「今昔物語」の前の記事では、志度寺の縁起に関係するような
お話を探しましたが、こちらでは藤原氏に関係する、
気になるお話を拾ってみようと思います。
実は以前に書いた
この記事の中で紹介している菅原道真の漫画「応天の門」
がちょうどこの時代なんですよ。
この漫画のおかげで、基経や高子様の顔が浮かんできます。(漫画ですが)
「今昔物語」って、古文の時間に読んだきりで、時代も内容もよく覚えていなかったのですが、今、「文学の歴史」を自習していて、
とても面白いものだと改めて知りました。
私が今、歴史の勉強をし直しているのは、志度寺に伝わる「縁起絵巻」が
きっかけですが、様々なお寺に似たような「縁起話」があって、
それらは、この「今昔物語」にインスパイア(笑)されたものであるようなのです。
なので、しばらく、「今昔物語」を読んでいこうと思います。
ネットって、便利ですね。
今、「日本文学の歴史 5」角川書店 を読んでいます。
平安時代、貴族の時代、宮廷女房が文学の担い手であったのが、
源平争乱の頃から、文学の担い手は「隠者」へと変わっていきます。
歴史上の出来事と文芸が、これほど関連の強いものだとは今まで
気づきもしませんでした。
「空海の風景」
司馬遼太郎の「空海の風景」を紹介した動画を見つけました。
空海は佐伯氏出身なのですが、この「佐伯氏」がどのような氏なのか
気になっていました。
以前、私はこんな記事を書いています。
「日本書紀」では、東北の蝦夷・毛人を、俘虜としてまず、熱田神宮に献上。そこで大騒ぎし、非常に無礼ということで、熱田神宮から三輪山へと移動。
そこでも問題を起こしてしまったので、今度は瀬戸内海沿岸の、兵庫・広島・徳島・愛媛・香川へと左遷され、そこで「佐伯部」になったということです。
つまり、空海のご先祖は、東北の蝦夷?
この動画の中にこんな表現が。
空海が亡くなるときに書いた「御遺告(ごゆいごう」の中に、
「私の父は毛人征討の時に、讃岐に土地をもらった家系」
と書いてありました。
「佐伯氏」は、毛人(蝦夷)とそれを統括した国造もまとめて「佐伯」と
呼ばれたので、どっちかな?とずっと疑問に思っていたのですが、
司馬遼太郎は「空海は毛人そのもの」と言っています。
そして、違う言語を話す人種だったから、語学に堪能で、天才たり得た、と言っています。
(つづく)