今年の4月に枚方の遊園地「ひらパー」(ひらかたパーク)に行った。
平日だったけど春休みだったため結構混雑していて次は本当の平日に行こうと娘と約束していた。
先日の日曜が参観日。
月曜が振替休日という事で遊園地に行くことにした。
昔は沢山あった遊園地も残っているのは数えるほど。
日帰りで行けるところはアトラクションが寂しいので三重県桑名市にある「ナガシマスパーランド」に行くことにした。
日帰りはきついし面白みもない。
三重県には母方の親戚がいてゴールデンウイークの車中泊の時に泊めてもらったときにお風呂のシャワー栓の調子が悪いと言っていたので、それも直してあげたくて泊めてもらうことにした。
親戚の家は三重県のいなべ市にある。
四日市市の北に位置し、今まで近畿自動車道、西名阪自動車道、名阪国道、東名阪自動車道と乗り継いで大阪の南部から奈良をグルッと回っていくルートで行っていた。
距離にして約160km。
前から滋賀県から三重県に抜ける国道のトンネルが整備されたと聞いていて気になっていたので、今回はそのルートで行くことにした。
亡き親父は滋賀県の八日市(現 東近江市)の生まれで、私も半分滋賀県の血が流れている。
盆や正月、仕事の時、小さい頃から名神にのって田舎に帰った。
「近江富士」と親父に教えて貰ったのもこの景色を見ながらだった。(三上山(みかみやま)標高432m)
ここを通り、この景色を見る度に幼かった頃に戻ったような気持ちになる。
良かったことや悪かったことが漠然と思い出され、なんか切ない気持ちになる。
名神八日市ICを下りて国道421号線(八風街道)を東に進む。
この道はあまりに険しい道から酷道421号線と呼ばれ、2トン以上通行禁止で幅2m以上の車が通れないように2m幅のコンクリートブロックのゲートが設けられていた。
昔一度だけ通ったことがあったけど、コンクリートブロックはバックミラーがかするか、かすらないかってくらいぎりぎりでハラハラしたのを覚えている。
田舎の家の近所に愛知(えち)川という鮎が住んでいるくらいの水のきれいな川があった。
その上流にある永源寺ダム。
酷道も長さ4kmのトンネルが開通したことで随分走りやすくなって1時間半ほどで三重県の親戚宅に到着。
今までから40kmの短縮。うそのように身近になった気がした。
着いて早速お風呂のシャワー栓の修理。
修理と行っても新しいシャワー栓と交換するだけ。
この家は周囲より低くて民家もなく水圧がかなり高く、シャワーの水が刺さるくらいの勢いで出てくる。そのせいかピタッと止まらない不具合だった。
あまりに高い水圧は水栓には負担が大きいように思える。できれば減圧弁を付けてあげた方が良いと話しておいた。
サーモ付きのシャワー水栓も買えば結構な値段がする。
これは水廻りを扱うメーカーに務める幼なじみが用立ててくれた物。たぶん見てないと思うけどありがとうね。
夕食。
ゴールデンウイークにも来たので、つい先日来たような気がしてならない。
脂っこい物を控えているので食事を気を遣わせてしまう。
今回もお刺身を用意して貰ったりと申し訳なくてならない。 おじさん、おばさん、すみませんです。
娘も随分慣れたようで、よくしゃべって家中走りまくっていた。
自分も小さいころ、よその家に行ったときはこんなんだったと思いだした。
18日(月)の朝。
台風6号の余波で天気が思わしくなかった。
来る前から天気予報を見ていたけど降水確率が40%から60%と日に日に上がっていく。
ついには80%になった。
ナガシマスパーランドは諦めて他がないか探すことにした。
水族館も月曜は休館日。
どうしようかと悩んでいたらスマホの防災警報がなったと同時にグラッと大きく揺れた。地震だった。
大きかった。
ニュースを見たら震源地が大阪北部とあった。
テレビは地震のことばかり流れていた。
ブロック塀が倒れたり、火事の映像が流れる度にだんだんと自分の家がどうなのか心配になってきた。
電気屋をしていたときの看板がまだ残っていて、錆ていてるので落ちたりしていないかとか、フライス盤が倒れたりしていないかとか心配になりだした。
すぐに分からないだけに不安が募る。
近所の人に電話して見て貰って大事には至っていないことが分かったけど、取りあえず家に帰ることにした。
といっても高速道路が全て通行止めで簡単には帰れそうになかった。
昼前になって親戚の家を出ることにした。
田んぼに囲まれた家。
帰り支度している間におばさん達とザリガニを探す娘。
まだ高速は通行止めのままだった。
帰りたいけどすんなりと帰れないだけに、焦るようで焦ってもどうしようもない時間が流れた。
近畿自動車道は通行止めだけど西名阪自動車道は走れるので、遠回りするルートで帰ろうかとも考えたけど、来たときのことが頭に残っていて今更遠回りする気になれず、来たルートを戻ることにした。
石榑トンネル(2011年3月26日開通 4157m)
このトンネルの恩恵は本当に大きい。
八風街道沿いにはコンビニもなく、昼ご飯のために道の駅に立ち寄った。
道の駅 「奥永源寺渓流の里」
見た目が学校に見えたと思ったら平成15年に閉校した旧 政所(まんどころ)中学校の校舎を再利用したとあった。
愛知川の源流に棲む岩魚やヤマメなどの渓流魚や、琵琶湖に棲むフナやモロコなどが展示してある。
近江牛ポテトスティック、540円也。
高いけどこういうところだとつい買ってしまうのは皆同じ。
飛び出し注意の看板「とびだしとび太くん」の実物の60%サイズのレプリカ、4800円也。
さすがにこういう所でも買わなかった。
ちなみに実物大サイズは6400円也。
ふなずし。
小さい頃、親父が食べているのを見て臭くて嫌だったけど、半分滋賀県人なのでいつしか美味しいと思うようになった。
見ていたらツバがでてたまらなかった。
子持ちが旨いんです。
ハイミーをパラパラッと入れて熱々のお湯を注ぐと、あ~たまりません。
要冷蔵なのでいつ帰れるか分からないので買うのを断念。
嗚呼残念。
魚が頂けるというので「岩魚の塩焼き定食」を注文。
塩がきいていてとても美味しかったです。
とら母は岩魚天丼。ボリューム満点。
娘はあいかわらずそば。
今や全国にある飛び出し注意のこの看板はここ八日市(東近江市)が発祥。
昼ご飯を食べている頃に高速道路の通行止めが解除され、八日市ICから名神に乗った。
特に渋滞もなく流れはスムース。
茨木ICに近づくと上りも下りも出口渋滞。
吹田ICが心配だったけど、こちらは車も少なめだった。
家の近所で買い物をしようとスーパーに寄ったら、すぐ食べれそうな総菜や弁当、パン類に水は売り切れ状態。
近所の神社の鳥居の前に消防団の人が立っていた。
どうやら鳥居が崩れそうなため警戒しているようだった。
翌日この道を通ったときには通行止めになっていた。
瓦が落ちている家や壁が落ちている家が目に留まった。
取りあえず家についた。
外見は普段と変わらない様子で少しホッとした。
家に入ると立てかけてあった物が倒れていた。
「あ~っ」ととら母の声が台所から聞こえてきた。
テレビ台が半分倒れかけていて乗っていたものが落ちていた。
食器棚から茶碗やカップが落ちて少し割れていたけど、さほど酷いものでは無かった。
心配だったガレージを見に行こうと物置を通るとここも立てかけてあった物が倒れていた。
もともとがごちゃついている家なので、写真を見ても何が地震の影響なのか分からない絵になってしまった。
以前娘の友達がトイレを借りに来たことがあって、その子が「ゴミ屋敷かお化け屋敷だ」っていったらしい。
もっともっと片付けていかないと。
ガレージに行くとフライス盤は倒れていなかった。
ホッとした。
幼なじみがリフォームに使ってと現場から貰ってきてくれた扉は倒れていなかった。
よく見ると旋盤とフライス盤が少し移動していた。
距離にして10センチほど移動している。
私の身長に合うように機械の下に敷板を敷いて10センチほど嵩上げしていたのだが、これがずれて外れかけていた。
敷板の上を滑ったようで、これは怖かった。
二階も同じように立てかけてあった物が倒れてあった。
ずっと見て回っていくうちに倒れていた物がほとんど南北に立てかけてあった物ばかりだった。
仏壇が少し動いて物が落ちていたけど姿見の鏡は倒れずに鏡だけ横にずれていた。
トイレと風呂のタイルが少しヒビが入っていた。
総じて被害は少なかった。
急いで片付けをして、余震でフライス盤が倒れないように場所が少しずれたままだったけどそのまま敷板を敷き直し、旋盤は元の位置からさらにスペースを広く取れるように壁寄りに位置をずらした。
阪神淡路大震災の時も出張で家におらず大きい地震は体験したことがない。
大変になると言うことは分かっていても地震対策は取ってこなかった。
食器棚やレンジ棚が倒れたらと思うと今はぞっとする。
南海トラフ大地震が来ると言われている今、リフォームやらないといけないけど、地震対策もしていかないといけないと思った。
心配して頂いた皆さま。我が家はまだこの程度ですみました。ありがとうございました。
平日だったけど春休みだったため結構混雑していて次は本当の平日に行こうと娘と約束していた。
先日の日曜が参観日。
月曜が振替休日という事で遊園地に行くことにした。
昔は沢山あった遊園地も残っているのは数えるほど。
日帰りで行けるところはアトラクションが寂しいので三重県桑名市にある「ナガシマスパーランド」に行くことにした。
日帰りはきついし面白みもない。
三重県には母方の親戚がいてゴールデンウイークの車中泊の時に泊めてもらったときにお風呂のシャワー栓の調子が悪いと言っていたので、それも直してあげたくて泊めてもらうことにした。
親戚の家は三重県のいなべ市にある。
四日市市の北に位置し、今まで近畿自動車道、西名阪自動車道、名阪国道、東名阪自動車道と乗り継いで大阪の南部から奈良をグルッと回っていくルートで行っていた。
距離にして約160km。
前から滋賀県から三重県に抜ける国道のトンネルが整備されたと聞いていて気になっていたので、今回はそのルートで行くことにした。
亡き親父は滋賀県の八日市(現 東近江市)の生まれで、私も半分滋賀県の血が流れている。
盆や正月、仕事の時、小さい頃から名神にのって田舎に帰った。
「近江富士」と親父に教えて貰ったのもこの景色を見ながらだった。(三上山(みかみやま)標高432m)
ここを通り、この景色を見る度に幼かった頃に戻ったような気持ちになる。
良かったことや悪かったことが漠然と思い出され、なんか切ない気持ちになる。
名神八日市ICを下りて国道421号線(八風街道)を東に進む。
この道はあまりに険しい道から酷道421号線と呼ばれ、2トン以上通行禁止で幅2m以上の車が通れないように2m幅のコンクリートブロックのゲートが設けられていた。
昔一度だけ通ったことがあったけど、コンクリートブロックはバックミラーがかするか、かすらないかってくらいぎりぎりでハラハラしたのを覚えている。
田舎の家の近所に愛知(えち)川という鮎が住んでいるくらいの水のきれいな川があった。
その上流にある永源寺ダム。
酷道も長さ4kmのトンネルが開通したことで随分走りやすくなって1時間半ほどで三重県の親戚宅に到着。
今までから40kmの短縮。うそのように身近になった気がした。
着いて早速お風呂のシャワー栓の修理。
修理と行っても新しいシャワー栓と交換するだけ。
この家は周囲より低くて民家もなく水圧がかなり高く、シャワーの水が刺さるくらいの勢いで出てくる。そのせいかピタッと止まらない不具合だった。
あまりに高い水圧は水栓には負担が大きいように思える。できれば減圧弁を付けてあげた方が良いと話しておいた。
サーモ付きのシャワー水栓も買えば結構な値段がする。
これは水廻りを扱うメーカーに務める幼なじみが用立ててくれた物。たぶん見てないと思うけどありがとうね。
夕食。
ゴールデンウイークにも来たので、つい先日来たような気がしてならない。
脂っこい物を控えているので食事を気を遣わせてしまう。
今回もお刺身を用意して貰ったりと申し訳なくてならない。 おじさん、おばさん、すみませんです。
娘も随分慣れたようで、よくしゃべって家中走りまくっていた。
自分も小さいころ、よその家に行ったときはこんなんだったと思いだした。
18日(月)の朝。
台風6号の余波で天気が思わしくなかった。
来る前から天気予報を見ていたけど降水確率が40%から60%と日に日に上がっていく。
ついには80%になった。
ナガシマスパーランドは諦めて他がないか探すことにした。
水族館も月曜は休館日。
どうしようかと悩んでいたらスマホの防災警報がなったと同時にグラッと大きく揺れた。地震だった。
大きかった。
ニュースを見たら震源地が大阪北部とあった。
テレビは地震のことばかり流れていた。
ブロック塀が倒れたり、火事の映像が流れる度にだんだんと自分の家がどうなのか心配になってきた。
電気屋をしていたときの看板がまだ残っていて、錆ていてるので落ちたりしていないかとか、フライス盤が倒れたりしていないかとか心配になりだした。
すぐに分からないだけに不安が募る。
近所の人に電話して見て貰って大事には至っていないことが分かったけど、取りあえず家に帰ることにした。
といっても高速道路が全て通行止めで簡単には帰れそうになかった。
昼前になって親戚の家を出ることにした。
田んぼに囲まれた家。
帰り支度している間におばさん達とザリガニを探す娘。
まだ高速は通行止めのままだった。
帰りたいけどすんなりと帰れないだけに、焦るようで焦ってもどうしようもない時間が流れた。
近畿自動車道は通行止めだけど西名阪自動車道は走れるので、遠回りするルートで帰ろうかとも考えたけど、来たときのことが頭に残っていて今更遠回りする気になれず、来たルートを戻ることにした。
石榑トンネル(2011年3月26日開通 4157m)
このトンネルの恩恵は本当に大きい。
八風街道沿いにはコンビニもなく、昼ご飯のために道の駅に立ち寄った。
道の駅 「奥永源寺渓流の里」
見た目が学校に見えたと思ったら平成15年に閉校した旧 政所(まんどころ)中学校の校舎を再利用したとあった。
愛知川の源流に棲む岩魚やヤマメなどの渓流魚や、琵琶湖に棲むフナやモロコなどが展示してある。
近江牛ポテトスティック、540円也。
高いけどこういうところだとつい買ってしまうのは皆同じ。
飛び出し注意の看板「とびだしとび太くん」の実物の60%サイズのレプリカ、4800円也。
さすがにこういう所でも買わなかった。
ちなみに実物大サイズは6400円也。
ふなずし。
小さい頃、親父が食べているのを見て臭くて嫌だったけど、半分滋賀県人なのでいつしか美味しいと思うようになった。
見ていたらツバがでてたまらなかった。
子持ちが旨いんです。
ハイミーをパラパラッと入れて熱々のお湯を注ぐと、あ~たまりません。
要冷蔵なのでいつ帰れるか分からないので買うのを断念。
嗚呼残念。
魚が頂けるというので「岩魚の塩焼き定食」を注文。
塩がきいていてとても美味しかったです。
とら母は岩魚天丼。ボリューム満点。
娘はあいかわらずそば。
今や全国にある飛び出し注意のこの看板はここ八日市(東近江市)が発祥。
昼ご飯を食べている頃に高速道路の通行止めが解除され、八日市ICから名神に乗った。
特に渋滞もなく流れはスムース。
茨木ICに近づくと上りも下りも出口渋滞。
吹田ICが心配だったけど、こちらは車も少なめだった。
家の近所で買い物をしようとスーパーに寄ったら、すぐ食べれそうな総菜や弁当、パン類に水は売り切れ状態。
近所の神社の鳥居の前に消防団の人が立っていた。
どうやら鳥居が崩れそうなため警戒しているようだった。
翌日この道を通ったときには通行止めになっていた。
瓦が落ちている家や壁が落ちている家が目に留まった。
取りあえず家についた。
外見は普段と変わらない様子で少しホッとした。
家に入ると立てかけてあった物が倒れていた。
「あ~っ」ととら母の声が台所から聞こえてきた。
テレビ台が半分倒れかけていて乗っていたものが落ちていた。
食器棚から茶碗やカップが落ちて少し割れていたけど、さほど酷いものでは無かった。
心配だったガレージを見に行こうと物置を通るとここも立てかけてあった物が倒れていた。
もともとがごちゃついている家なので、写真を見ても何が地震の影響なのか分からない絵になってしまった。
以前娘の友達がトイレを借りに来たことがあって、その子が「ゴミ屋敷かお化け屋敷だ」っていったらしい。
もっともっと片付けていかないと。
ガレージに行くとフライス盤は倒れていなかった。
ホッとした。
幼なじみがリフォームに使ってと現場から貰ってきてくれた扉は倒れていなかった。
よく見ると旋盤とフライス盤が少し移動していた。
距離にして10センチほど移動している。
私の身長に合うように機械の下に敷板を敷いて10センチほど嵩上げしていたのだが、これがずれて外れかけていた。
敷板の上を滑ったようで、これは怖かった。
二階も同じように立てかけてあった物が倒れてあった。
ずっと見て回っていくうちに倒れていた物がほとんど南北に立てかけてあった物ばかりだった。
仏壇が少し動いて物が落ちていたけど姿見の鏡は倒れずに鏡だけ横にずれていた。
トイレと風呂のタイルが少しヒビが入っていた。
総じて被害は少なかった。
急いで片付けをして、余震でフライス盤が倒れないように場所が少しずれたままだったけどそのまま敷板を敷き直し、旋盤は元の位置からさらにスペースを広く取れるように壁寄りに位置をずらした。
阪神淡路大震災の時も出張で家におらず大きい地震は体験したことがない。
大変になると言うことは分かっていても地震対策は取ってこなかった。
食器棚やレンジ棚が倒れたらと思うと今はぞっとする。
南海トラフ大地震が来ると言われている今、リフォームやらないといけないけど、地震対策もしていかないといけないと思った。
心配して頂いた皆さま。我が家はまだこの程度ですみました。ありがとうございました。
ドキドキします。
そのドキドキが少しずつ大きくなっていくような気がしています。
長い年月をかけて、心とその入れ物が
ジワジワと劣化(くたびれて)しているからでしょうか。
無事で何より。でも、その安心感も比例して感慨深い。
片付けは、時間でなんとかなる。頑張ってください。
話すネタもいろいろと溜まったのでそのうちどこかで。
それにしても、無事で何より。
ありがとう。
こんにちは。
たしかにくたびれて行っているような。
良いことでドキドキが減って、よろしくないことでのドキドキが増えてます。
だからかダメージを受けないようにとちょっと臆病な生き方をしているようにも思えます。
大人になったのか弱くなったのか。少しアグレッシブさも持たないとと思っていますがなかなか。
リフォームが終わったら是非焼肉でも。
北陸にもまた行きますのでその時たまった話しをしたいですね。
ありがとうございました。
こちらは災害の少ない県ですが油断せずに準備をしないと、と思います。
阪神淡路大震災の時も出張で直接経験していなかったので今回が初めての経験になります。
地震対策をしないといけないと痛感しました。
リフォームのついでに食器棚やレンジ類を耐震化していきたいと思います。