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スピルバーグと映画大好き人間、この指とまれ!

カフェには、映画が抜群に良く似合います。
大好きなスピルバーグとカフェ、アメリカ映画中心の映画エッセイ、
身辺雑記。

「E.T.」

2008-02-15 05:25:21 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「E.T.」(1982)

 地球へ植物採取に来たE.T.が、仲間や家族がいる宇宙船に乗り遅れ一人ぼっちになる。エリオットが、彼と出会い守る。エリオットは、父が不在で孤独で、毎日の生活が楽しくない。E.T.も孤独。エリオットが、先に友情を示し、その後にE.T.が友情を表す。友情物語。主演にヘンリー・トーマス、ドリュー・バリモア、ロバート・マクノートン。スピルバーグは、「未知との遭遇」を撮っていたときにおもいつく。スピルバーグの原案を基に脚本を書いたのは、女性脚本家であるメリッサ・マティスン。彼女は、コッポラのプロデューサー作品「少年の黒い馬」や「マジックボーイ」を手がけているため少年の話が得意。本作は、感性に訴えかけるものをめざして「レイダース/失われたアーク」の撮影中にあたためられ1週間スピルバーグと話し合ってストーリーを膨らませた。そして、8週間かけて第一稿を書き上げた。そのため、ストーリーボードに頼らない作品となった。美術は、ジェームズ・D・ビッセル。視覚効果には、デニス・ミューレン。そして、E.Tのキャラクターの創造者は、カルロ・ランバルディという人で、名前から推測されるようにイタリアの有名な画家・彫刻家で映画では、過去にスピルバーグの「未知との遭遇」で宇宙人を手がけ、また、「キングコング」と「エイリアン」でオスカーを獲得したすごい人。

 ファーストシーンがまず良い。「フェアリテール。つまり、おとぎ話ですよ」という感じがする。これは、天空に光り輝く星が煌きこれ以上綺麗で澄みきった夜空はないと思われるほどの美しい映像をローアングルで見せ、バックにはフルートの音色が温く流れているからだ。カメラが、パンすると深い森の中に宇宙船がある。

 映画の後半、エリオットは、持ち直すがE.T.が死ぬ。ここは、私の父、母が亡くなるシーンを思い出した。心臓マッサージや電気ショックなど一生懸命に手を尽くしたにもかかわらず報われず辛いシーンを臨場観あふれる映像でとらえている。そして、スピルバーグ自身も語っているが「人は愛するものとは、いつかは別れなければならない」ことを見事に演出している。

 ヘンリー・トーマス扮するエリオットの兄、マイケルを演じるロバート・マクノートンの演技が素晴らしい。可愛い弟の良き理解者としていつもエリオットを温かく見守っている。特に印象に残るのは、「E.T.を探して」と涙ながらに訴えるエリオットに頼まれて自転車で雨が降る中を必死でE.Tを探し、川岸に横たわるE.Tを家に連れて帰る彼の表情がいい。

 そして、クライマックス。エリオットが、死んでしまったE.T.に最後の別れを告げる。「E.T.大好きだよ」といったん直後に元気を取り戻し生き返る。E.T.のそばにあってE.Tの死と同時に萎んでしまった鉢植えの花が開く。花の比喩のモンタージュの技法を使ってE.T.が生き返ったことをエリオット、そして、わたしたちに知らせる演出の素晴らしさ。E.T.が、「迎えが来た」とエリオットに話す。マイケルとエリオットは、E.T.と共にNASAの車で逃げる。ここから先、ラストシーンまではサントラの「E.T.脱出作戦~さよならエリオット」の曲が流れるが、まさにこのタイトルにふさわしい映像が展開される。E.T.が住む家に帰してあげる。その後、エリオットの仲間たちも協力して途中でエリオットとマイケルは仲間と自転車に乗り換える。ここの自転車シーンは、スピルバーグが撮影終了後、新たに追加撮影したものでヒッチコックタッチである。当局の追っ手から自転車で逃げるシーンのすごさ。ここは、ジョン・ウィリアズの音楽と本当にシンクロナイズされている。自転車の車輪が激しく音を立てて疾走する映像をクローズアップでとらえる。パトカーがサイレンを鳴らして迫ってくると2手に分かれて撹乱させたり。次の場面では、自転車の利点を生かしてパトカーやNASAの車が入り込めない道を選んで走る。また、土砂の多い場所での自転車の疾走シーンが迫力がありすごい。これは、砂埃が舞い上がるのでそうなる演出だ。さらに、自転車がパトカーを襲う。パトカーのボンネットの上を乗り上げる。次に前にいた追っ手の人々を襲う。しかし、追っ手に行く手を阻まれもうだめかとエリオットが目を瞑った瞬間、ハロウィンの夜と同じくE.T.がみんなを空に舞い上げた。ここのシーンのカット割り、エリオットとE.T.の顔のクローズアップ、3カット・ズームインで極度の緊張感とエリオットのE.T.に向けたテレパシー、「僕が心で念じればE.T.が自転車を空に飛ばしてくれる、ハロウィンの日もそうだった」とエリオットが心のなかで叫んでいるにちがいない心の内を強固な意志を表現したカメラワークを使っている。自転車は、夕日をバックに飛ぶ。このシーンのハイアングル、エリオットたちが眼下の森を見下ろす俯瞰撮影がいい。そして、自転車が着地すると迎えの宇宙船が来ている。

 E.T.とエリオットの別れのシーン。E.T.が、「行こう」その問いかけに対してエリオットは「行かないで」と言う。再度E.T.に誘われるがエリオットは「僕は、行けないよ」と応える。これは、実はハロウィンの夜、E.T.がエリオットと自分が置き去りにされた森でレーダーをいっしょに作り自分がまだ生きていることを仲間に知らせるシーンで2人で夜空を眺めながらエリオットが「ここにいて僕といっしょに暮らそうよ。僕が守ってあげる」しかし、E.T.は「お家に帰る」と言う。友情が育まれてもやはり「家」、それも本当の家族のいる所へ帰りたい。このシーンの逆パターンである。状況が裏返った感じがする。しかし、エリオットは「未知との遭遇」のロイのように宇宙船には乗り込まず、思いとどまった。E.T.と同じように自分の家、家族の大切さが身にしみて感じられ、家族を置いては行けないことに気ずいたのだ。家族の絆が大事という点では、E.T.もエリオットも同じ心情である。それに対して、E.T.は2人の友情は永遠だよという気持ちを込めて「僕は、いつでも君の中にいるよ」と告げ、エリオットも別れが悲しくて涙があふれているが僕もそうだよと感じ、2人抱き合う。そして、E.T.は去ってゆく。

 スピルバーグ言わく「自分の映画が、自分個人と何の関係もないと言う人々は信用しない。ある意味ですべての映画が自伝なんだ。映画を通して自分の感情を表現し、自分の経験を伝えるからさ」と語っているが、「E.T.」は、スピルバーグ自身の少年時代の自伝的色合いが濃い作品で家族を持ち父親になりたくて撮った。スピルバーグ少年が好きだったディズニー映画のファンタジー、ヒッチコック的冒険を演出面の柱にして、父親のいない孤独な少年がE.T.と出会い最終的には別れがあったにせよ友情を深めたことで人間として成長してゆく物語。それは、スピルバーグ自身の心の成長物語でもあった

 また、私がこの作品を始めて見たのは公開当時の高校3年生だったが、その後、両親の死を若くして経験して家族のいない寂しさを味わい、その後、結婚、2児の父となって現在に至っているがこのような人生の節目の時に見直すと新たな感動を与えてくれる。そして、殊に家族を持ってからは、家族みんなでエリオット一家の家族のキャラクターの誰かに自分を各自あてはめて楽しでいる。これからも歳を重ねるごとに見たくなる名作である。



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