さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

微雲窟自性院常楽寺

2019-08-29 22:13:00 | 活動報告
お久しぶりです。
お盆の間、夏バテと風邪で臥せっていました。いや、仕事はしていたんですが。
「お遍路つかさの会」に入って、張り切りすぎていました。今、ちょっと、何というか、「三歩進んで二歩下がった」感じです。
 仕事も家庭もあります。ゴールのない歴史のお勉強、焦らず、のんびり、コツコツとやることにしました。

で、お勉強再開の第一歩はこちら。



志度寺の山門に向かって、右側にあるお寺、自性院さんのご住職様は、

真言宗善通寺派管長
総本山善通寺法主
樫原禅澄さんです。

そんな偉い人のお話を、日曜日の夜、ふらっと、聞きに行けるなんて、
志度って、すごいですねえ。

御本尊は不動明王だそうですが、
本堂の真ん中に祀ってあるのは、人形(ひとがた)の像だったので、「誰かな?」
と思ったのですが、
弘法大師
だったみたいです。
本堂の場所が、元は志度寺の御影堂(みえどう・弘法大師をまつる)の跡とも伝えられているからだそうです。

境内には、平賀源内のお墓もあります。

さて、お寺でありがたいお話を聞きながら、
改めて、
「仏教って、良く生きるための方便を教えてくれるもの」
という思いを強くしました。

で、この一文を書いてから、「方便」の意味を確認したら、
なんと!
まさに「方便」、仏教用語でありました。

本当に、日本人と仏教って、すごく密接につながっているんですね。

まだ法律が整っていなかった時代、例えば、大化改新の頃、中大兄皇子と鎌足は、政治改革のため(?)政敵を次々と殺し、その後、天皇家にツタのように絡まった藤原家は、権力を握り続けるために陰謀の限りを尽くします。
また、その時代は、父親が同じでも母親が違えば結婚できるという、とても小中学校の教科書には書けないような男女関係がまかり通る時代でもありました。

そんな、今の時代から見れば、倫理も正義も道徳ももうメチャメチャな時代から、日本人は、仏教と共に進化しながら今の倫理観を構築してきたのかな、と思うのです。

だから今、仏教の勉強をするのって、宗教として、と言うより「自分がよりよく生きるため、あるいは楽になるため」に仏教のことを知りたい、という感じでしょうか。

まさに、「悟りを開く」?












施餓鬼会

2019-08-09 22:28:00 | 地蔵寺
昨日は地蔵寺の施餓鬼会に行きました。





施餓鬼会については下のサイトに詳しく載っていました。
餓鬼だけでなく、先祖代々や広く無縁の 諸精霊 (しょしょうれい) を供養し、また同時に自身の 福徳延寿 (ふくとくえんじゅ) を願うわけです。

法要は、令和元年に新しく建立されたばかりの客殿(持仏堂)で行われ、寺宝の地獄絵や十一面観音菩薩が祀られ、
地蔵寺さんだけでなく、円通寺、自性院、普門院のお坊様もいらしていて、

とてもお盆らしい、ありがた~い、時間を過ごすことができました。





凡直(おおしのあたい)

2019-08-07 22:05:06 | 讃岐の歴史
志度寺縁起絵で、霊木を拾って、志度寺の御本尊を彫らせた人の名を「凡薗子尼(おおしそのこあま)と言います。
凡というのは、讃岐の国造の一族です。

弥生時代に農耕経済が発展し、有力者が村落や国の長となり、土地人民を私有し、治めていましたが、
天皇により大和朝廷がこれらを統一すると、その首長を国造や県主・稲置に任じて、旧領地の国や県を治めさせ、子孫がそれを世襲しました。

国造や県主には
臣・連・君(公)・直(あたい)などの姓が与えられました。

景行天皇(12代・71-130)皇子 神櫛王 讃岐国造の始祖

応仁天皇(15代・270-310)の頃、神櫛王の三世孫・須売保礼命(すめほれのみこと)が初代国造となる。

寒川郡の凡直の祖先である星直が、敏達天皇(30代・572-585)の時代、国造の業を継ぎ、紗抜大押直(さぬきおおしのあたい)姓を賜る。

庚午年籍(670)凡直となり、星直の子孫は、讃岐直または凡直となった。

791年 凡直千継ら21戸が讃岐公となる。

凡直氏を名乗る豪族は讃岐だけでなく、瀬戸内沿岸の諸国に見られ、凡が「押統ぶる」と解釈できることから、従来の国造よりも広い地域を治める国造だったのではないかと考えられている。




讃岐では、佐伯直氏が西讃地域を中心に国造に就いたのち、東讃地域を根拠地とする星直氏が国造となり、より広い範囲を治めたと考えられるが、讃岐全体を治めたかどうかはわからない。

四国徧禮道指南(しこくへんろみちしるべ)

2019-08-06 21:47:36 | 活動報告
江戸時代に発行された四国遍路のガイドブック。
なんと、志度図書館で借りられました!


文庫本ですけどね。
本書の元になった本は、初版本の改版にあたる本で、1687年に出版。
{読み下し文}{現代語訳}に地図までついているので、現代のお遍路さんが持って歩くのも面白そうですね。

八栗寺、志度寺に関するページを見てみると



「薗子尼の寺有」って、書いてある。😁 

それから、
1 摂津国大坂より讃岐国丸亀、志度、高松へ渡海する時は、北堀江1丁目の田嶋屋伝兵衛方にて渡り方を尋ねてください。銀二匁が丸亀までの船賃です。

と書いてあります。

地図もあって



昔の遍路道がわかります。
今、信念さんのお墓がある洲崎寺の横を通っていますね。





志度寺の閻魔様

2019-08-05 20:02:00 | 志度寺



志度寺の閻魔様は、他所とはちょっと違っていまして、頭上に化仏+10の仏面をいただいています。
志度寺の御本尊、十一面観音菩薩の化身だからです。




通常の閻魔様は、地蔵菩薩の化身なんですね。

十一面観音菩薩って、どんな仏様なんでしょうか。

以下は、さぬき市文化財保護協会発行の
「さぬき市の文化財」という本から抜粋したものです。
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志度寺本尊の十一面観音立像は像高146cmで桧材の一木造りである。
十一面観音は頭上に11面の仏面をいただき、衆生の11の苦しみを転じて仏果を得させる。広大な功徳を形に表した尊像であり、

頭上の仏面の正面3面は慈悲の相、
左方3面は慎怒相(しんぬそう)、
右方3面は白牙上出(はくげじょうしゅつ)の相、
後方1面は大笑(だいしょう)の相で、
頭頂1面は阿弥陀仏面を表している。

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そうなんですね。
志度寺本尊の写真は、あまりはっきりしたものは手元にないのですが、




この仏像と同じタイプということですね。

あれ、でも我らが志度寺の閻魔様は


正面に化仏をいただいていますね。

このタイプなのですね。
詳しく見てみないとわからないものですね。

ちなみに、後ろのお顔、


こんなお顔なんですねえ。
お寺では見せてくれないだろうなあ。後ろ側なんて。