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イッピンNHK 「香り高く!優美に!~福岡 高取焼~」

2023-10-13 08:25:13 | イッピンNHK

 第173回 2017年10月24日 「香り高く!優美に!~福岡 高取焼~」リサーチャー: 中山エミリ

 番組内容
 ボディーが丸く、飲み口がキュッと締まったワイングラスのような形状が飲み物の香りを引き立たてると、年に5000個を売り上げる人気のカップがある。江戸時代から茶陶で名をはせた、福岡の高取焼。いま受け継がれた茶の湯の美意識を昇華させ、さまざまな器が誕生している。幾重もの色が流れ落ちたような優美な風合いの器や、「透かし彫り」という技法を用いたみやびな菓子器。知られざる高取焼の魅力に中山エミリが迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201710241930001301000 より

 代目 鬼丸碧山さんの窯を訪れます。 ここでは 年に5000個も売れる人気のカップを作っています。 江戸時代には 茶の器として 名をはせた焼き物の産地で 福岡県内で6軒の窯元があります。 茶の湯の美意識を継承し 軽妙な薄造りで 大胆な模様が 優美に見せている。 素朴な温かみのある色合い。 色は4種あり 手になじむ風合い。
  
 心地よい口当たりのため 薄く仕上げてある。 土は細かく コシがあるので 薄く作っても壊れないため 薄作りに適している。 成形は けろくろで 足で速さを調節。 側面をやさしく押さえ 美しいくびれを作る。 土を意のまま操る。 表面は ヘラで 滑らかに。
  
 口元のくびれが 飲み物の香りに影響を与える。 周りから新しい空気が入り 香りが まっすぐ立ち上がる。 使う人の感性を揺さぶる逸品。
  
 高取焼400年の歴史は 茶の湯が生んだものです。 千利休が始めた茶の湯のもてなし。
 小堀遠州が これを受け継ぎ 高取焼を ひいきにした。 特徴は 焼くと 釉薬が流れる”なだれ”。
  
 13代 高取八山は 7つの釉薬を使い 焼くと 異なる色に変化する技法を開発。
 釉薬を口のところにつけて すぐ流れないよう 回しながらつけ 口のところに釉薬の層を残す。 焼くと 釉薬が溶けて 流れる。
  
 リサーチャーの中山エミリが 茶室で お茶をいただきますが きょうは 暑かったのですがすがしい感じの”なだれ”の器を選んで いただきました。

 次に 15代 亀井味楽さんの釜を訪れます。 亀井さんは 雅に輝く七宝模様の器を作っています。 凛としていながら どこか軽やかな透かし彫りの器で 海外からも注目されています。
  
 お菓子用の器を作ります。 成形は 手ひねり。 丸い形に成形後 スポンジを押し当てて 四角い形にします。 手づくりの温かみを 大事にしています。
 透かし彫りは まずコンパスで ケガいて あたりをつけ 手製の先のとがったナイフ状の工具で 彫ります。 ためらいのないよう 差し込んで 一気に彫る。
  
 途中で 失敗すると アウト。 彫りは 15分ほどで 完成。 釉薬をかけて 焼くと完成です。 伝統に新しい風を 吹きこむ逸品です。 400年前の美意識は 今も生き続けています。
  
  
 亀井さんは お茶道具は 型に はまってしまっている。 作家のオリジナリティーで そこから高取焼の良さを 分かってもらう作品を作っていきたい・・。 

*https://blog.goo.ne.jp/1945ys4092/e/a18ace656411a4fc07c3d496aa1cca8e より

 「高取焼」

 福岡県朝倉郡東峰村、福岡市早良区高取などで継承されている陶器で、400年ほどの歴史を持つ県下有数の古窯。

 歴史
 高取焼は元々、福岡県直方市にある鷹取山の麓にて焼かれており、朝鮮出兵の際に黒田長政が陶工、八山(日本名・八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まり。開窯は1600年と言われている。窯場には永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼んでいる。

 江戸時代には黒田藩の御用窯として繁栄、元和年間には肥前国から唐津焼の陶工を招き、技術を向上させている。そして寛永年間に入ると、2代藩主・黒田忠之は小堀政一(遠州)と交流を深め、遠州好みの茶器を多く焼かせた。それが縁で、遠州七窯の一つに数えられ、茶陶産地として名を高めることとなった。この頃の中心は白旗山窯で、遠州好みの瀟洒な茶器は「遠州高取」と呼ばれた。

 その後、二代目の八蔵貞明が現在の東峰村に鼓窯を築き(小石原高取)、より繊細な作品が多く焼かれた。以後は、福岡の大鋸谷に移転(御庭高取)、18世紀には「東皿山」と「西皿山」に分けられ、細分化されていった。今日では数カ所の窯元が至る所に残っており、一度廃藩置県により廃窯した高取焼直系(高取焼宗家)の窯場にも11代目高取静山の手により再び火が灯り、現在も小堀遠州を流祖とした遠州茶道宗家のお家元から指導をうけ、一子相伝により伝統を受け継いでいる。

 特徴
 高取焼は時代によって、全く毛色が違っている。高取焼草創期の「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な織部好みの意匠で、ロクロによって成形された真円にヘラで歪みを加えており、今日の視点から見れば芸術性豊かで興趣をそそる志向があるが、その奥に隠された思想により御用窯廃絶の憂き目に遭遇する事になった。後の「遠州高取」になると器は端正になり、古高取とは対照的に瀟洒、風流人好みの作品が焼かれるようになった。「小石原高取」の頃になると技術は爛熟し、「遠州高取」より更に繊細な作風となっている。なお、小石原高取は民窯の小石原焼に多少の影響を与えている。今日の作風は小石原高取以後の技法で、使用する釉薬は多い。個性的な釉薬が多く、高取黄釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、ふらし釉、真黒釉などがある。

*Wikipedia より


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