さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

讃岐の卑弥呼様と倭の国

2020-06-16 22:41:32 | 日本史
昨日に引き続き、「艪掛神社」で検索してみたら、
こういうサイトに行き当たりました。


卑弥呼が讃岐に来たいきさつから、讃岐での働きぶり、
桃太郎と言われた兄たちとの鬼退治、
そして、三輪山の神、大物主と結婚して倭国統一。

そんなお話が一気に読めます。
このサイトのトップに行けば、
更に、古代史の謎が解けるかもしれません。


すごいなー、よく調べてるなあ。
そして、よく書いてるなあ。

尊敬します。

図書館から10冊も本借りてきてるけど、
こっち読む方が面白そうです。






「麒麟がくる」 細川氏と讃岐の国

2020-02-27 22:48:08 | 日本史
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第6回(1548年)冒頭から出てくる

細川晴元 は、細川京兆家の人、



讃岐の守護を務めた細川頼之、勝元の一族です。

1362年頃 細川頼之、讃岐の守護となる。
1367年頃 頼之、上京して管領に任じられる。(~1379) 将軍義満
1507年  細川政元の死(この時まで細川管領の讃岐守護支配続く)

頼之~政元は代々管領に任じられたので、京都にいて、
讃岐の国の実際の経営は代官に任せていました。

1493年頃には
当時13郡あった讃岐国のうち
6郡は香川氏が
7郡と小豆島は安富氏が領知していました。

永正4年(1507)
京兆家の相続争いで、当主政元が山城守護代香西元長に殺される。
香西党が、三好之長(阿波)らに討たれて滅亡。
 三好氏は阿波守護家出身の澄元を擁し、細川高国も応援した

これ以降、讃岐国人の京都での勢力は衰え、代わって、阿波国人の勢力が
伸張する。
京兆家は澄元が継いだが、周防の大内義興と結んだ高国が澄元を追い、
次いで管領となった。

澄元は阿波を根拠として京都の高国と争うが、ついに管領の職を
取り戻せなかった。

高国側
 大内義興・香西・寒川・安富・香川
澄元側
 三好氏・山田郡植田一族

三好之長の孫元長の末子之虎は植田氏の一族十河家を継ぎ、
居城十河城は三好氏の讃岐進出の拠点となった。

澄元の子晴元は阿波にいたが、1527年、三好元長に擁されて
堺へ出て高国と争い、1531年、摂津天王寺で高国敗死。
この間、香西・寒川・安富・香川などの諸氏は晴元麾下の讃岐衆として
合戦に参加しており、高国から離反していた。

1532年、晴元は堺において、本願寺に三好元長を討たせたため、
この子長慶と対立、
1549年、晴元は京都を追われ、京兆家は滅亡する。



まさか、大河ドラマと讃岐・阿波がこんなに結びつくとは思いもしませんでした。
戦国時代って、戦いに明け暮れていたので、讃岐の歴史の本を読んでも
なかなか理解できなかったのですが、
今回のドラマを見て、少し流れがわかりました。

しかし、今回の大河ドラマ、歴史オタクでないと、ついていけないのでは?




古事記と日本書紀

2020-01-20 22:24:35 | 日本史
「古事記」と「日本書紀」の現代語訳を無料で読めるサイトを見つけました。


歴史のお勉強はここからです。

蝦夷関連記事



日本武尊によって、熱田神宮に献上された蝦夷はそこで、大騒ぎして、
三輪山に移されます。が、そこでも騒動を起こし、
播磨(ハリマ=兵庫県)・讃岐(サヌキ=香川県)・伊予(イヨ=愛媛県)・安芸(アキ=広島県)・阿波(アワ=徳島県) 
に移動させられます。
そして、佐伯氏と名乗るようになります。

讃岐の佐伯氏は国造となり、空海の父方の家系です。

このブログの方は、佐伯氏を「土木技術」「建築技術」の集団だったのではないか? 
と言っていますが、
佐伯氏は軍事的な役割を担っていたのではないかと、私は思います。

だから、空海は山にこもって修行したんじゃないかと思うんです。

四国の遍地を歩いたのも、測量のためだったんじゃないか、と。
昔は常に戦いの日々でしたから、自分の住む地域の地形を知ることは
為政者にとって、一番必要なことだったのではないかと思うのですよ。

まあ、なんの根拠もない推測ですけど。


知られざる縄文ライフ

2019-12-08 22:55:00 | 日本史
いろいろな本を読み、
ググってみたり、
YouTubeを見たりするうちに、
ここ数十年で歴史解釈が変わった事や
とにかく古代から歴史の勉強を
やり直す必要を感じてしまいまして。




借りてきました。
2017年発行ですから、
新しいですよね。

縄文時代って、今から約1万5000年から2400年前まで続いたと考えられているそうです。

以下、本からわかったことです。


20万年前、 ホモ・サピエンスはアフリカ大陸で誕生した。
6万年前、  アフリカを旅立ち、新世界を目指す。
4万年前、 日本にホモ・サピエンスが現れる。


日本のハプログループ
N9b(北方系) M7a(南方系)

縄文海進

髪に櫛を挿したり、頭の上で結ったり
耳飾りなどしておしゃれしていた。

顔に入れ墨をしていた。
成人儀礼に抜歯していた。

竪穴住居に住んでいた。

イヌを飼っていた。

黒曜石、サヌカイト、翡翠などが広範囲で交換されていた。

編布編みで服をつくった。

丸木船で移動した。(千葉県市川市雷下遺跡から7500年前
のものが見つかっている。)

青森県青森市の三内丸山遺跡周辺には栗だけの森があった。
大豆や小豆も栽培していた。

縄文式土器や土偶が芸術的!

今から約7200年前、縄文時代早期の頃、鹿児島県沖にある鬼界カルデラ
で大噴火が起こりました。
南九州の豊かな森は火砕流によって焼かれ、日本最古の定住跡
といわれる鹿児島県上野原台地に居を構えていた縄文人たちの
暮らしは壊滅状態になったと考えられています。
九州だけでなく、関西地方でも数十cmの灰が降り積もり、
西日本のほとんどが灰に覆われてしまいました。
森から動物が消え、木の実は採れなくなり、
人々は東へ移動したことでしょう。
こうして灰に覆われた西日本の縄文時代は
いったん静かな眠りについたのです。(えええー!😨 )


縄文時代のこと、さらりとですが、わかりました。
これでようやく、渡来人を迎えられます😅