とあるスナックで
小林
ママ
今まで随分とバブルってあったんですね。ところで皆さん、ここらで一服しましょうよ。きょうは寒かったんで、熱燗でいいですね。
コー
小林
では、続きを読みましょう。P-175
ジョン・ローという男
オランダに続き、18世紀の初めには、フランスとイギリスでバブルが発生しています。フランスのバブルは、スコットランド出身のジョン・ローという男が主人公でした。ジョン・ローの生み出したバブルは、彼が考案した金融システムがある時期までうまく作動した結果、発生したものです。
ローは、1671年に、金細工師の息子として生まれました。当時の金細工師は、通貨の保管・貸付業務、いまでいえば、銀行のような業務を行っていました。ローは、若くしてロンドンに遊学し、銀行や金融について勉強しました。しかし、彼はまたプレイボーイ、無類の酒好き、賭博師であり、「伊達男ロー」としてもしられました。
ところが、この遊学は1694年のある事件により中断されることになります。ローはたくさんの愛人を囲っていたのですが、もう一人の伊達男ウィルソンの妹がローの愛人をからかったため、ローがウィルソンに決闘を申し込み、剣で相手の腹を突き刺し殺してしまったのです。
ローは逮捕され有罪となって刑務所に送られますが、その後脱獄して大陸へ逃れました。彼は国家財政に興味を示し、アムステルダムの金融街を歩いては、金融制度の研究を進め、1705年には「通貨および商業の考察」という小冊子を刊行するまでになります。
彼はその本の中で、貨幣の不足がスコットランドの不況を招いているから、土地を担保にして通貨量を増やすべきであり、そうすれば、雇用を刺激し、国富の増大につながるという見解を述べています。これは後のケインズの主張に似ています。しかし、あまりに時代に先駆けすぎていたのか、スコットランドでは受け入れられず、大陸のサボイ家にも進言しましたが、やはり無駄でした。その一方で、ブリュッセル、ウィーン、ローマ、を旅して、賭博や投機でで相当の財産を築き上げました。ちなみに、現在の量的緩和(QE)やアベノミクスに通じるこのローの主張とケインズの主張の類似性について、経済学者のハイエクが皮肉交じりに次のように述べています。
「私には、ケインズはいつも新しいタイプのジョン・ローのように見えていた。ケインズと同じように、ローは実際に貨幣理論に貢献した金融界の天才だった。ローは(このような追加的な貨幣は働いていない人を雇用し、すでに働いている人にも大きな利益を与える。このようにして、生産物は増加し、製造業は発展していく)と述べている、ローと同様に、ケインズはこのような誤った、しかし人口に膾炙(かいしゃ)した信念から決して自由になれなかった」(ハイエク全集Ⅱー2「貨幣論集」)
ローの錬金術
さて、当時のフランスでは、ルイ14世の死後、ルイ15世が王位を継承しましたが、彼が5歳と幼少であったため、オルレアン公フィリップ2世が摂政につきます。当時のフランスは、17世紀以来の長期不況下で、貨幣の不足と物価の下落にあえいでいました。また、前ルイ14世による相次ぐ侵略戦争への出費、ベルサイユ宮殿での放蕩三昧、賄賂の横行で国庫はすでに大きく傾いており、財政赤字が30億リーブルをこえていたのです。こうした苦境の中で、国家財政の立て直しを図りたいフィリップ公には、ローの構想に耳を傾ける理由があったといえるでしょう。
ローはいくつかの論文と覚書で、銀行券発行の有効性を財務当局者に説きました。」・・・。(続く)
ジョン・ローという男
オランダに続き、18世紀の初めには、フランスとイギリスでバブルが発生しています。フランスのバブルは、スコットランド出身のジョン・ローという男が主人公でした。ジョン・ローの生み出したバブルは、彼が考案した金融システムがある時期までうまく作動した結果、発生したものです。
ローは、1671年に、金細工師の息子として生まれました。当時の金細工師は、通貨の保管・貸付業務、いまでいえば、銀行のような業務を行っていました。ローは、若くしてロンドンに遊学し、銀行や金融について勉強しました。しかし、彼はまたプレイボーイ、無類の酒好き、賭博師であり、「伊達男ロー」としてもしられました。
ところが、この遊学は1694年のある事件により中断されることになります。ローはたくさんの愛人を囲っていたのですが、もう一人の伊達男ウィルソンの妹がローの愛人をからかったため、ローがウィルソンに決闘を申し込み、剣で相手の腹を突き刺し殺してしまったのです。
ローは逮捕され有罪となって刑務所に送られますが、その後脱獄して大陸へ逃れました。彼は国家財政に興味を示し、アムステルダムの金融街を歩いては、金融制度の研究を進め、1705年には「通貨および商業の考察」という小冊子を刊行するまでになります。
彼はその本の中で、貨幣の不足がスコットランドの不況を招いているから、土地を担保にして通貨量を増やすべきであり、そうすれば、雇用を刺激し、国富の増大につながるという見解を述べています。これは後のケインズの主張に似ています。しかし、あまりに時代に先駆けすぎていたのか、スコットランドでは受け入れられず、大陸のサボイ家にも進言しましたが、やはり無駄でした。その一方で、ブリュッセル、ウィーン、ローマ、を旅して、賭博や投機でで相当の財産を築き上げました。ちなみに、現在の量的緩和(QE)やアベノミクスに通じるこのローの主張とケインズの主張の類似性について、経済学者のハイエクが皮肉交じりに次のように述べています。
「私には、ケインズはいつも新しいタイプのジョン・ローのように見えていた。ケインズと同じように、ローは実際に貨幣理論に貢献した金融界の天才だった。ローは(このような追加的な貨幣は働いていない人を雇用し、すでに働いている人にも大きな利益を与える。このようにして、生産物は増加し、製造業は発展していく)と述べている、ローと同様に、ケインズはこのような誤った、しかし人口に膾炙(かいしゃ)した信念から決して自由になれなかった」(ハイエク全集Ⅱー2「貨幣論集」)
ローの錬金術
さて、当時のフランスでは、ルイ14世の死後、ルイ15世が王位を継承しましたが、彼が5歳と幼少であったため、オルレアン公フィリップ2世が摂政につきます。当時のフランスは、17世紀以来の長期不況下で、貨幣の不足と物価の下落にあえいでいました。また、前ルイ14世による相次ぐ侵略戦争への出費、ベルサイユ宮殿での放蕩三昧、賄賂の横行で国庫はすでに大きく傾いており、財政赤字が30億リーブルをこえていたのです。こうした苦境の中で、国家財政の立て直しを図りたいフィリップ公には、ローの構想に耳を傾ける理由があったといえるでしょう。
ローはいくつかの論文と覚書で、銀行券発行の有効性を財務当局者に説きました。」・・・。(続く)
ママ
今まで随分とバブルってあったんですね。ところで皆さん、ここらで一服しましょうよ。きょうは寒かったんで、熱燗でいいですね。
コー
はいよママ、いつもの純米酒のでお願いしますね。