金比羅さんについて調べようとした矢先に、
このニュースです。
神社本庁激震!“こんぴらさん”が離脱、「本庁は天皇陛下に不敬極まる」
昨年の天皇陛下の即位に伴う大嘗祭当日祭にお供えする臨時の神社本庁幣帛(へいはく)料が、金刀比羅宮に届けられなかった
のが原因のひとつとか。
大嘗祭のことは、昨年のその時はあまり関心がなかったのですが、
大嘗祭で使う「アラタエ」を作る阿波忌部氏のことを
知ってからは、大嘗祭のことをもっと調べたいと思っていました。
神の衣「アラタエ」は大嘗祭の儀式で重要なアイテムで、
それについてはまた詳しく書きたいと思いますが、
とにかく、その重要なアイテムの担当が阿波の忌部氏。
「アラタエ」は「大麻」で作られますが、
阿波忌部氏の住む里は阿波国麻殖郡。
讃岐にも忌部氏はいて、
どうやら阿波忌部氏が西讃岐を開発したみたいです。
讃岐には「大麻山」という山もあります。
この話は、昨日の
「弘法大師と邪馬台国の金比羅さん」
という本の内容とも関わってきます。
讃岐忌部氏のことを調べてみます。
お久しぶりです。
4月30日に水主神社に行きました。
以前、一宮寺の記事で触れた、倭迹迹日百襲姫命 がご祭神の神社です。
水主神社はこんなところにあります。
奈良時代には創建されていたようです。
倭迹迹日百襲姫命 は、卑弥呼ではないか、と言われている方ですが、
この立て札を見る限り、そうではないようです。
もっと詳しいことを知りたいと思ったので、図書館で本を借りたり、
家にある香川県に関する本を調べてみました。
あ伽谷の水(?)
大杉 県の保存木。
裏から撮った写真ですが、
本殿、脇殿、末社の全てが春日造りで統一されているそうです。
927年には「延喜式」に載せられ、官社となった。
国衙との関係が強かったことから、与田郷・入野郷の
一部を分けて社領に寄進された。
神仏習合が始まると神宮寺(別当寺)が生まれたが、最初の神宮寺が与田寺だった。
倭迹迹日百襲姫命 ・倭国香姫命(百襲姫命の母)・大倭根子彦太に命(百襲姫命の父孝霊天皇)をかたどった3躯の木造御神像(国重文)がある。 平安時代
この後、姫は田村神社へと向かったらしいです。
昨日、一宮寺の記事でさらっと紹介した
一宮御陵。
孝霊天皇は、第7代天皇で、
百襲姫命と五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと)は
孝霊天皇の子供で、
百襲姫命は卑弥呼だとも臺與(とよ)だとも言われているお方です。
そして、五十狭芹彦命 は、吉備津彦命なのだそうです。
これらの方が、ご祭神とは、田村神社って、すごいですね。
田村神社のHPにご祭神を紹介した記事がありました。
猿田彦も吉備津彦も気になる所ですが、
今日は、百襲姫命について、調べました。
何しろ、卑弥呼様ですよ。 なぜ、香川に?!
すごい記事を見つけました。
日本書紀に記された大和三輪山の大物主との神婚説話 で有名で、
箸墓古墳の主と言われている倭迹迹日百襲姫 が、
女王卑弥呼の死後、争乱を避けて、水主神社にいらしたという
伝説があるのですね。
このお話が本当だとすると、百襲姫は卑弥呼ではなくて、臺與(とよ)
かも? と考えることもできますね。
それにしても、こんなすごい伝説があるなんて。
讃岐の歴史、まだまだ面白いことがたくさん掘り出せそうですね。