2016年GW車中泊の旅 の続きになります。
5月7日
旅に出て6日目。昨日に続いて道の駅『オアシスおぶせ 』 の朝。
8時に目覚める。これでも少し早くなった。
寅次郎の散歩にと公園を歩く。
朝から公園。
子供にしたら良いロケーション。
長野の名産と言えばリンゴ。
袋入りで一個あたり100円程度で道の駅の販売所で売られていた。
結構安いと思う。
季節外れなリンゴはJAで貯蔵さらてたものと書かれていた。
リンゴは低温保存が利くと言われていて、私も毎日食べるために春先に20キロまとめ買いしたものを冷蔵庫で保管して食べている。
でもJAの貯蔵庫は零度近くの低温だけでなく酸素濃度も下げていると書いてあった。
寅さんにもおすそ分け。美味しかった。
今日の目的地、川中島古戦場まで車を走らせる。
道の駅から車で30分ほどで着いた。
『 川中島合戦 』
名前くらいは聞いたことがあるけど、それ以上はさっぱり。
歴史的な場所に行くのに何の予備知識も無いというのは、半分も楽しめないと言うか、もったいないなと感じた。
武田信玄と上杉謙信(これもこっちに来て調べて知った)の人物像や合戦の戦術とか知って、その上でここを訪れたのならもっとワクワクしただろうと思う。
今流行りのNHK大河ドラマ『真田丸』でも見てれば良かったと思ったけど後の祭り。
道の駅を出てここに来るまでの道中、YouTubeで合戦の説明動画を探して聞きながら来た。
『 八幡社 』
八幡社の神殿
武田信玄が陣構え、御加護を仰いだ八幡大神を奉斎する神社の神域。
第4次川中島の戦いで、上杉謙信は濃い霧にまぎれ忍び寄り、未明に不意をうって武田信玄の本陣に攻め入り武田信玄に向かって切り付けた。
慌てた武田信玄はそれを軍配で受け止めたという伝説のシーン。
『 三太刀七太刀の跡 』
上杉謙信が馬上より流星一閃、武田信玄めがけ三太刀斬りつけた。一太刀目は軍配で受けたが続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に負傷を負った。
後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあった・・・・と書いてあった。
中央の小さな社が 『 旧社殿 』
左奧に見えるのが首塚の碑。
八幡原史跡公園
公園の一角には遊具もある。
永祿4年(1561)の第4次川中島の戦いのとき武田信玄が八幡原に本陣を構え、この地は激戦場にだったと書かれていた。
今はそんな面影すら無い。
川中島古戦場から少し足を伸ばし松代城跡(海津城跡)まで来た。
第4次川中島合戦では、武田信玄がここを基地として出撃したとあった。
本丸御殿跡。
友和子は相変わらず子供がいたら進んで飛び込んでいく。
今は見知らぬ子でも平気だけど、きっと引っ込み思案な子に変わってしまう気がする。
松代城の表玄関
大小さまざまな石で組まれているのが、ここの石垣の特徴とあった。
近くに松代駅があるというので行ってみることにした。
鉄道がまだ通っていると思ったら廃止されていた。
駅舎に入ると案内のおじさんがいた。
『 いつ廃線になったんですか? 』 そう聞くと、
『 四年前です。NHK大河ドラマがもう少し早かったら違ってたかも 』
人当たりの良さそうなおじさんが残念そうに話してくれた。
旧町名で書かれた看板。
観光名所はと尋ねたら色々教えてくれた。
『 松代大本営跡 』
太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に
掘られた地下坑道跡である。(出展:ウィキペディアから抜粋 詳細はコチラ)
幕末の城下町の面影を残した町並み。
見て回りたかったけど明日には大阪に帰らなければならない。
ここで一泊して明日見て回ってから頑張って帰ろうかと思ったけど家路には遠すぎた。
旧長野電鉄屋代線 松代駅
またゆっくりと来たい町が一つ出来たと思って諦めて出発することにした。
ではまた
5月7日
旅に出て6日目。昨日に続いて道の駅『オアシスおぶせ 』 の朝。
8時に目覚める。これでも少し早くなった。
寅次郎の散歩にと公園を歩く。
朝から公園。
子供にしたら良いロケーション。
長野の名産と言えばリンゴ。
袋入りで一個あたり100円程度で道の駅の販売所で売られていた。
結構安いと思う。
季節外れなリンゴはJAで貯蔵さらてたものと書かれていた。
リンゴは低温保存が利くと言われていて、私も毎日食べるために春先に20キロまとめ買いしたものを冷蔵庫で保管して食べている。
でもJAの貯蔵庫は零度近くの低温だけでなく酸素濃度も下げていると書いてあった。
寅さんにもおすそ分け。美味しかった。
今日の目的地、川中島古戦場まで車を走らせる。
道の駅から車で30分ほどで着いた。
『 川中島合戦 』
名前くらいは聞いたことがあるけど、それ以上はさっぱり。
歴史的な場所に行くのに何の予備知識も無いというのは、半分も楽しめないと言うか、もったいないなと感じた。
武田信玄と上杉謙信(これもこっちに来て調べて知った)の人物像や合戦の戦術とか知って、その上でここを訪れたのならもっとワクワクしただろうと思う。
今流行りのNHK大河ドラマ『真田丸』でも見てれば良かったと思ったけど後の祭り。
道の駅を出てここに来るまでの道中、YouTubeで合戦の説明動画を探して聞きながら来た。
『 八幡社 』
八幡社の神殿
武田信玄が陣構え、御加護を仰いだ八幡大神を奉斎する神社の神域。
第4次川中島の戦いで、上杉謙信は濃い霧にまぎれ忍び寄り、未明に不意をうって武田信玄の本陣に攻め入り武田信玄に向かって切り付けた。
慌てた武田信玄はそれを軍配で受け止めたという伝説のシーン。
『 三太刀七太刀の跡 』
上杉謙信が馬上より流星一閃、武田信玄めがけ三太刀斬りつけた。一太刀目は軍配で受けたが続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に負傷を負った。
後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあった・・・・と書いてあった。
中央の小さな社が 『 旧社殿 』
左奧に見えるのが首塚の碑。
八幡原史跡公園
公園の一角には遊具もある。
永祿4年(1561)の第4次川中島の戦いのとき武田信玄が八幡原に本陣を構え、この地は激戦場にだったと書かれていた。
今はそんな面影すら無い。
川中島古戦場から少し足を伸ばし松代城跡(海津城跡)まで来た。
第4次川中島合戦では、武田信玄がここを基地として出撃したとあった。
本丸御殿跡。
友和子は相変わらず子供がいたら進んで飛び込んでいく。
今は見知らぬ子でも平気だけど、きっと引っ込み思案な子に変わってしまう気がする。
松代城の表玄関
大小さまざまな石で組まれているのが、ここの石垣の特徴とあった。
近くに松代駅があるというので行ってみることにした。
鉄道がまだ通っていると思ったら廃止されていた。
駅舎に入ると案内のおじさんがいた。
『 いつ廃線になったんですか? 』 そう聞くと、
『 四年前です。NHK大河ドラマがもう少し早かったら違ってたかも 』
人当たりの良さそうなおじさんが残念そうに話してくれた。
旧町名で書かれた看板。
観光名所はと尋ねたら色々教えてくれた。
『 松代大本営跡 』
太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に
掘られた地下坑道跡である。(出展:ウィキペディアから抜粋 詳細はコチラ)
幕末の城下町の面影を残した町並み。
見て回りたかったけど明日には大阪に帰らなければならない。
ここで一泊して明日見て回ってから頑張って帰ろうかと思ったけど家路には遠すぎた。
旧長野電鉄屋代線 松代駅
またゆっくりと来たい町が一つ出来たと思って諦めて出発することにした。
ではまた
長野はいいところでした。
もっと温泉に入りたいのと松代の町も見て回りたいのでまたお邪魔します。
寅次郎との再会を果たせたのと姉貴の指令を全うできたので満足しております。
またいつかお会いできる日を楽しみにしています。
旅は止められませんね。