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『詩歌に見る大磯の景観』 本居大平
本居大平(1756年~1833年)。 国学者本居宣長
の弟子で、のちには養子となる。 その家督を継ぎ
紀州侯に仕えた。
<意訳>
相模路のよろぎの磯辺に寄せている波が、寄せて沖に
立ちかえるように、いつの日に国に帰ることができようか、
故里の空がなつかしいことよ。
『詩歌に見る大磯の景観』は、郷土資料館の資料と
イメージ写真を組み合わせてご紹介します
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『詩歌に見る大磯の景観』 本居大平
本居大平(1756年~1833年)。 国学者本居宣長
の弟子で、のちには養子となる。 その家督を継ぎ
紀州侯に仕えた。
<意訳>
相模路のよろぎの磯辺に寄せている波が、寄せて沖に
立ちかえるように、いつの日に国に帰ることができようか、
故里の空がなつかしいことよ。
『詩歌に見る大磯の景観』は、郷土資料館の資料と
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『詩歌に見る大磯の景観』 滝沢馬琴
滝沢馬琴(1767年~1848年)。 江戸後期の小説家
で、特に読本に長じ「南総里見八犬伝」は28年かかった
大作。
<意訳>
大磯という所はねえ、曽我兄弟の仇討ちのおり、兄十郎の
愛人虎御前が、愛人の死を悼んで泣いた涙が雨となって
降るという、その五月にここを通り、西行が「 ・ ・ ・ 鴫立つ澤
の秋の夕暮」と詠んだ秋の頃に、帰ることだよ
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『詩歌に見る大磯の景観』 橘千蔭
橘千蔭(1735年~1808年)。 歌人で書家。
父のあとを継いで江戸町与力を務める。
<意訳>
こよろぎの辺りは、磯に寄せる波間を分けて沖から、
早々にもう秋がやって来ているらしいよ、なぜなら海
の上を渡ってくる風が涼しいので
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『詩歌に見る大磯の景観』 賀茂真淵
賀茂真淵(1697年~1769年)。 国学者で歌人。
国学では万葉研究を、著述に「万葉考」がある。
門人には本居宣長らがいる。
<意訳>
曲折の多いしかも険しく荒々しい箱根路をうち越えて
来ると、眼下に相模の海が視界遥かに展開し、こよろぎの
浜辺には白波の寄せているのが見える。 何と晴れ晴れ
しい眺めよ
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『詩歌に見る大磯の景観』 正岡子規
正岡子規(慶応三年~明治三十五年)。 俳人・歌人・
評論家。 愛媛松山に生まれ東大中退後日本新聞社
に入社。 根岸派(のち「アララギ派」)を興す。
<意訳>
相模の海の、大磯の磯辺に打ち寄せる満ち潮のあたりに、
赤い色の裳をぬらして、嬉々として女の子達が楽しそう
に遊んでいる