒーローなんですよ!

たぶんたぶん、蘇我倉山田石川麻呂の血筋がその可能性が高いと思われます。

また、小野毛人(おののえみし):天武天皇6年(677))は、飛鳥時代の官僚。遣隋使の小野妹子の子。江戸初期に現在京都市左京区上高野にある崇道神社近くの山から毛人の墓誌が発見され、現在国宝に指定されています。墓誌の碑文によると、天武天皇の元で太政官をつとめ、刑部大卿を兼務していたとあります。小野妹子のお墓は聖徳太子と同じく、太子町にありますよね。なんか関係はありませんか、ね?

私が生まれ、育って60年の「毛人谷」なのではっきりさせたいのですが、わかりません。

      

【廿山】 つづやま   

廿山=二十山のことです。山の尾根が多い土地柄にちなんでいるようです。ちなみに十、廿(二十)・卅(三十)・卌(四十)ですよね。

 廿はれっきとした中国から渡来した「漢字」、後に日本で合成した「国字」ではありません。十+十=廿(にじゅう)です。ネットで「にじゅう」と検索すると「廿」がでてきます。

 ところが、「廿」は「つづ」とは読めないんだな、これが...

 ヒントは「廿」→数が多い=つづら→葛・九十九、つづらおり→九十九折

 廿→つづ  で、しょうか (^_^;

 

【彼方】

順位表のなかに「彼方」を入れるのを忘れていました。ベストテンでは銅メダル以内間違いなしの難読地名ですが、なんと読むのでしょうか?

正解は「おちかた」

 普通は「かなた」でしょう。彼方此方(あちこち)であり、遠近(おちこち)を当てますね。「彼方(おち)」という音は遠賀川を「おんががわ」のように遠いという意味があるのでしょう。

ところで「彼方」は、一体どこに対して「おちかた」なんでしょうか。此方(こちかた)があるはずですが...錦織でしょうか?


 

では、もう一丁、

南河内の難読地名クイズ

これはどう読みますか?→答えはクイズ10問の後にあります。

  大饗

 毛穴

 国府

 茱萸木

 科長

 太井

 太井

 阿保

 菅生

 高向


 

【答え】

 富田林市ばかりでなく、南河内地方においても多くの難読地名が存在します。

極めつけは、河内長野市太井(おおい)、堺市美原区太井(たい)、藤井寺市大井(おおい)でしょうか。

また、お寺や仏像、宮廷行事に関しての地名も多いのが、南河内地方の特色でもあります。

阿弥(あみ):堺市美原区

菩提(ぼだい):堺市美原区

大饗(おわい):堺市美原区

*記紀においては「大饗」と書いて「おおあえ」と読む。大饗(だいきょう)とは、平安時代に内裏または大臣の邸宅で行った大規模な饗宴のこと。

 丈六(じょうろく):堺市東区

* 「釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから」1丈6尺(丈六)。また、その高さの仏像。座像の場合は半分の8尺に作るが、それも丈六といい、また、丈六より大きいものを大仏というそうです。

 また、難読地名はそれ以外にも、

碓井(うすい):羽曳野市碓井 *明治時代にこの地に初めて碓井豌豆が試験的に導入され、現在えんどう豆のトップブランドに。

大保(だいほ):堺市美原区 *中世、河内鋳物師のふるさと

など、ほかにも難読地名はございます。


 

では、さらにもう一丁、

南河内の難読地名クイズ

これはどう読みますか?→答えはクイズ10問の後にあります。

 神山

 二河原邊

 加納

 誉田

 布忍

 小山田

 大黒

 郡戸

 青崩

 河内


 【答え】

*「加納」は「かのう」とも読みます。「河内」は「かわち」とも読みます。

 

富田林市に住んでいると、もっと都市部の大阪人の同僚に「おまえの大阪弁は訛っとる。」と言われます。私からすると泉州の中心部の方のほうがもっと訛っていると思うのですけど、自分では気が付かないけど、そうなんでしょう、直す気はまったくありませんけど。

地名も別井(べっつい)、山中田(やまちゅうだ)、伏山(ふっしゃま)、錦織(にしこ(お)り)など、石川訛り?が付いて来る地名もあるようです。

 *錦織は「にしこり」「にしきおり」と読まれる地元の方もあります。地名は人名と同じく、間違えると失礼になってしまうので、ほんとうにむつかしいですね。

2016.5月19日 ( HN:アブラコウモリH )

 


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1 コメント

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Unknown (Boo)
2019-03-23 01:21:06
はじめまして。
母方の実家が別井ですので、子供の頃夏休みなると行っておりました。
地名やその他の記事を楽しく拝見しています。
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