気色の悪い世の中です。
一般的な日本人なんて、優越感に浸れるほどたいしてリッチでもなく、多かれ少なかれ日銭に追われながら生きていると思われるのに、なぜ脅迫されるみたいにアフリカの貧困について考えるよう上から金持ちの有名人に言われなければならないのか、理解に苦しみます。
歌手は「歌」を、役者は「演技」を、アスリートは「パフォーマンス」を、作家は「小説」を、つまり表現者はその「作品」を誰かから必要とされているかもしれないだけであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
そもそも、家のない人なら、飛行機を乗り継いで何十時間もかかるアフリカまで行かなくても、近くの公園にいくらでもいます。
本気でアフリカを救いたいと思うのなら、井戸を掘ってやったり、病院や学校を建ててやるのではなく、井戸の掘り方や病院や学校の建て方を教えることから始めなければ意味がありません。
そして、完全な無償なら立派なものですが、事務局の職員の給料やら何やら経費という名のもとに金を集めるなら、それは「善意」という看板を掲げた「事業」です。
ボランティアは、やりたい人がやりたい時に、黙って手弁当でやるのが基本だと思うのだけれども、どうもこの国のその手の連中には、それを食い扶持にしている輩が多すぎるような。
というか、この手の連中が対象にする相手はいつもデカすぎて姿形がハッキリしないうえ、なぜかなんとなくファッショナブルです。
しかし、ゲシュタボも特高警察も存在しない自由な世の中なのだから、何を主張してもそれはそれで自由だし、善意をビジネスにするのももちろん自由です。
そして、それに賛同するのも、当然自由です。
まあ個人的には、アフリカの実態は知りませんが、聞きかじった情報から推測するに、確かに昔でいう町の寺子屋程度の基本的な知識(読み書きと簡単な計算、そして道徳。つまり日本の小学校レベル)を教える場所は必要かもしれないという気はします。
しかし並行して、小学校程度の知識で充分従事可能な単純労働で賃金を得ることが出来る大規模な工場のようなものも作らないと、片手落ちです。
もっとも、それらにしても、向こうの人たちが本当にそれを望んでいる場合に限られますが。
望まれてもいないのに、勝手に押しかけていくのは、親切ではなくお節介だし、とくに教育を必要としない生活を送っている人たちに、無理に何かを教え込むことにそれほどの意味があるとは思えません。
暇さえあればレイプしまくって子供をボコボコと産んでいる人たちに、道徳を説くならともかく、学校という箱を作って国語や算数を教えても状況はあまり変わらないような。
たとえ知識が得られても、それを生かせる場所がなければ宝の持ち腐れだし。
そもそも、だいたい極東の黄色い人間がしゃしゃり出る前に、アフリカにだって金持ちはたくさんいるのだろうから、現地の人たちが自分達の国を本気で何とかしたいと望んでいるのなら、まずはそいつらが私財を投じて寄付するなり、運動を起こすなりすればいいのに。
もっとも、自分が知らないだけで既にやっているのかもしれませんが。
要するに、ホワイトバンドだか何だか知りませんが、たかが三百円の輪っかひとつで安易に「自分は世界に必要とされているんだ!」という勘違いを起こさせ、「良いことをした自分って偉い!」といい気分にさせるのは、いかがなものか? と。
そういう思考は、歪んだ選民意識を植え付けるだけで、何の益もありません。
もちろん、自分ひとりでそう思うことは勝手だけれども、それを主張する必要はまったくないし、また、そういう崇高な精神が何かの免罪符になることなどありえません。
それでも、もしも自分が金持ちの有名人で、このシゴトのオファーが来たら、気持良さそうなので、ノーギャラでも受けたくなるかもしれないけれど。
金の次に欲しくなるのは名誉、だし。
一般的な日本人なんて、優越感に浸れるほどたいしてリッチでもなく、多かれ少なかれ日銭に追われながら生きていると思われるのに、なぜ脅迫されるみたいにアフリカの貧困について考えるよう上から金持ちの有名人に言われなければならないのか、理解に苦しみます。
歌手は「歌」を、役者は「演技」を、アスリートは「パフォーマンス」を、作家は「小説」を、つまり表現者はその「作品」を誰かから必要とされているかもしれないだけであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
そもそも、家のない人なら、飛行機を乗り継いで何十時間もかかるアフリカまで行かなくても、近くの公園にいくらでもいます。
本気でアフリカを救いたいと思うのなら、井戸を掘ってやったり、病院や学校を建ててやるのではなく、井戸の掘り方や病院や学校の建て方を教えることから始めなければ意味がありません。
そして、完全な無償なら立派なものですが、事務局の職員の給料やら何やら経費という名のもとに金を集めるなら、それは「善意」という看板を掲げた「事業」です。
ボランティアは、やりたい人がやりたい時に、黙って手弁当でやるのが基本だと思うのだけれども、どうもこの国のその手の連中には、それを食い扶持にしている輩が多すぎるような。
というか、この手の連中が対象にする相手はいつもデカすぎて姿形がハッキリしないうえ、なぜかなんとなくファッショナブルです。
しかし、ゲシュタボも特高警察も存在しない自由な世の中なのだから、何を主張してもそれはそれで自由だし、善意をビジネスにするのももちろん自由です。
そして、それに賛同するのも、当然自由です。
まあ個人的には、アフリカの実態は知りませんが、聞きかじった情報から推測するに、確かに昔でいう町の寺子屋程度の基本的な知識(読み書きと簡単な計算、そして道徳。つまり日本の小学校レベル)を教える場所は必要かもしれないという気はします。
しかし並行して、小学校程度の知識で充分従事可能な単純労働で賃金を得ることが出来る大規模な工場のようなものも作らないと、片手落ちです。
もっとも、それらにしても、向こうの人たちが本当にそれを望んでいる場合に限られますが。
望まれてもいないのに、勝手に押しかけていくのは、親切ではなくお節介だし、とくに教育を必要としない生活を送っている人たちに、無理に何かを教え込むことにそれほどの意味があるとは思えません。
暇さえあればレイプしまくって子供をボコボコと産んでいる人たちに、道徳を説くならともかく、学校という箱を作って国語や算数を教えても状況はあまり変わらないような。
たとえ知識が得られても、それを生かせる場所がなければ宝の持ち腐れだし。
そもそも、だいたい極東の黄色い人間がしゃしゃり出る前に、アフリカにだって金持ちはたくさんいるのだろうから、現地の人たちが自分達の国を本気で何とかしたいと望んでいるのなら、まずはそいつらが私財を投じて寄付するなり、運動を起こすなりすればいいのに。
もっとも、自分が知らないだけで既にやっているのかもしれませんが。
要するに、ホワイトバンドだか何だか知りませんが、たかが三百円の輪っかひとつで安易に「自分は世界に必要とされているんだ!」という勘違いを起こさせ、「良いことをした自分って偉い!」といい気分にさせるのは、いかがなものか? と。
そういう思考は、歪んだ選民意識を植え付けるだけで、何の益もありません。
もちろん、自分ひとりでそう思うことは勝手だけれども、それを主張する必要はまったくないし、また、そういう崇高な精神が何かの免罪符になることなどありえません。
それでも、もしも自分が金持ちの有名人で、このシゴトのオファーが来たら、気持良さそうなので、ノーギャラでも受けたくなるかもしれないけれど。
金の次に欲しくなるのは名誉、だし。