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『詩歌に見る大磯の景観』 落合直文
落合直文(文久元年~明治36年)。 歌人・国文学者。
佐佐木信綱らと短歌革新の緒を開く。
<意訳>
子どもたちと一緒になって、貝合わせなどして雨の日を
家の中で、一日中暮らしてしまったよ、大磯の里に来て
「詩歌に見る大磯の景観」は郷土資料館の
資料とイメージ写真を組み合わせてご紹介
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『詩歌に見る大磯の景観』 落合直文
落合直文(文久元年~明治36年)。 歌人・国文学者。
佐佐木信綱らと短歌革新の緒を開く。
<意訳>
子どもたちと一緒になって、貝合わせなどして雨の日を
家の中で、一日中暮らしてしまったよ、大磯の里に来て
「詩歌に見る大磯の景観」は郷土資料館の
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『詩歌に見る大磯の景観』 大塚楠緒子
大塚楠緒子(明治8年~明治43年)。 歌人・小説家。
歌は佐佐木信綱に師事。 東大教授大塚保治の妻で
若き日に夏目漱石から思慕された。 その死を哀切して
漱石は「有る程の菊投げ入れよ棺の中」と詠む
<意訳>
こよろぎの磯辺の小高い山の松のあたりに、冬の月が
冴えざえと輝いていて、うち寄せる波の音も寒ざむと
聞こえ、またそのように千鳥の鳴き声も聞こえてくる
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『詩歌に見る大磯の景観』 山縣有朋
山縣有朋(天保9年~大正11年)。 軍人・政治家・
歌人。 長州系官僚政治家として伊藤博文と並ぶ。
<意訳>
夕方の風や波の静止した凪の時、浜辺に出て小貝
などを拾ったあたり、今は潮が満ちてきて跡方もなく
なり、白砂の浜一帯は海面と変わったしまった
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『詩歌に見る大磯の景観』 伊藤梅子
伊藤梅子(寛永元年~大正13年)。 歌人。
明治の元勲・伊藤博文公の夫人。
<意訳>
大磯の某古寺に、今は古ぼけてはいるが若武者
姿の画像を残し置いたまま、富士の裾野で父の
仇工藤祐経を討ち、めでたく本懐を遂げ、我が身も
露と消えていったあの兄弟は、天晴な孝子であった
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『詩歌に見る大磯の景観』 佐佐木信綱
佐佐木信綱(明治5年~昭和38年)。 歌人・歌学者。
文化勲章受章者。 「心の華」は明治31年に発刊し
現代に続く近代短歌界最長の歌誌
<意訳>
その数を知り尽くせない、こよろぎの浜の小石にも、
それぞれに独自の色があり、独自の形のあることだ。
それだけにかけがいのない価値がある