かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年6月23日大阪―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-03 06:35:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年6月23日(水)グランキューブ大阪
当日、東京から大阪に向かいました。新大阪駅ホームではまた立ち食いうどんを食べました。大阪に行くたびに毎度お楽しみです。大阪だと宿泊は、大阪駅に近い、大東洋というカプセルホテルが圧倒的に多く、きわめてまれに、なんばのカプセルホテル。今度はどこにしようか迷っていました。決まらず、時間も経過してきたので、とりあえず駅のコインロッカーに荷物を預け、グランキューブ大阪に行くことにしました。
 大阪というと、工藤静香さんのコンサートで大阪厚生年金会館と大阪フェスティバルホールに何度も行き、大阪城ホールとファンクラブライブ(倉木さんでいうファンクラブイベント)で茶屋町アプローズにそれぞれ1回ずつ行っています。倉木麻衣さんでも、前年2003年10月28日にMai&Experienceのライブで1度来ています。麻衣さんのバースデーのときで僕にとっては忘れられない、最高の思い出のライブでした。
 今回のグランキューブ大阪というところは、初めてで良く知らないところでした。地図で確認すると、大阪フェスティバルホールのある肥後橋から歩いた方が、僕には土地勘が多少あるようなので、地下鉄で、肥後橋まで行き、川沿いに歩きました。時間には余裕があったのですが、つきまといなど警戒し、会場の反対側の川向こうの福島区の公園に行き、隅っこに座っていました。近くには独特の形状をした建物がありました。
 僕は倉木さんが当時大阪に住んでいるかもしれないと思っていたので、この近所に住んでいるのかなぁと考えたりしていました。最近になって京都に住んでいることがわかりました。
 僕は叔父叔母いとこが奈良に住んでいて、幼稚園のときそこで少し生活したことがあります。大阪万博の年です。大分の杵築駅から寝台列車に乗って祖母と僕は二人で大阪に向かいました。物心ついてから初めてみる夜行列車の車窓から遠くに見える色鮮やかなネオンサインの明かりが印象的でした。
 大阪駅に着くと叔父の車で奈良に向かったのですが、日の出の大きな太陽を見るのは初めてで、僕はアドバルーンだと言って、笑われてしまいました。奈良から大分に戻ったときの様子があまり思い出せません。奈良にいたとのことは楽しい思い出です。遊びの様子など意外によく覚えています。
 コンサートで大阪にはじめてきたのは、やはり1990年で大阪厚生年金会館の2日間公演のうちの1日だけ。たぶん1日目だと思う。当時の大阪厚生年金会館は、ステージ中央部が客席に張り出し、席とステージが遠く感じました。2日目は、仕事でいけなかった。
 ただ、僕は1989年の秋にファンになり、その年の秋のツアーで東京の2公演行きました。この1990年のコンサートが2回目のツアーで、このころはまだ、有給休暇をとってまでコンサートに行こうと思っていなかった。休日や宿直勤務(当時の16勤)明けでコンサートに行けるときだけ行こうという考え。
 それも最初のうちはたくさんコンサートに行く予定はなく、全部でツアーの半分参加したのですが、後半の静岡以降集中的連続してにコンサートに行きました。行けば行くほどコンサートのことが気になり、ちょっとコンサート中毒になっていました。この点については、倉木麻衣さんもよく似ています。
 倉木さんの場合も、2002年にLoving You...ツアーで横浜2公演行きました。2002年秋から2003年夏にかけて8ヶ月間の長いライブがあり、僕はそのときも有給休暇を取ってまで、ライブに行くことはない、休日や宿直勤務(新夜勤)明けだけで、ライブにいこうと最初は考えていました。最初のうちはライブに行かず、パソコン教室に通ったり、映画を頻繁に観たりしていました。
 職場の嫌がらせの関係で土日曜の外出に苦労し、その年の神奈川県民などは観ようと思えば観られたのに観損ねました。2003年春のライブで最初にいったのは、NHKホール2日目で、行きはじめるとライブが楽しくて楽しくて気になって仕方なくなり、やはり後半は集中的に連続してライブに行きました。この点では工藤静香ファン時代と倉木麻衣ファンになってからの僕の気持ちは実は凄くよく似ていました。
 2002年から2003年にかけての倉木麻衣さんのライブに前半あまり参加していないことに対して、とやかく批判的なことをいう人間もいますが、それについては工藤ファン時代も同じです。工藤ファン時代はとやかく言われなかったけれど、倉木ファンのときはかなりとやかく言われているようで、僕以上に他の人間の対応の違いに大きな疑問を感じます。
 最初からライブ・コンサートにたくさん行くつもりではないのに、行けば行くほど楽しくてますます行きたくなる。なかなかそんな心理が理解されないというのは僕は不思議であると同時に、周囲の人間との人間関係を良好に保つのは難しいと感じていました。
 大阪は、常連のファンもたくさん来ていて独特の楽しさもあり、工藤ファン時代は凄く楽しみました。ファンクラブのイベントが茶屋町アプローズというところで行われたのですが、楽しかった。その翌日東京に戻るとき、おなじみTさんから泥棒に入られたという話を聞かされ、珍しく、Tさんは追っかけをやらず、先に東京に戻りました。その事件については、このブログの「過去に巻き込まれた事件」で説明してあります。そのときからTさんとの付き合いは徐々に減っていき、森高さんのコンサートでは再会しましたが、今では没交渉になっています。
 Tさんはその後他のファンの話によれば安室奈美恵さんのライブで見かけたといっていたので元気で他のアーティストのライブ・コンサートに行っているのでしょう。
 僕の失敗ネタを一つ。1991年だったと思うけれどはっきりしない。工藤静香さんのライブ、大阪で急に追加公演決定。僕は宿直勤務明けで大阪に向かい、会場の大阪厚生年金会館に向かう。会場に着くと変だと思った。会場の前の公園ががら~んとしていて、人がいない。おかしいと思った。いつもなら、開演よりかなり前から、ファンが来ているはずだと思い、なかで確認したら、2日後だった。ただ大阪と東京を往復しただけになった。残念なので、新大阪駅のレストランで、うな重を食べた。
 大阪城ホールで工藤静香さんがコンサートをやったとき、僕は最前列でした。ただ、ステージがとても高く、あまり美味しい最前列ではありませんでした。席のせいか音も悪く、がっかりしたことがありました。その年、競馬では、ナリタブライアンという強い馬がいて、コンサートの日は三冠のかかった菊花賞の前日で、大阪梅田の場外に寄りました。ちょうど京都競馬場の改修工事が終わり、久しぶりの京都開催、翌日は菊花賞ということで、僕は馬連10万馬券が出ると予想していました。
 10レースの前あたりに場外についたのですが、とにかく清水ステークスというレースが怪しいので、10万円以上配当のつく組み合わせを、全部100円ずつ買ってやろうと思いました。ところが、馬連で100円単位という窓口が見つからず、買い損ねてしまいました。
 あとで確認すると、ウインズ梅田には、単複100円単位の窓口はあったけれど、連複100円の窓口はなかったらしい。結果は、ご自分で調べてくださいな。当時電話投票権を持っていたなら・・・と思いました。ウインズ梅田の場外のところのおでんやさんは、おいしそうでした。
 大阪にはいろいろな思い出がありますね。倉木麻衣さんのライブでは、前年2003年にMai&Experienceのライブ、これは倉木麻衣さんのバースデーライブだったのですが、はっきり行って僕にとっての、倉木麻衣ベストライブです。
 それまでも僕は倉木麻衣さんのことは凄く好きだった。だけどこのころから僕の麻衣さんを愛する気持ちは急速に高まっていった。書籍、インターネットの情報、などで倉木麻衣さんについて調べると奇妙な符牒というか、僕と麻衣さんの間に共通点が多く、僕のすべてを麻衣さんが知っているような、運命的なつながりがあるようで、ものすごくうろたえました。
 麻衣さんは僕の異母妹、異父妹じゃないか、麻衣さんの親友は実は僕じゃないか、麻衣さんは僕の知らない間に生まれた僕の娘じゃないか、いろいろな妄想に浸りました。とにかく普通の女性では考えられないほどに、僕と麻衣さんの間には奇妙な共通点が多かったのです。
 そして麻衣さんのバースデーライブ、麻衣さんの心に触れて、麻衣さんの心がうれしくて、感動して、ライブの最中僕はずっと泣いてばかりいました。僕の麻衣さんを愛する心はこのとき爆発しました。すっかり麻衣さんが大好きになりました。
 もちろん今でも僕が一番好きな女性は倉木麻衣さんです。
 そのとき以来の大阪のライブ、8ヶ月ぶりのライブでしたが、関西地区のライブは、だいたい大阪に宿泊し、大阪を中心に行動しているので懐かしいという気持ちはありません。
 時間を見て、開場時間になってから、会場に行きました。チケットは2枚持っていて、両方オークションでとったもの、一枚とっていたのに勘違いしてもう一枚とってしまった。一枚は1階席後方、もう一枚は2階席最前列。僕は以前工藤静香さんのNHKホールのコンサートで2階最前列の端のほうで観たことがある。でもそのことを忘れていて、一度ライブを2階最前列で観たいと思い、そちらにしました。
 考えてみると、2004年の倉木麻衣さんのライブは、関西地区では、尼崎が2階最後列、大津が3階最後列、京都が2階後方端後ろより、神戸が3階最後列立ち見一番端、今日大阪が2階席最前列、明日の大阪が2階席後方。全部2階3階になってしまった。でも、神戸や大津、尼崎など楽しかったよ。ライブは凄くよかった。
 ただ、この大阪のライブは、九州ライブツアー後半の気持ちの沈みをそのまま引きずり、正直なところライブを楽しむ気になれない。ずっと座ってライブを観ていました。形だけ参加という状態。地元大阪ということもあり、ライブは盛り上がり、麻衣さんも楽しんだのかもしれないけれど、僕の心は沈んだまま。
 悪いやつばかり喜び、多くの人間が悪いやつを支持し、僕は孤立する。多くの人間は僕について嘘ばかりつく。便乗する人間もいる。親など、身内の人間ですら、その状況につけ込み自分の信仰や考えを押し付けようとする。事実関係を無視し、理由にもならない理由で、多くの人間が僕を一方的に悪者にする。
 僕があえて悪者になっても問題は解決しない。みんな表面的な語呂合わせ、サイン読みのようなくだらないことを頼りに判断するが、その表面下はかなり複雑になっている。誰も考えようとしない。他人の厳しい状況につけ込んで、自分の利益にしようとする行為はますます問題を悪化させ、解決を困難にするのに、誰も、つけ込む行為を止めようとしない。政治家、マスコミ、
日本郵政公社、一般市民などで苦しむ人間がいるのなら、それは自業自得。
 僕に関する事実を認めて困る人間がいるとすれば、悪い人間だけだろう。僕の言っていることを本当だと認めて、困る人間は、他人につけ込んで利益を得ようとする悪党だけだ。あるいは僕を利用して自分の問題行為、不正行為を正当化する悪党だけだ。
 だけど、これだけややこしい状況で、麻衣さんに僕を信じてもらうのはやはり、難しいだろう。絶望的になってくる。結局、僕は大阪1日目のライブを全然楽しめなかった。
ライブが終了し、会場から見る夜景はきれいでした。会場を出るとリーガロワイヤルホテルの横を通り、真直ぐ肥後橋まで行き、そこから歩いて、梅田へ。途中の飲食店を見ると、おいしそうなメニューがあり、大阪ではこれが楽しみですね。大阪はとにかく食べ物がうまい。一工夫ある食べ物の、その一工夫がうれしい。
 でも大阪人は別にデブが多いというわけでもなく、よくうまいものばかり食って、太らないね。僕が大阪に住んだら、うまい店を食べ歩きたい。もっと太りそうな気がする。
 でも、結局カプセルホテル大東洋の近所の定食屋で食事。でもうまい。気持ちが沈んでいても、美味しいものを食べるときは幸せ気分。たくさん食べてまた太る。なんだかそれくらいしか楽しみがなくなりそう。酷い世の中だね。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 19thシングルで19連続記... | トップ | 僕は浜崎あゆみが好きじゃな... »
最新の画像もっと見る

2007年までのライブの思い出」カテゴリの最新記事