富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

とんだばやし寺内町のえべっさん 2024

2024年01月10日 | イベント

2024.1.10 13:23 富田林市富田林町27 富栄戎(とみさかええびす)神社。じないまちの中にある「えべっさん」です。

 

寺内町の南東部 山中田(やまちゅうだ)坂の角、石川河川敷をあがったところにあります。ちょうど富田林街道の出口に当たります。

 

富栄戎のいわれは以下の通り。

「この富栄戎の起源は今から300年以上前の享保7年(1717)にさかのぼります。

江戸前期からすでに良質の井戸水、豊富な米、多くの働き手がいた富田林は周りの村々の中心的な町(在郷町)と成長し、周りの村々の生産した物資、米、木綿や菜種などを加工し、また逆に周りの農村が必要とする農具、金肥(種粕、干鰯など)を供給していました。

そして当時6軒あった造り酒屋(竹田、倉内、河村、万保、杉山家、後に仲村家が参入)が酒造仲間の「恵美寿講」を結成したことに始まります。「恵美寿講」が、商売繁昌を願って祭っていたのが、この神社です。

神社は、元々、別の場所(「新道中腹」=おそらく「新道」は新堂の新道地区の河岸段丘崖の中腹あたり、今の堺筋の延長上か?)にあったものと考えられています。

ただ、この「恵美寿講」も宝暦3年(1753)をもって、史料上から姿を消します。神社だけが残っていて明治23年(1890)に堺筋の新道をつける時にやむなく今の場所に移されたということです。
その時一旦ご神体は美具久留御魂神社にあずけられ祀られたそうです。この辺のいきさつはよくわかりません。

戦後になって、戎神社を祭るための「富栄戎講」が組織され、御神体を現在の場所に迎えました。毎年1月9日の宵戎の早朝には、美具久留御魂神社の宮司による祈祷が行われているそうです。

平成28年(2016)にリニューアルして白亜の外壁になった富栄戎が現在の「えべっさん」で、新しく「富栄戎神社えびす講」が発足し、運営にあたっておられます。」

富田林百景 「富栄戎と寺内町イベント」より 2023.1.12

 

色とりどりの「縁起もの」。

 

リースナブルなお値段の屋台。たこ焼きとおでんを買いました。展望広場でいただけます。

 

昨年の「縁起物」を返納する「返納箱」。

ここから富田林街道は石川を渡り、山中田、河南町寛弘寺、千早赤阪村森屋、水越峠、御所市名柄、下街道に至ります。

 

展望広場の3段の石垣

山中田坂はじないまちのある河岸段丘面を下り、石川河川敷に至ります。展望広場 62.9m、山中田坂下 54.0m、比高8.9m。

 

2023年11月にオープンした「バンリノハル ビアホール」

ここでかつで昭和の終わりごろまで酒造りをしていた「黄金の水」で、今地ビールが造られ、いただくことができます。

 

かつてお酒の甘い香りが漂っていた酒蔵を改装し造られています。「えべっさん」から北へ90m。

 

近鉄 富田林駅に新しくできた「富田林」のロゴ。

〈関連記事〉富栄戎と寺内町イベント 2023.1.12

〈リバイバル・アーカイブス〉寺内町かいわい 初鍋めぐり 2016.1.10

富田林寺内町の戎っさん 2014.1.11

写真撮影:2024年1月10日 

2024年1月10日 (HN:アブラコウモリH )

 

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