さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

艪懸神社

2020-06-15 22:18:00 | 東讃の歴史
今日は免許更新で、東かがわに出かけたのですが、
帰りに、以前から気になっていた「艪懸神社」に行ってきました。



昨日の金比羅さんとは反対の、東側、与田川手前が
「大内町丹生」です。
歴史好きの方なら、気になる地名ですよね。

ご祭神は、倭迹迹日百襲姫 です。














「艪掛神社」で検索したら、面白い記事がたくさん出てきました。






これらの記事を読むだけで、たくさんのことがわかりそうです。

「香川県はうどんしかない!」
と言う人がいますが、とんでもない!

こんなにすごい歴史ロマンが埋もれているのに、
なぜもっと宣伝しないのか?!




水軍国家ヤマトの誕生2

2019-11-21 22:43:37 | 東讃の歴史
昨日の続きです。

中国の歴史書「魏略」には
倭人は自ら春秋時代に活躍した呉を興した太伯の子孫と名乗っている
と記している。

春秋戦国時代とは?
春秋戦国時代には、中国人はまだ黄河流域を中心に分布しており、
江南には原アジア人とよばれる中国人と異なる民族がいた。
呉とは春秋時代に江南にいた原アジア人がつくった国である。

呉は江南の航海民を組織することにより、優秀な水軍をつくりあげ
一時は中国全土の支配をもくろんだが、敗退した。
呉に代わって巨大になった越の覇権も続かなかった。
やがて、中国人の南下が始まり、江南の原アジア人は、
その地を追われ、
雲南や東南アジア、日本の北九州にたどりついた。



江南の航海民の来航をきっかけに、日本列島の統一が始まる。
B.C1C末 弥生時代中期 最初の江南の水軍が北九州に定住。
2C末 弥生時代後期中葉 日本列島各地で統一戦争。
3C末 弥生時代後期末  彼らのなかの有力な集団が大和朝廷をたてる。

B.C1C末 福岡市吉武高木遺跡(最初につくった小国家・早良国)
1C            玄界灘沿岸に江南系の末盧国、伊都国、奴国などの小国家が次々
     にできた。

奴国のなかの志賀島という良港とその東方にある宗像に、とくに有力な
航海民の集団が定着した。


今日は春秋戦国時代のことを知るのに手間取りました。😫 


水軍国家ヤマトの誕生

2019-11-20 23:05:45 | 東讃の歴史
ようやくガイドも終わったので、自分の興味がある範囲の
お勉強ができるようになりました。


この本、図書館で借りて、2週間では読めない(理解できない)と
判断して、Amazonで探したら、


本体¥92
送料¥257
なので、買ってしまいました。😆 

古本ですが、ほとんど新品のようにきれいでしたよ。
で、買ったのが、今年の7月16日😅 

ざーっとは読んだけど、理解したとは言いがたい。
なので、今日から少しずつお勉強。



日本人の原型は弥生人
 弥生時代にアジアの各地から多くの人が日本に来て、
縄文時代の日本列島に住んでいた人々と混血して、
今の日本人の原型となった。
 そのとき、各地の文化が持ち込まれて旧来の
文化と融合して日本文化の基層がつくられた。

弥生文化は南方的
 日本で既に滅んでしまった慣習に似たものが
  雲南、タイ、ビルマの奥地に住む少数民族やインドネシア奥地
 の人々の間に広くみられる。
      (持衰・神話・鳥居など)

弥生時代と同時期、
江南(中国の揚子江下流域)は南方系文化が集まる土地だった。
そこの航海民がインドネシア、マレー半島、沖縄、九州など
各地に進出して積極的に交易を行っていた。

弥生時代にかなりの数の人間が江南から北九州に移住したと
考えられる。(南方系文化の持ち込み)

今日はここまで。先は長い。😵 


ルンルン地蔵寺

2019-11-16 23:15:51 | 東讃の歴史


もう一週間が経ってしまいましたが、
何ヶ月も私を悩ませていた行事が、ようやく終わりました。

何を悩んでいたかって?
ガイドがうまくできるかどうか、ということをです。

結果を言うと、まあ全力は尽くしました。
初めてですから、完璧にはいきません。
でも、今自分にできる限りのことはやりきったと言えます。
あるガイドの先輩がこんなことを言ってくれました。
「10しゃべって、1つ覚えてくれたらいいほうだから…」

力が抜けました。
その方は何年もガイドをしている方ですから、説得力あります。

回数を重ねて、経験を積んで、知識をちゃんと自分のものにして、
話せるようになりたいと思います。

さて、当日はとってもいいお天気。
「ガイドがうまくできるかどうか」で頭がいっぱいの私は
お天気のことなど全く心配していませんでしたが、
本当に良いお天気で、ゲストも15人と、まずまずの数字!
(ほとんどが身内でしたが……)
そしてスタッフも10人以上!

午後1時 市役所集合で、市役所裏にある志度浦へ。


2枚とも別の日に撮った写真ですが、
この海の景色は本当に素晴らしいです。

屋島、八栗山が並んで見えます。 
遠くの島影は小豆島、
その手前の小さな島が高島で、
その下には竜宮城があったと伝えられています。
180度振り返れば、志度寺が見えます。

高島のことを知ってから、この海が、
私にはまるで舞台のように見えます。

この続きは明日……。

もうすぐお祭り

2019-10-08 22:45:47 | 東讃の歴史
久しぶりに夜の町を歩いたら、お祭りの練習の、鉦や太鼓の音が聞こえた。

商店街には大行灯。







つくづく、志度の人は、「海女の珠取」の話が好きなんだなあ~、と思う。

最近、夢に見るほど、「志度寺縁起絵」のことばかり考えている私は、まるで自分が讃えられているようで嬉しいのだった。(おめでたい)