
ということで公演当日。ビンボー人専用の三階天井桟敷席に座っていたのである。

さて幕が上がるとモンテ・ヴェルディならぬ
モン・ブランが舞台にそびえたっているでねーの(それも
ボルタンスキーのインスタレーションもどきのやつ)。これでがくっときたね。

でも、VSPRSおなじみのイントロが始まると、うーん、いいんじゃないの。バンドはサイコー。女性ヴォーカルはオペラ系らしくマイクなしでしっかり三階席まで声が通る。いやあ、盲目のロマ・フィドラー(昔風に言うと屋根の上のバイオリン弾きね)の奏でる哀愁のメロディーもいいねえ。ほんとの角笛があんなに高音を出すのだとはしらなんだ。

ところが、踊りの方がもうひとつしっくりこない。音と融合していない気がする。踊り手たちの習練とその力量はわかるんだけど。片手逆立ち脚踊りとか、後倒ブリッジ踊りとか難易度Cの技を繰り出してるんだけど、あまり美しくない。茅ヶ崎の海岸で「しょっぱいなー」とか呟いている方が似合っていそうな、さーはー頭の東洋人ダンサーのコンフー踊りとか。最期の踊り手全員によるオナニー踊りの群舞はさらにつまんない。みょーに身体性や奇形性を押し出しているんだが、それだけで終わってる感じがする。土方巽は跛だったけど舞台での踊りは美しかったよなあ。これでは下手くそなパッチワークだよなあ(
先月の課題本がそーだった。ようやく読了。地の文でメタフィクションとかいっちゃいけねーや)。

ベルギーの精神分析医のセラピーとの共感とかいうキャッチフレーズも判然としないなあ。

こうなるとモンテヴェルディの聖母マリアの夕べの祈りを選んだ根拠も薄いし、なんの連動性も感じられん。たんなるBGMならほかのものでいいじゃん。これはモンテヴェルディがパトロンである領主の館のプライベートな礼拝堂で演じるために書いた祝祭的な楽曲(一大ページェント)なんだから。

やっぱりぼくはJe suis sangがいいや。「
わたしは血… あいかわらず中世に生きている」

とにかくバンドはむちゃくちゃかっちょよかったんで、帰りにアカ・ムーンという前衛ジャズトリオとオルトゥル・モンターノという古楽アンサンブルそして盲目のチャ率いるロマ・ユニットによる混成部隊のこの演目のCDは買ってしまったのだった。
文責:Y
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