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2020年1月例会レポート 『金閣寺』三島由紀夫

2020-02-03 11:17:40 | ・例会レポ

日時:2020年1月16日 木曜日 19時より

場所:新宿区内の公共施設内

課題本:金閣寺 三島由紀夫著 

一九五〇年七月一日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という
衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。
この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、
生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、
ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。
31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。
(新潮文庫サイトより)

【レポート】
出席者 講師、会員18名 (男性 7名、女性 11 名) 見学者 無し

開始予定時刻の19時になっても集まりが悪く、課題本が固すぎ会員の方の趣向に合わず、
寂しい内容になるのか心配しましたが、気がつけば時間に押され、熱気ある例会となりました。

三島由紀夫「金閣寺」の推薦理由
昨年の課題本「マチネの終わりに」の平野啓一郎の文章がどこか三島由紀夫の文体に似ている事に触発され、
三島のような本格純文学がもっと採りあげられてもよいのではと思い、代表作を推薦しました。

読書のポイント
「金閣寺」は三島31歳の著作で、後に行動主義者の傾向を強め、
45歳の時市ヶ谷で自決することを思えば、作家人生の中で最も脂の乗り切った時期の作品で、
私自身は主に以下の点を中心に読みました。
① 溝口、鶴川、柏木の関係性、役割
② 金閣寺を焼かねばならない、という決断に至るまでの溝口の心理的変遷及びその理由
③ 溝口にとっての金閣寺の”美”とは?
④ 「認識と行為」について 
柏木「世界を変貌させるのは認識」
溝口「行為こそが世界をを変貌させる」
⑤ 文体、修辞
⑥ 三島(溝口)の死生観、人生観
⑦ 結末。なぜ溝口は自害しなかったのか?もがき、苦しんで金閣寺を燃やしたのに、あっさりとしたエンディングなのはなぜか?

出席者の感想

1 疎外感を感じる、うまく大人になれなかった主人公が、金閣寺の美を壁と感じ、
金閣寺に支配される、金閣寺を支配する物語である。


2 もてない男の歪んだ欲望ではないだろうか!? 
時代がかっていない綺麗な文章。金閣寺に放火したのは、自分の存在を見せつけたかったのでは。


3 文体が凄い。三島はすごい小説家、乳房をお茶に出すシーン、エロチックだ。
なぜ、焼いたのか、自分の世界が広がればこんな行動には至らなかったのではないか。
本当の心理はわからない。読めてよかった。


4 今日は語るために来ました。高校時代に読み40年ぶりに再読。
10代の多感な頃は、視野の狭い主人公が自分の内面に抗うある種の純粋性に共感したが、
今回はぐっと距離を置き作家が描こうとした溝口の人間的な弱点が客観的に読み取れた。
自分を陽転させた鶴川、同じコンプレックスをもちながら世渡り上手な柏木という脇役の配置も巧みで、
溝口が絶望の淵に追いやられる構図がよくわかる。究竟頂に拒まれるラストシーンは、
三島が神の視点で溝口に下した鉄槌。三島独特の死生観により、死せる事より生かす事が罰なのだと思う。
文章だけでこのような世界を描く三島の超絶技巧にも驚嘆した。
今のような多様な表現手段のなかった昭和期ならではの純文学である。

5 偶々、三島を読みたいと思っていた。文章が凄い!ストーリはそれほどでもないが、、引きづられて読んだ。
死のうと思った場所が開かなくてなくて、やはり生きるとなった。人間っていい加減なものなのか?


6 天才かな。レベルが高い、文章が難しい。皆さんの感想が聞きたかった。


7 文章が優れている、特に自然描写が好き。クレージーな小説と作者に人生が重なっている。


8 読み終わらなかったが、文章がすごい。自決したという三島自身の結末から読まざるを得ない。
自分のいやな部分を見せつけられるようで、あまり好きではないが…。


9 文章力がすごい。抹茶に乳房からお乳を出すシーンはエロチシズムに満ち溢れている。
柏木と美女のコンビは理解できる、昔から美男と美女のコンビが成立しないので。
なぜ、自決しなかったのか? 障壁となっていた金閣寺を滅ぼしたのだから、生きてゆこうとなったのでは? 
素晴らしい小説でした。


10 文章のうまさ、秀逸。完成された作品、自分の未来に対する遺言ではないか。
柏木、鶴川 脇役の配役がすごい、絶妙である。老師は、聖と俗の象徴ではないか。
軍服と女性、、絵になる。最後、、どうやって生きていくのか?

11 焼失するまでの経緯がどうしても分からなかった。


12 日本語は素晴らしい!こういう日本語に浸るだけでも意味はがある。
なぜ焼いたのか?美との対決で焼いたのか?


13 自然描写がきれいだが、心理描写が分かりにくい。女性の乳房の描写はエロスとして美しい。
屈折、鬱屈した心理をもっている溝口は、作者の内面を反映している。
三島は、いろいろと読んだが内容をほとんど覚えていない。”美”とは死に至るまでの賛歌であると思った。
溝口が死ななかったのは、 悪い事をした人間には罰を受けさせたい、と考えたからだろう。

14 それぞれのテーマで読むとどんどん難しくなって、感想がまとめにくい。
実際の事件に引っ張られないで、よくこんな物語がかけたと感心した。
コンプレックスの塊の主人公 女あそびなどしてて童貞ではなかったら違う結末になったのでは金閣寺、
安心だけど不安、、だから焼いた。読めて良かった。


15 三島はよく読んだが、金閣寺は一番読みにくい。金閣寺、豊饒の海、何回読んでもわからない。
今回は何が起きるか知らないつもりで読んでみようと思った。
最後は燃やすということを知っているから作れたストーリではないか。
文章が凄く、三島は言葉を知っているな、、と改めて感心した。
なかでも溝口の生まれ故郷近くの風景描写は、特に好き。


16 描写がすごい、観念の部分も併せて両方が書けている。仏教的な事は、あまり勉強していなかったのでは? 
溝口が金閣寺に放火後、「生きる」とした事は、この小説として一番いい結末ではないか。


17 最後に主人公が自決しなかったのは牢屋にいれるため? 
ひと仕事終えたひとが生きたいと思ったように最後にひと仕事なせなかった三島は、死ぬしかなかったのか、
という想像も面白いが、特攻隊の例でいうと三島の葉隠入門にも武士道とは死ぬことと見つけたり、
とあるように自決を高尚なものとする三島の美意識を反映しているのでは…。


18 破滅、破壊の欲求は誰しもが大なり小なり抱えており、この小説自体はある点では特殊ではなく普遍的なものでは?
作中のあらゆる描写が理想と現実との乖離、妄想的な逃避に満ちた三島の人生観を如実に表しており
美へのあまりに強い執着、拘りには仄暗いものが横たわっていて、
何度となく繰り返されるな妄想は性的倒錯を感じさせる。
破滅的な想像(仮象)と破滅的な現実(実相)は、仮象でも実相でもある金閣寺の延焼により漸く実現される、
という筋書きだけでここまで胸を揺さぶられるのだから凄い小説だ。
溝口、あるいは三島を考えるうえで重要な事は、僕らにとって破滅でも彼らにとって金閣焼失は決して破滅ではなく、
むしろ救わていること、この本をよんでいるとその救いが理解でき切ない気分にさせられる。

 

講師から
三島を理解する手がかりとして、文学全集毎の作品群の紹介がありました。


新日本文学全集 集英社 昭和38年 
憂国、百万円煎餅、橋づくし、女方、春子、日曜日、真夏の死、鏡子の家

現代文学大系 筑摩書房 昭和38年 
仮面の告白、金閣寺、獅子、遼乗会、真夏の死、滋賀寺上人の恋、海と夕焼け、橋づくし、
女方、近代能楽集(抄)、鹿鳴館

現代の文学 河出書房新社 昭和39年
潮騒、美徳のよろめき、禁色第一部、第二部 

昭和文学全集 小学館 昭和62年
金閣寺、午後の曳航、橋づくし、憂国、荒野より、蘭陵王、サド侯爵夫人

新潮日本文学
仮面の告白、愛の渇き、金閣寺、潮騒、宴のあと、午後の曳航

現代長編文学全集 講談社
美徳のよろめき、沈める滝、永すぎた春、純白の夜

 

講師のコメント
今までに二回(仮面の告白、禁色)三島と出会った。それに比べると金閣寺は理解しやすい。
古典の知識、仏教の知識がすごい。
三島の中で事件を再構築しているので、実際の事件を追及してもあまり意味はない。
金閣寺は残っていたらよくないから焼いた。観念の小説として理解すべき。
戦争が三島の空白時代を作っていた。お仕着せの憲法、憲法9条に反対。
市ヶ谷に乗り込む、死にたくて仕方がなかった。
鏡子の家、面白くない。戯作者として優れている(永すぎた春)。
戦前と戦後で自分の考えを変えられなかった唯一の作家である。自決は、文学ではなく、三島の生き方であった。

 

推薦者のまとめ
皆さん仰っているように三島の文章の凄さに改めて感心しました。
自然描写が好きという感想と共に、溝口の心理、考え方、葛藤の論理の飛躍について行けず分かりづらいとの評価も。
「一番分かりやすい」という講師のコメントがあったが、
私も含めて「わかりにくい」「何回読んでもわからない」「どんどん難しくなる」というコメントを聞き、
少し安心しました。

恐らく万巻の書を読み漁って得たであろう三島の知識、教養、言葉。
どうしてそういう言葉が出てくるのか驚嘆する他ない天才的表現技法が圧倒的でついてゆくのが容易ではない。
更に、比喩も含めた形容詞の問題。表現が華麗でしばしば哲学的で、
ひとつの文章を理解しようとするとその向こうに次のロジックが
ゴールに立ちふさがるキーパーのように待っていて理解が遠のいく。
玉ねぎの皮を剥くようなイライラ感が募る。

とはいえ、この小説の眼目は、金閣寺を焼かねばならぬと決断するまでの溝口の心理の変化、葛藤にあり、
内視鏡で心の内面の襞を拡大し、ひとつひとつ調べてゆくような精緻な心理描写は、
気鋭の外科医の鮮やかなメス捌きのような凄みを感じる。
一方、三島の代表作に辛口なコメントをするのは勇気が必要だが、
溝口の気持ちになって再度読み込み、気になったのは以下の点だ。

金閣寺に火を付けることは、よほどの事。
コンプレックスが原因とはいうが、強度のどもりだけでは戦後の暗い時代環境とは言え、説得力が弱い。
私の子供時代にも周りにはひどい吃音の人がいたし、今も私の職場のデスクの半径5m以内にいる。
彼とは仕事上毎日話をするが、陽気な性格のせいか悪事とは無縁に思える。

そこで気になるのが、溝口は誰の子かという問題。本当に父親の子どもなのか? 
ある夏の夜、蚊帳が揺れていてその向こうに母親とXXXXが不倫しているのがおぼろげに見ていたら、
後ろから父親の手が溝口の目をふさいだという描写がある。

父親は結核で病弱という設定に加え、父親の葬式に溝口は涙も出なかったという記述ももあるため
この人が真の父親だったら、溝口の絶望の深さがどれほどのものだったか。
溝口は、ゆくゆくは金閣寺の後継になれるかもしれないと漠然とした希望を持っていた。
新京極で芸妓と歩いている老師を偶然見てから、自分から謝りたいとか叱責されたいという気持ちを伝えられず
溝口が悶々とするが、対応のまずさから老師から後継としては考えていない事を聞かされ将来への希望を失い、
学業は日を追って悪くなり、出奔する。

溝口は、子供時代から「誰からも認められない存在」であることを認識し、何度かこの言葉がでてくるが、
「誰からも認められない存在」がどのような状況でそうなったのか、
また、他と隔絶されてどのような孤独感を抱いていた、というコンプレックスの深み、
絶望度に深くかかわる部分が書かれていない。書かれているのは、吃音の最初の音が、
鳥餅がくっついたようにでてこない、とか、ただ孤独の中身がないとか、気になる点がある。
例えば、エピソードとして、小学生時代の図画で孤独な絵を描いたとかのエピソードの一つや二つ、
書いておけば済んだものを書けなかったのか(そんなはずはない)。
書かなかったのはなぜなのか興味を惹かれる。いずれにせよ人物造形が平坦という印象が否めない。

犯罪心理について。
アニメーション会社を恨んで火を付けた事件があった。
犯人は、自分のアイデアを盗まれたと誤解、逆恨みして灯油など用意周到な準備して建物に火を放った。
動機が異なるが、建物に火を付ける点は同じで、溝口(林養賢)の心理とよく似ている。
犯人はこの会社のアニメの大ファンだったということだ。小説の構造、構成、配役、役割が完璧すぎて不自然。
突然、内翻足の柏木が登場して急に難解な議論を吹っかけてきたり、鶴川が突然死んだり、
いきなり笑って登場してくる前衛劇の登場シーンのようで、小説の展開としてはどこかぎこちない。
結果が分かっている事件から逆算的にストーリを組み立てるのは仕方ないにしても余りにも造りすぎではないだろうか?

文章の作り方もそうだ。三島の文章は美しい。
だが、美しいといわれるその文章にも特徴があり、積もり積もると全体としてどこか人工的な匂いが強く、
不自然感を禁じ得ない。
例えば、金閣寺から出奔する覚悟を決めた場面。
平たく言うと、私はいままで私をを苦しめた状況から出発せねばならぬ、という独白がある。
'三島の筆にかかると、以下のようなリズミカルで哲学的な高邁な出発となる。


”私の胸は高鳴った。出発せねばならぬ 、この言葉はほとんど羽搏いていると云ってよかった。
私の環境から、私を縛めている美の観念から、私のかんか不遇から、私のどもりから、私の存在の条件から、
ともかく出発せねばならぬ”


同じ状況を何度も違う語彙で繰り返す、しかも一定のリズムで。三島の得意の文章作法パターンAである。
そのような'数多くのひな形を用意しておき、場面状況に応じてバリエーションに応じ、
華麗な表現を'随所に散りばめ読者はそのリズムや表現に酔わされるが、読み慣れてくると、
'徐々に感動や驚きが薄れるのは、三島のボディビル。
鍛えたあの肉体から自然な'美しさを感じないのと同様にどこか作っているからだろう。

以下は余談だが、話のタネとして場面別に書いておきたい事。
新京極で芸妓と遊ぶ老師を偶然に見かけた偶然により、
自分の対応のまずさにより溝口は、謝ることができず、叱責もうけられず、
ゆくゆくは後継にもなれず将来への希望が断たれるが、
老師の最終通告に至るまでのイライラするような溝口の思い悩み、葛藤するだけで事態が打開できず、
金閣寺に火を付けるという極端な行動にひた走るこの偶然、偶然が生み出す展開にもてあそばれ、
お互いに近くにいながら正直に直接思いを告げればよいのに、できないまま
最後にはお互い別の道をゆくことになる'”マチネの終わりに”の携帯電話のいたずらから始まる
あの状況に似てはいないだろうか!? 

三島の金閣寺を読まなかったら小説家になっていないと、公言している平野の
あのイライラする洋子と聡のミスミュニケーションの展開のさせ方は、
金閣寺のこの部分から発想を得たのではと想像をめぐらすのも楽しい。


殺人は永遠の誤解だと独白する場面。罪と罰のラスコーリニコフの独白に似ている。
また、殺人を正当化する論理も金閣寺を焼かねばと独りよがりの論理の転がし方も似ている。
主人公が寺を焼く覚悟を決め、京都に戻る途中神社でひいたおみくじが凶だった場面。
明智光秀が、本能寺で織田信長を焼き払うと覚悟を決めた時、地元の神社でひいたおみくじは「凶」だった。
状況は全く同じ。不幸な環境に生まれた一人の学僧の不器用な生きざまを稀代の美しい文章で綴った物語。


盆栽が美しく見えるのは、枝が自然の勢いで伸びる方向には伸ばされず
全体のバランスの良い方向にだけ格好の良い枝を伸ばすから。
恐らく土から下の根っこは、枝を支えるため不格好に踏ん張っているのだろうが、
その自然な姿は土に隠れて見えない。
土からうえに見える枝は三島由紀夫という当代髄一の庭師によりこの上なく美しく整えられている。
恐らく、三島は土から下を書かなかったのだ。
芸術性を優先するため溝口が真に苦悶する姿が描かれていなかったり、
小説構成の合理性追求のあまり、突然、内翻足の男が登場、いきなり議論したり不自然な感じがするのは、
そのためではないだろうか。
また、美しくするため、人間の醜い部分を極力切り捨てた描き方。
これが、潔さを一義とする三島の芸術観なのだろうが、少し作りすぎてはいないのか、
金閣寺はそんなの匂いのする小説だった。

 

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1 コメント

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Unknown (omachi)
2019-12-19 18:04:36
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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