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『波頭と虹』 照ヶ崎海岸で
台風12号が接近する中、照ヶ崎海岸でも
その影響で<高波>が押し寄せています。
波頭の飛沫が<虹>をつくってくれました
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『波頭と虹』 照ヶ崎海岸で
台風12号が接近する中、照ヶ崎海岸でも
その影響で<高波>が押し寄せています。
波頭の飛沫が<虹>をつくってくれました
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『トンボ飛ぶ』 夏の終り
今日で<夏休み>も終り。 海岸では小学生が
貝殻集めを、 その上を<赤トンボ>が飛び回って
いました。
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『グリーンベルトで』 アスター
西小磯・グリーンベルトの”S園芸”。 出荷前の
アスターを撮らせていただきました。
アスター(蝦夷菊)、蝦夷菊という別名もありますが、
北海道産でなく、中国北部原産で江戸時代に渡来
したそうです。 花言葉: 多様性 追憶
蝦夷菊に 日向ながらの 雨涼し
鳴雪
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『大磯の神社』 御嶽神社
御嶽神社(台町)。 伝説によると、唐ヶ浜(大磯海岸)から
お上がりになった千手観音さんは、鴫立沢を小舟でさかのぼって、
御嶽さんに奉安しようとしたが、事情があって、高来山にお上がり
になったと伝えられる。 その時に仮のお宿をしたのが、御嶽神社
の麓に住まいしていた当時の宮代屋であったといわれている。
<高橋光著「ふるさと大磯」より>
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『海を越えて』 あれから60年
1951年8月31日。 吉田茂首相ら講和条約全権団
49人がサンフランシスコへ向けて羽田空港を出発。
翌月、9月7日吉田茂主席全権により、条約を受諾する
演説が日本語でなされた。 英語の演説原稿を直前に
巻紙に書いた日本語に差し替えた。 巻紙の全長は
約30m。
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『高波から』 脱出
台風12号の影響でしょうか、昨日も岩礁には
高波が。 アオバトたちも5羽以上が犠牲に。
それでも、アオバトの群れが切れることなく
降り立てる岩場を探すように旋回していました
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『頭を雲の上に』 山頂には
富士山頂を目指す<アオバトたち?>。 1895年
(明治29)の今日8月30日。 富士山頂に野中
測候所が開設されました。 大日本気象会の
野中至氏が私財を投じて建設したもので、現在の
気象庁富士山測候所の前身となりました
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『グリーンベルトで』 ポーチュラカ
西小磯・グリーンベルト内にある”S園芸”。 今の
時期は花の種類が少ないそうです。 ポーチュラカ、
大輪は花だけ見るとマツバボタンのように見えますが
葉が異なります。 昔は爪切り草と呼ばれたそうです。
花言葉: いつも元気
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『大磯の神社』 秋葉神社
北本町・秋葉神社。 宝暦12年(1762)1月19日
大磯宿に大火があり宿場の殆どを焼失した。 同13年
大運寺境内に秋葉社を建立、宿場の安全を祈願した。
明治5年(1872)神仏分離令により、秋葉神社と改称、
大正7年(1918)現在地に移る。 ご祭神は
<火之か具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)>で
火防の神です。
<「神社資料」より>
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『相模湾の夏』 1945年
今は、海上自衛隊機が訓練区域として相模湾上空。
1945年8月30日の今日、相模湾上空から厚木
飛行場(旧日本軍基地)に降り立った<マッカーサー
元帥>。 専用機「バターン号」から姿を現した元帥
はサングラスをかけ、コーンパイプを咥えていました。
これから、GHQによる<日本統治>が1952年(昭和
27)4月28日、吉田茂首相を主席全権とする全権団
が<サンフランシスコ講和条約>を締結するまで続き
ます。