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『北浜海岸で』 高波の洗礼
アオナビくん(勝手に命名)が大磯港・西防波堤
に据え付けられて約一ヶ月。 時折、アオナビくん
の頭まで被る高波が押し寄せていました。
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『北浜海岸で』 高波の洗礼
アオナビくん(勝手に命名)が大磯港・西防波堤
に据え付けられて約一ヶ月。 時折、アオナビくん
の頭まで被る高波が押し寄せていました。
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『北浜海岸で』 空中遊泳
モーターパラグライダーが<鯉のぼりセット>を
曳いて飛び上がり、 地上では<カイト>で遊ぶ
グループが。 「鯉のぼりとカイトの空中遊泳」
となりました
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『北浜海岸で』 人間灯台
デザイン灯台の<アオナビくん(勝手に命名)>と
サーファーを合わせて撮るため波打ち際まで
近づきました。 一人のサーファーが高波を
つかまえボードに乗ったとたんスピンして舞い上がり
ました
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『北浜海岸で』 ドックラン
朝、北浜海岸では何組かの愛犬家が集まります。
犬たちは投げられたボールやフリスビーなどを
追いかけて走り回ります。
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『北浜海岸で』 町の花
<町の花 ハマヒルガオ>が北浜海岸の群生地
で咲き始めました。 群生地も砂浜の整備で
三分の一ぐらいになってしまいましたが、これから
暫く楽しめそうです
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『照ヶ崎海岸で』 海の色は
「海の色は日ざしで変わる」 高田保の墓誌に刻まれて
います。 照ヶ崎海岸から眺める海は三色から四色にも。
荒れる海には<海鳥: ウミネコ、カモメ>が飛び回って
いました。
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『東町さんぽ』 カトリック教会で
自宅傍の大磯カトリック教会は、大正13年に<旧
小林喜一別荘>として建てられました。 テニス
コートも有する広い敷地です。 礼拝堂の入り口
にはマリア像が立ち、足元に咲いているツツジを
優しく見つめているようです
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『町角の草花』 アイリス
旧粕谷街道沿いの空き地にアイリスが咲いていました。
アイリス。 アヤメ科イリス属の総称。 イリスはギリシャ語
で虹を意味し、虹のように美しい花からつけられた。
花言葉: 「恋のメッセージ」
「私はあなたを愛します」
「雄弁」
「恋のメッセージ」は虹の女神イリスが天上と
地上を結ぶ役割を担ったことから生まれた
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『「大磯の文化財」』 迎接院
寺坂・迎接院。 木造阿弥陀如来坐像。
迎接院の本尊で寄木造。 像高122.5cm。 引き締まった
頬と、しっかりとした目鼻立ち、バランスのとれた体躯など、鎌倉
時代の作風を思わせる優作です。 胎内には、寛文13年
(1673) 天和2年(1682)、元禄4年(1691)の古文書が
納入されています。 大きさのある本格的な近世仏として、
貴重な存在です。
<「大磯町教育委員会」資料より>
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『今日は何の日』 安田靫彦
安田靫彦。 1884年(明治17)2月16日~1978年
(昭和53)4月29日。 日本画家。 大磯町名誉町民。
文化勲章受賞。
***
安田先生が、大磯に最初に来られたのは十歳のときで明治
26年のことだという。 来住されたのは大正三年、今の
国よしの駐車場のところだ。 そこで初期の名作、御産の
祷りを描いている。 この頃大観、観山、紫紅、未醍等の
東海道合作旅行を東小磯の松原まで送り、「丈夫な人は
いいなあ・ ・ ・ ・と思ったが、弱い私は残った」と述懐され
ていた。
<重田哲三著「阿波多羅」より>
(写真は、北本町・大運寺に眠る安田靫彦氏の墓)