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写真付きで家族の出来事・旅行・認知症等

名古屋城・伊勢神宮を訪ねる旅 NO 1

2014-06-04 21:19:01 | 日記

今年の春は「東日本大震災」の見舞いを兼ねて、東北方面への「旅」をと思っていたのですが・・・ 

「伊勢に行って無いから伊勢へ行きたい!・名古屋城に行って無いから・・・」などと言われ、そう言えば「名古屋」行って無いよな~!

丁度「記念誌」発行準備などで、多忙を極めていたので、「ひろでん中国新聞旅行」の知人に依頼しました。

日本旅行の「パックJR+鳥羽ホテルセット」の利用を手配して下さいました。(企画料500円を取られてしまいました)

今回は、男性3名 女性5名の8人で出かける事となりました。

『JRセット料(鳥羽胡蝶蘭)36,600円に、名古屋フラワーホテルシングル7,700円・ツイン5,850円と保険料300円・企画料500円で~す。』

旅のご紹介をします。

5月31日(土)

9:47分発(のぞみ124)→名古屋着12:11→名古屋フラワーホテルにチェックイン(荷物を置いて食事に・・・)

 

 名古屋駅に着きました「太閤通口」から出て・・・JRセントラルタワーを見て

 「名古屋フラワーホテル」どっちかな?・・・新幹線から一番近いホテルのはずだけど?

 地下街(小さなお店が沢山並んでいた・・・)行列の出来ているお店も沢山有ったけど・・・空いて居そうなお店に入って(本当は駅ビルでお店も探していたんだけど・・・高齢者ともなると・・・ウロウロするの苦手で

 三色盛(マグロ写真の色は悪いけど本当は綺麗で、おいしかったで~す。カツ丼は、味噌ダレがおいしかったで~す。きし麺味は良かった・・・でも、多くて最後までは食べられませんでした。モチロン完食した人も居ますけど・・・

 食事終わって、駅からタクシーで「名古屋城」へ、今回の参加者で足に自信の無い人が3人・・・

 

    タクシーに乗って・・・                            名古屋城に着くとまず、大きな鯱が出迎えてくれます。今回の参加者メンバーです。

名古屋城には「エレベーター」が有ったので、途中までは全員上がる事が出来ました。

 

   殆どの参加者が初めての「名古屋城」(モチロン私も・・・)                      階段を上るとこんな感じ・・・

 

天守閣から見た庭では「名古屋城サツキ大会」が・・・                                 名古屋市内も一望できて・・・

降りる時ユックリと、城内の展示品を見ながら降りました。(モチロンエレベーター等は利用しませんでした)

 

 天守閣を降り「本丸御殿」へ・・・最近「パソコン」の中に写真取り込んでもどうも調子悪くて・・・仕方ないので「ホームページ」を利用させて頂きます。

 本丸御殿の概要

かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていました。

勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。

戦後の復興にともない、1959年(昭和34年)に天守閣は再建されました。本丸御殿についても、江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。との事で、ただ今工事が行われて居ました。

 名古屋城本丸御殿の復元工事を行っています

 図面右手の玄関部分が出来上がっていました。

玄関 ここは出来上がって見学できました。

虎の間とも呼ばれた本丸御殿の正式な入り口です。藩主に謁見する者が控える場でもありました。
二室の襖・壁・障子の腰には金地に虎と豹が描かれています。なかでも一之間の襖の「竹林豹虎」や障子の腰貼付絵「三方正面眠り虎」はよく知られています。
虎は戦国時代後期の武将に勇猛さを表すとして尊ばれました。

復元イメージ図


玄関一之間・二之間内観

見取り図

玄関の見取り図

古写真


1車寄および玄関 南正面


2一之間 内部北面

襖絵・障子腰貼付絵


1竹林豹虎図(一之間東側襖絵)


2竹林豹虎図(二之間西側襖絵)

表書院

藩主と家臣などの正規の謁見に使用されました。
江戸時代には大広間と呼ばれ、上段之間から一之間・二之間・三之間・納戸之間にいたる広大な建築でした。
表書院の部屋は、主に花鳥画で飾られています。一之間は「桜花雉子」が、三之間は「麝香猫」が描かれるなど穏和な中に雅趣のある雰囲気が漂っています。

復元イメージ図


表書院(右手前)・対面所(左奥) 南より

見取り図

表書院の見取り図

古写真


1東南から見た表書院


2一之間北側襖と西側障子

襖絵


1松竹禽鳥図(上段之間南側襖絵)


2桜花雉子図(一之間東側襖絵)


3松楓禽鳥図(二之間西側襖絵)

 本丸御殿は、昨年5月23日から一般公開され「公開一周年記念祭」が、5月24日~6月1日までありました。 間に合った~

余りウロウロしなかったので・・・でも、本丸御殿の中は、新しい木の香りがとても良かったです。屏風絵も・・・モチロン本物では無いでしょうが・・・

今、工事中の所も見る事が出来たり、初めての「名古屋城」を堪能しました。

次は、計画では「徳川美術館」に行く予定にして居たのですが・・・「熱田神宮」へ行こう!で、速 変更も「ツアー旅行」で無い良い所・・・

タクシー利用で「熱田神宮」へ・・・

熱田神宮について ホームページより

神と人 千古の杜に仰ぎみる悠遠のとき

都会の中、深閑としずまる熱田神宮。古くより格別に尊いお宮として篤い崇敬を集めてきました。

神と人 千古の杜に仰ぎみる悠遠のとき

熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されております。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられております。

※延喜式:平安時代の法典。延喜5年(905)に編纂を始めたことからこの名があります。
※名神大社:古代より崇敬された全国の大社の内、延喜式神名帳に記載された大社を特にこう呼びます。
※勅祭社:勅使参向のもと祭礼を執り行う神社。全国で16社が列座しております。

由来

祭神 熱田大神(あつたのおおかみ) 相殿神(あいどのしん)  天照大神(あまてらすおおかみ)素盞嗚尊(すさのおのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 宮簀媛命(みやすひめのみこと) 建稲種命(たけいなだねのみこと)

ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。

天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。

御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父・景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ千九百年前になります。

 熱田神宮では「結婚式が執り行われて居ました。私達「旅行同好会」の旅では、旅先で「結婚式」に出会う事がおおいよね~!  

        結婚式遠くから参列?して・・・                                            旅行中の無事を祈願して・・・

 信長塀

名古屋駅までは、タクシーでは無く「名鉄名古屋本線」で帰る事にして(熱田神宮から直ぐだったので・・・)駅に着くと夕食までには時間が有り過ぎるので、集合場所決めて一応解散しました。

私は1人駅周辺をブラブラ・・・写真は「JR名古屋駅桜通口」

集合場所に帰ると、時間になってはいなかったが・・・皆さん揃って?いえ2人未だです。

携帯が鳴って「何処に行ったら良いか解らないので、迎えに来て!」「何処にいるの?」「近鉄タクシー乗り場」

エ~!タクシー乗り場に行っても見えない!散々探してヤット見つかったけど・・・ア~~疲れた!

皆が揃った所で、夕食は「高島屋」で・・・エレベーター降りてチョット豪華に?と思いきや、安い所に入っちゃいました。

「ビール」は缶ビールこれには少々ガッカリ!  迷子になったり色々有ったけど・・・無事に夜が迎えられました。