9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

ユースタス・マリンズ著 <民間が所有する 中央銀行> その4

2017年02月26日 | 日記
とあるスナックで

コー
さー、序文を読もう。

国内での公演、多数のラジオ・テレビ出演をとおして、私は連邦準備制度は連邦政府機関ではなく、準備金をもたず、そもそも制度ですらなく、むしろ犯罪シンジケートであると述べてきた。
陰謀家たちがジョージア州のジキル島で会合を開いた1910年11月から現在まで、連邦準備銀行家たちの策謀は隠蔽されつづけてきた。今日、その秘密主義は合衆国国民の上に三兆ドルの債務となってのしかかり、その債務に対して銀行家たちに支払われる金利は毎年3000億ドルに達している。これは想像をはるかに超える金額であり、結局は支払い不能である。

<<コー注、これは各国も同じで、日本もまったく同じ構造だ。税金をいくら増やしても>>

連邦準備制度の役人たちは、目の前で頭を振る幻惑されたコブラに噛まれないよう即座に笛の音を調えるヒンドゥー教の行者のように、型にはまった繰り言を国民に述べるだけで、事態を真に解決しようとはせず、ただ襲撃を防ごうとするばかりである。
その一例は、1983年3月10日の下院議員ノーマン・D・シャムウェイの質問状に対する返答として、連邦準備制度理事会の副議長ドナルド・J・ウィンによって書かれた宥める(なだめる)ような手紙である。それによると「連邦準備制度は1913年に法律にもとづいて制定されたもので(民間法人)ではない」という。だが次のページでウィン氏は、「連邦準備銀行の株式は、連邦準備制度のメンバーである商業銀行によってすべて所有されている」と書いている。彼の説明には、政府がどの連邦準備銀行においても一株も所有してこなかったのはなぜか、もしくは全株式が「民間法人」に所有されているのに、なぜ連邦準備制度が「民間法人」ではないのかという説明はまったくされていない。

20世紀のアメリカの歴史は、連邦準備銀行家たちの驚くべき成功を記録してきた。
その最初は、合衆国の新しい中央銀行から入手した資金によって可能となった第一次世界大戦の勃発である。二番目は1920年代の農業不況であり、三番目は1929年10月のウォール街のブラックフライデーの大暴落とそれにつづく大恐慌であり、四番目は第二次世界大戦である。そして五番目は、1945年から現在にいたる間に発生した事態である。合衆国とアメリカ国民の実質的な資産が紙の資産と化し、1945年には戦勝国であり第一級の世界的な国力を有していた合衆国が、1990年には世界最大の債務国に転落した。今日この国は、1945年にドイツや日本が直面した悲惨な窮境と同じく、破壊され貧窮した経済的廃墟の上に横たわっているのである。
現在直面している状況のなかでアメリカ人は、かつてのドイツ人や日本人がおこなってきたように自国を再建すべく行動するのか? それとも、わが国の完全な破壊を完成するために1913年の連邦準備法によって創設された

バビロニア式の債務通貨システムの奴隷となりつづけるのか?

これが、われわれが答えなければならない唯一の問題なのであるが、返答のために残された時間はあまりない。

エズラ・パウンドの指導のもとに議会図書館で私が明らかにした情報の深遠さと重要性のため、本書は、みずから資料を調査する能力のない多数の自称歴史家たちの恰好の狩猟場となった。過去40年以上にわたって、私は本書の材料が他の多くの本に登場するのに慣れてしまった。だが、例外なしにそれらの本のどこにも私の名前はなく、他の執筆者が著者となっている。
さらに、私に傷を負わせたうえに侮辱まですることがあった。「連邦準備 神殿の秘密」と呼ばれる大作のなかでは、材料だけでなくタイトルまでが盗用されていた。大々的に宣伝されたこの本は、さまざまな角度から批評を受けた。フォーブス誌は、「読者は秘密を発見できないであろう」とし、「この本は、華やかな宣伝が利点を上まわる類の一冊である」と指摘し、読者に対してフォーブス誌の批評を読んでお金をムダにしないよう忠告した。連邦準備銀行家たちの身の潔白を大言壮語したこの本が、世界でもっとも有名な雑誌出版社から刊行されたのは偶然ではなかった。

20世紀においてもっとも影響力のある文学的名士のエズラ・パウンドがワシントンの「地獄」に幽閉されていることを発見した初期のショックのあと、私はただちに、しばしば自身もゲストとして自宅に招かれていたウォール街の金融業者宛に助力を求める手紙を書いた。芸術の後援者者として、パウンドをそのような非人間的な捕らわれの身にしておくことを許せないだろうという期待をこめ、てである。ところが、彼の返事は私のショックをさらに大きくした。「貴氏の友人は、その場所にとどまったほうがよいだろう」と書いてあったからだ。
このことが理解できるまでには数年を要した。その投資銀行家と仲間たちにとって、エズラ・パウンドはつねに「敵」でなければならなかったのである。

1991年     ユースタス・マリンズ    (ワイオミング州ジャクソンホールにて)




小林
この中で、 <バビロニア式の債務通貨シシテム>という言葉がでてきたましたね。

コー
そう、これが理解できれば、<奴隷>だな。

小林
え、じゃ理解できないとしたら、なんなんですか。

コー
ハハー。それは<奴隷>じゃなく、<家畜>だということさ。
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9.11について  ユースタス・マリンズ著 <民間が所有する 中央銀行>その3

2017年02月25日 | 日記
とあるスナックで

コー
この本はおもしろいね。いろんな人の生々しい<証言>が出てくるね。とりあえずは、序文を読んでいこう。

作家の心に残る著作はただ一冊である、という執筆を専門とする者たちにとっての自明の理がある。それは私の場合にも当てはまるようだ。連邦準備制度の内部ストーリーという一つのテーマを50年にわたって追跡し、現在も書きつづけているからだ。
本書は、エズラ・パウンドに委託され指導されたことが発端となった。彼の四人の弟子はかつてノーベル文学賞を受賞した。ウイリアム・バトラー・イェーツ(1865~1939、アイルランドの劇作家・詩人)は後期の詩によって、ジェームス・ジョイス(1882~1941、アイルランドの小説家・詩人)は<ユリシーズ>によって、アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961、米国の小説家)は<陽はまた昇る>によって、そしてT・S・エリオット(1888~1965、米国生まれの英国の詩人、評論家)は<荒地>によってである。パウンドは、これらの作品における着想(インスピレーション)と編集に大きな役割を果たした。パウンドの着想によって生まれた本書もまた、その文学的伝統を受け継いでいると私は信じている。

本書は、当初から経済および金融の技術にかんする曲折にみちた作業の連続であった。しかしその世界は、私が親しんできたヴァージニア州出身の作家エドガー・アラン・ポー(1809~49)によって創造されたジャンルであり、またエズラ・パウンドが探偵小説として書くように私にすすめたように、その発端から全面的かつ劇的なストーリーとして展開していった。
過去40年にわたる本書の継続的な流布は、エズラ・パウンドに科せられた政治的および金融的記述に対する濡れ衣を晴らすだけではなく、KGB(旧ソ連国家保安委員会)式に13年半ものあいだ、裁判もなく精神病院に政治犯として幽閉されることを余儀なくさせた強力な陰謀家(コンスピレイター)たちに対抗する究極の武器であり、これからもそうでありつづけると私は信じている。
パウンドの無実をもっとも早い時期に立証したのは、陰謀家たちの代理をする政府機関が、パウンド自身が自らを守るために証言することを認めなかったときである。二番目にパウンドの無実を立証したのは、政府機関が彼に対するすべての告訴をとり下げ、彼がセント・エリザベス病院から解放されてふたたび自由を取り戻した1958年のことである。そして三番目に、かつ最後に彼の無実を立証したのは本書である。
本書は、エズラ・パウンドの発見にもとづく冷酷な国際金融資本家たちについてのあらゆる側面を詳細に記録している。パウンドは、国際金融家たちの全米国民に対するひそかな売国行為をアメリカ人同胞に対して勇気をもって警告したがゆえに、さらなる犠牲として供され、<鉄仮面の男>として服役するよう運命づけられた。ーーー



小林
<連邦準備制度の内部ストーリーという一つのテーマを五十年にわたって追跡し、現在も書きつづけている>と言ってますね、ユースタス・マリンズは。亡くなるまでずっと続いたということでしょう。逆にいうと、<連邦準備制度の内部>は、掘っても掘っても、掘りつくせないほどの内部だったということでしょう。

それはまるで探偵小説や推理小説の世界のようだともいってますね。
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9.11について  ユースタス・マリンズ著 <民間が所有する 中央銀行>その2

2017年02月20日 | 日記
とあるスナックで

小林
またまた<序文>を読んでいきましょう。


私は議会図書館で毎日4時間の調査を行い、午後からセント・エリザベス病院に行き、パウンドと前日に記録した内容を検討した。そしてパウンドがその日の記録を検討しているあいだ、私はショルの店のカフェテリアでジョージ・スティンプソンと夕食をともにした。そのあとで私はへやにもどり、訂正された草稿をタイプして清書した。スティンプソンとパウンドは、それ以前にはまったく経験したことのなかった分野に私を導くうえで多くの示唆を与えてくれた。
パウンドの資金が尽きたとき、私はグッゲンハイム財団、ハンティントン・ハートフォード財団およびその他の財団に対して、連邦準備制度についての私の調査が完了できるように支援を求めた。給費申請書では、米国屈指の三人の詩人、エズラ・パウンド、E・E・カミングスおよびエリザベス・ビショップが保証人となっていたが、どの財団も調査の支援を拒否した。
そこで私は、それまでに発見した事実をまとめ上げ、1950年にニューヨークで原稿の売り込みを開始した。18の出版社はなんのコメントもなく拒絶したが、19番目のデヴォン・アデア出版社の社長デヴォン・ギャリティは、彼のオフィスでいくつかの親切な忠告を私に与えてくれた。
「君の本は気に入った。だけどわれわれは出版できない」と彼はいった。そして、「ニューヨークではだれでもダメだろう。その本の内容を君の小説の内容説明書に記載しないという条件でなら、われわれはきみに前渡金を支払うことができると思う。だが、この連邦準備の本の出版は忘れたほうがいい。印刷できるかさえ疑問に思う」と私に忠告したのである。

これは、二年間の集中的な作業のあとに到来した悲惨なニュースであった。私はこのことをパウンドに報告し、米国の他の地域の出版社を探すことにした。
二年間にわたる実りなき売り込み作業ののち、本は1952年にパウンドの弟子ジョン・キャスパーとディヴィッド・ホートンの個人的な資金によって、<連邦準備についてのマリンズの調査>というタイトルで少部数出版された。1954年には、著者の許可なく内容に変更が加えられ、<連邦準備の陰謀>というタイトルで第二版がニュージャージー州で出版された。
1955年には、グイード・レーダー氏がドイツのオーバーアマーガウ(バイエルン州南部の村)でドイツ語版を出版した。しかし、オットー・エーン博士に率いられた政府職員によってその本は押収され、1万冊すべてが焼却された。
本の焼却は、バイエルン州最高裁判所のイスラエル・カッツの判決によって1961年4月21日に支持された。当時、合衆国のドイツ駐在高等弁務官ジェームス・B・コーナント(1933年から53年までハーバード大学学長)はこの最初の本の焼却命令を承認していたので、合衆国政府は介在することを拒否した。第二次世界大戦後、ドイツで焚書になたのはこの本だけである。
1968年に海賊版がカリフォルニア州に出現したが、その後の10年間にわたる私からの多くの訴えにもかかわらず、FBIも合衆国の郵政監督官も動くことを拒絶した。
1980年には、新たなドイツ語版が出版された。明らかに合衆国政府はドイツの国内事情にかんしてなにも指示することができなかったので、1955年に焚書になったのと同一の本が妨害もなく現在はドイツ国内で流通している。

私は、H・L・ハント氏と何冊かの本で共同作業を行ってきたが、彼は連邦準備にかんする遅々とした調査を継続して、本の内容をさらに明確にしようと提案した。だがそのとき私はエズラ・パウンドの正当な伝記を書くという契約にサインをしたばかりだったので、連邦準備制度の本を後まわしにしなければならなかった。そして、ハント氏は私が調査を再開する前に死去してしまったので、ふたたび私は調査の資金難に直面した。


私の最初の本は、連邦準備法を計画した合衆国の陰の人物を突き止め、名前を明らかにした。連邦準備制度を操作する陰の人物として1952年に私が暴露した連中は、実際に影のような存在であり、のちに「ロンドン・コネクション」として知られるようになった謎の人物たちの合衆国における代理人であることを私は発見した。英国に対する独立戦争と1812年の戦いによる成果にもかかわらず、合衆国はいぜんとして大英帝国の経済的および金融的植民地のままであったことを私は発見したのである。

最初に私は、連邦準備銀行の当初の株主を探し出し、その親会社を追跡してロンドン・コネクションを突き止めた。この調査は、血縁、結婚および業務関係を示す新聞、定期刊行物および書籍、図表からの引用文と証拠書類によって実証されている。1000号以上のニューヨーク・タイムズ紙のマイクロ・フィルムからのオリジナル情報だけでなく、他の情報源による記事の確認も行われている。ーーーー



小林
丹念に丹念に資料を調べる方法ですね。ジョン・コールマンと同じですね。
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9.11について  ユースタス・マリンズ著 <民間が所有する 中央銀行 >

2017年02月18日 | 日記
とあるスナックで

コー
いま色々経済の本を図書館から借りて読んでいるんだけど、やっぱり天野統康(もとやす)の言っているとおりだね、(通貨発行権)のことについてはどの本も書いてないね。索引を見ても載っていない。そしてお金が世の中で(増える)そして(減る)という仕組みがはっきりと説明されていない。(信用創造)については、大学の教科書も高校の教科書と同じ説明だ。わかったようなわからないような説明だ。

これじゃいくら学校で勉強しても、(通貨発行権)や(信用創造権)については、いつまでたっても分からない。それって、なーに?だ。


苫米地英人は、今までの 戦争 は銀行家が(通貨発行権)と(信用創造権)を領主や王様から奪うための戦争で、アメリカのFRB(連邦準備制度)ができてからは、(通貨発行権)と(信用創造権)を行使するための 戦争 だったといっている。

つまり戦争の目的だったわけだ。

その(通貨発行権)と(信用創造権)が本に載っていない。学校で勉強しない。一体このことはどういうことなんだ。


小林
FRB(連邦準備制度)といえば、図書館にユースタス・マリンズの( 民間が所有する 中央銀行 )がありましたよ。ユースタス・マリンズの原点ですね。
コー
そうだね。その本の序文にこう書いてある。

序文

1949年に私は、ワシントンDCのセント・エリザベス病院(精神異常者のための連邦施設)に政治犯として幽閉されていたエズラ・パウンドを訪問しづけていた。
ある日、パウンド博士は「連邦準備制度(Federal Reserve System)について聞いたことがあるか」と私にたずねた。当時25歳だった私は、「知らない」と答えた。博士は「連邦準備券(Federal Reservenote)と印刷された10ドル紙幣を私に示して、その紙幣を発行した連邦準備制度について米国議会図書館で調べてみてくれないか、といった。パウンドは、合衆国政府によって裁判もなしに政治犯として拘束されていたので、みずから出向いて調べることができなかったのである。

第二次世界大戦中パウンド博士は、合衆国での放送を拒否されたのちに、イタリアから渾身の力をふるって、合衆国国民が第二次世界大戦に参戦しないよう説得する放送を行った。
フランクリン・D・ルーズヴェルトは、のちに全員が共産主義のスパイと関係していたことが確認された三人の個人秘書、ハリー・デクスター・ホワイトとロックリン・カリー、アルジャー・ヒスの要求に急かされて、パウンドを告発する命令を個人的に発した。


当時の私は小説に取り組んでいたので、貨幣や銀行業務に対して興味をもっていなかった。パウンドは、数週間にわたって週に10ドルを追加しようと私に申し出た。
私の最初の調査によって明らかになったことは、国際銀行グループが連邦準備法の成文化と議会における立法化をひそかに計画していた、ということであった。この発見は、パウンドが長いあいだ疑わしいと思っていたことが、そのとおりであったことを証明するものであった。
パウンドはいった。「これについては、探偵小説として取り組みなさい」と。
議会図書館の調査を継続するうえで幸運だったのは、傑出した学者であり、ナショナルプレスクラブの創立者であるジョージ・スティンブソンの支持を仰ぐことができたからである。1952年9月28日のニューヨーク・タイムズ紙には、「ワシントンの新聞記者たちに<我々の歩く議会図書館>と敬愛されたスティンブソン氏は、議事堂の情報参照源として非常に尊重されており、政府の高官、議会議員および記者らは、いかなるテーマであろうと彼に情報を求めた」と書かれている。ーーーーー
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9.11について  <経済学理論のここが間違っている> リチャード・A・ヴェルナー 

2017年02月14日 | 日記
とあるスナックで

コー
天野統康(もとやす)は、リチャード・A・ヴェルナーの本に出会って、現在の経済学の間違いを初めて知ったと言っているね。

そして、それは単に(間違い)ということではなく、壮大な壮大な<詐欺 経済学>理論だったと、わかったんだと思う。

そのことは、すぐには人に伝わらないんだろうな。俺は<2001年 9.11ニューヨーク テロ>への疑問から天野統康にたどり着いたから、わりとすんなり、納得できたけど。
だから単に、<経済学の間違い>ということで、色々考えて欲しいんだ。単にと言ったって、それは恐ろしいことなんだがね。だって今の大学の経済学部や金融の教科書が間違っているということだからね。日本だけだはなく、世界中の。

その事を初めて言った、リヤード・A・ヴェルナーはだからすごい。すごいなんてもんではない。いままでの学説を否定する学説なんだから。
そのことはいろんなところから、バッシングを受けるという事だ。

だからかれは、サムライなんだ。

自分の信念に命をかけた、サムライなんだ。

単に就職のため、教授の椅子をとるため、または収入を得るために<経済>を勉強しているんではないということだ。


小林
そうですね彼の本の、<謎解き! 平成大不況> PHP研究所 2003年出版の P-103 に分かりやすく書いてありますね。

第3章  経済学理論のここが間違っている
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