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『大磯の』 小路
「・ ・ ・、大磯の路は、歩くこと自体が美しくなるような、ワクワク感
にあふれている。 松林と潮騒、屋敷林、そして生垣 ・ ・ ・ 。
別荘跡の小路を歩けば、樹齢を重ねた松の樹幹から木漏れ日が
舞い落ち、 ・ ・ ・」 <廣川順平著「大磯の小路を歩く」より>
写真は、旧林董邸と旧尾張徳川家別荘跡の間の小路
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『歪み』 レトロ感
台町・旧島崎藤村邸。 明治後期から大正時代にかけて
作られた板ガラスは、今のガラスのように均一な厚みを保て
なかった。 その歪みが今となってはレトロな感じで人気が
あります
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『家紋』 エピソード
徳川四天王の一人本多忠勝の家紋は<立葵>。 その
<立葵の家紋>をみた家康が、それを真似て作ったのが
「三つ葉葵」の家紋というエピソードが伝えられています。
写真の<立葵>はグリーンベルトで。
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『ここは』 何処
「ここは、何処」。 南国の雰囲気ですが ・ ・ ・。 「山縣公は、
明治20年頃現在の大磯中学校の敷地の中に一万八千坪の別荘
を建てて、小淘綾が浜にちなんで、小淘庵と名づけた。
谷を渡り山また山をこゆるぎの
磯の松原 ここよりもみゆ
(明治35年作) 」
<「ふるさと大磯」より>
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『今日は』 大隈重信
1898年(明治31)のこの日、大隈重信が第8代内閣総理大臣に
就任し、第一次大隈重信内閣が発足。 日本初の政党内閣が誕生。
「天下の大磯へと、明治の中頃政界の巨頭の別荘が海浜の松林の
中に林立した。 現在の大磯中学校敷地一帯に山縣有朋公が、
その西側の丘に大隈重信公が明治30年5月3日に土地を求め34年
6月11日古河市兵衛に譲られるまで大磯に住まわれた」
写真は、現在の「古河電工大磯荘」。 <「ふるさと大磯」より>